293 入学してからやってなかったとはいえ、相手は素人なのに!
ファビウス先輩どころか、周りの誰の良識も戻らないまま、作戦は決行の運びとなった。
えっ、なにそれ怖い。勝算あるの? ……あるらしい。
というわけで、決行当日。わたしたちはノーランディア侯爵家の温室にいた。
本日のティー・パーティーも温室開催なのだ。ノーランディア侯爵家にも立派オブ立派って感じの温室が存在するんじゃよ。さすが国家予算級大富豪。
学園の大温室はまだしも植物園感があったが、この温室はもうね……ただの植物多めで暖かい社交場って感じだよ。
圧巻なのは、円形の大温室。壁際はみっちり植栽だし、壁から少し間隔空いたところに並ぶ円柱にはつる植物がからまり、根本にも花壇があるけども、まぁ……実質、舞踏場だよね。
この大温室を中心に、硝子張りの回廊が何本か放射状に走っているみたい。途中に雰囲気のある四阿っぽい休憩所がある区画や、ちょっと迷路みたいになっている区画、あるいは人工の滝や小川が流れる区画……なんなのこれ。マジでなんなの。
金持ちこっわ!
「今度こそ、僕のを確保しないと」
エルフ校長は、はりきって釜の準備をしている。……やっぱり根に持ってるよね、そうだよね!
わたしは虚無顔でパン窯を眺めている。そうだよ。エルフ校長の魔法のパン窯だよ。厨房使うよりそれがいいって話になってね。
横では発酵の匠と化したリートがパン種を睨み、ナヴァト忍者が成形の復習をしている。つまり、手だけがパンを捻ってまとめる形に動きつづけている……なんでそんな熱心なの? パン屋になりたいの? パン作りにハマっちゃったの?
だいたい、こんな豪勢な場所に制服で乗り込んでるってのもアレだ。
ドレスがいいんじゃないかという説もあったんだけど、わたしが持ってるドレスって、あの舞踏会のやつだけ。あれは夜用のドレスコードにあわせたデザインなので、今回みたいな午後早い時間の集まりで着ようものなら、顰蹙を買ってしまう。
それに、パンを焼くからさぁ……。袖とか裾とか、引っ掛けてひっくり返しました的な事故が怖過ぎるのよ。
制服ならいいだろ、前回もそうだったんだし! というわけで、聖女と親衛隊は魔法学園の制服での参加である。つらい。
招待客は徐々に集まりつつあるけど、パン焼き部隊は遠巻きに眺められている。
……ていうか我々、どう見ても使用人じゃない? なんか目立つ使用人いるなって感じじゃん! 声かけの難易度高いっていうか、声をかけるべき存在に見えないのでは?
「やあ、もう焼ける?」
高い難易度をものともせずに声をかけてきたのは、ファビウス先輩である。だが、パンのことはなにもわかっていない。焼いてもないだろ。パン種そこに見えてるだろ!
……いかん。ストレスがマッハなせいで、なにげない言葉にさえつっかかってしまいそうだ。
「まだ発酵させているところです」
「そうなんだ。発酵はリートがやるんだっけ?」
「もう少し、かかります」
「ルルベルを借りてもいいかな?」
「駄目ですよ」
答えたのはエルフ校長だった。
「ノーランディア侯爵ご夫妻に紹介しようと思ったんだけど……駄目ですか?」
「あとにしてください。ルルベルにはパンを焼いてもらわねばならないので」
今回こそ、僕はルルベルのパンを食べるので! という意気込みと執念と恨み節が乗っかった、たいへん重たい発言である。いやだってエルフ校長はさ〜、自分が勝手にふっ飛んでっちゃったんじゃんか! 我々とパンを置き去りにして! 焼くのだって、ご自分でしょうよ!
……と思うだけで、口にはできないわたしである。最後のパンを食べてしまった聖女と親衛隊に、この問題に関する発言権はない。
「あの、わたしがやることは特にないんですけど、一応『聖女が焼いたパン』という建前なので」
「建前なの?」
ファビウス先輩には苦笑されたけど、ほんと建前レベルでしか関与してないのよね。
どう答えようかと考えていると、発酵の匠に先を越された。
「一応俺の意見もいっておくと、護衛をする俺たちが、まだ当分はパン焼き作業に集中する必要がある。よって、護衛対象のルルベルにはここに留まってもらいたい」
……護衛の都合で護衛対象が動けなくなるっていうのも、どうなんだろうな?
「そうか。じゃあ、あとであらためるよ。なにか僕に手伝えることはある?」
「いえ、特には。それより、シェリリア殿下のお相手を」
そうなのだ。シェリリア殿下もほんとに降臨なさっているのである。
離宮に引きこもってるシェリリア殿下がなぜ? って思うじゃん。
……これがねぇ、わかりやすいんだよね。ノーランディア侯爵家が、今、王室と関係悪いからなんだよね! ああ〜、なんか厄介な勢力争いがこう……なんかこう!
わたしはそのへん詳しくないのでザックリとしか知らんけども、王室は吸血鬼を口実にノーランディア侯爵家の弱体化を狙ったらしい。でも、ノーランディア侯爵家だって黙って引き下がるだけじゃない。国が割れるのは望まないから命令には従ってるけど、これ以上どうこうするならこっちも考えがあるよ、くらいの匂わせはしてるらしい。
そんな状況で、西国との関係が深いノーランディア侯爵家と、東国の王族であるシェリリア殿下の接近は……まぁまぁ危険な話よね。
あー、考えたくない!
「僕が相手をしなくても、もう人集りになってるよ。こういった場には、滅多に顔を出さないからね」
あー、考えたくない! 重要なことなのでリピートしてしまった。さらにリピートする。もうほんっと……考えたくない!
「じゃあ逆に、行ってさしあげてください。きっと辟易してらっしゃるでしょう」
わたしも経験あるからな。それってチャチャフだろ、チャチャフ! あれはウザい!
「難儀はしていないと思うけど……ルルベルがいうなら、微力を尽くしてくるよ」
じゃあね、と魅力的な笑顔だけ残してファビウス先輩は立ち去った。今日は金髪を黒いリボンでひとつに結んでらして、あ〜、金髪に黒いリボンって映えるな! 最高か!
……はぁ。自分でお願いしたことではあるが、最高が遠ざかってしまった。
「そろそろいいだろう。確認してくれ」
リートに声をかけられて、わたしは気もちをパンに戻した。
「えっ、もう発酵できたの? 早くない?」
「人の集まりが思ったより早いから、速度を上げた」
発酵の匠ー! 指で生地を押してみると、たしかに。これはもう、スタンバイOKの生地だ。
「うん、大丈夫そう」
「もう成形に進んでいいか?」
「そうしよう。ナヴァト、打ち粉は控えめにね」
「心得ました」
シャバッ! ……ナヴァト忍者、適量の打ち粉までマスターしてるな。天才こっわ。
わたしとナヴァト忍者は無心で成形をはじめた。
なお、今回は腸詰パンはナシ。聖女チームがご提供するのは、小ぶりな葡萄パンのみでございます。豪勢なお茶会向けの料理の用意は侯爵家が全力でするって話なので、量も少なめにした。ノーランディア侯爵家の全力料理と並べられるって考えるだけで、ふるえが来るよね。
でもほら、これはね。なんというかその、縁起物? くらいの位置付けだと思えばいいんじゃないだろうか。聖女パン。
「成形できました」
ナヴァト忍者が誇らしげに宣言した。ほぼ同時に終えられて、ギリでパン屋の娘としての矜持をたもてたよ。
くっ……入学してからやってなかったとはいえ、相手は素人なのに!
「では校長先生、焼成はお願いします」
「まかせてください。僕のぶんに、しるしをつけてもいいですか?」
「……ご自由に」
「ありがとう。じゃあ、これと……これも僕のにします。いいですね? 皆、覚えておいてくださいよ」
なんかこう、焼肉屋で「この肉は俺が育てたやつだ!」って主張したりする、アレを思いだすよね……。しるしつけるのはいいけど、ほかの招待客の皆さんの前で主張しないでいただきたいとは思います。はい。
「それにしても、ノーランディア侯爵家ってその……ほんとうに、ものすごいお金持ちでいらっしゃるんですね」
「今さら、なにをいっているんだ」
すかさずディスってきたのが誰かは、わかるね? うん、リートだ!
「話は聞いてたけど。やっぱりこう、実際来てみるとね……」
すごいのは温室だけではないのだ。ちらっと見かけた本邸も宮殿レベルだったし、これは王都の屋敷ってだけで、領地にはもっとすごい宮殿があるらしい。これよりすごいって、どんななのよ。わからんよ。庶民の想像力を舐めんな。知らないものは想像できないぞ!
……そりゃ、王室も気が気じゃないだろうな、と変な納得をしてしまったよ。




