291 喜びや望みを奪いたいだけなのかも
金曜日は予告なくお休みをいただいてしまいました。
台風が原因と思われる頭痛で、無理でした。
駆けつけたウィブル先生と王子に事後処理をお願いして、わたしは研究室に撤退することになった。
吸血鬼(にあやつられたアルスル様)のターゲットは、明確に聖女だったわけだし。まだ昼間だけども、昼のうちに安全な場所に撤退しておけって話である。
吸血鬼の魔法は、わたしには無力なはずだ。聖属性魔法使いであるというだけで、完全有利!
でもね。ぶっちゃけると、物理でやられたら即終了なのです……。
研究室に戻ったら、ちょうどファビウス先輩が出かけようとしているところだった。つまり、遅ればせながら園遊会に参加しようとしてたらしいけども。
我々を見て一瞬で表情が厳しくなったの、こんなときに不謹慎だけど……かっこよ!
「なにがあった」
わたしではなくリートに訊いてるっぽいところが、まぁ……うん。まぁね! まぁそうね、リートの方が的確に情報を渡せるだろう!
「吸血鬼の魅了を受けたと思しき生徒が複数出現。ナヴァトの魔法玉で範囲処理済み。校長先生は姿が見えなくなりましたので、おそらく吸血鬼の気配を追って行かれたものと思われます。温室内から消えたのは校長先生のみで、それ以外は全員確認。あとはウィブル先生と王子殿下におまかせして、防護が固いここに戻りました」
「わかった。ルルベル、怪我はない?」
「わたしは平気です」
「平気って顔じゃないよ」
「……おかしいです」
思わず、声が漏れた。
「おかしい?」
「だってわたし、平気な顔をしてるはずなのに」
ファビウス先輩が、しぜんな動きでわたしの手をとった。
「よかったら、僕に話を聞かせてくれる?」
そのまま中庭に誘導される。
……あったかいなぁ、ここは。大温室も壮観だったけど……中で舞踏会が開けるようなサイズ感なので、研究室の中庭とはまったくスケールが違う。すごかった。
でも、ここが落ち着くな。慣れてるせいかな。
ぼんやり座っていると、ファビウス先輩が大きめのマグカップをわたしの手に握らせた。
あつあつの、ホット・チョコレートだ。
「指先が冷えてたから。あたたまればいいなと思って」
「ありがとうございます……すみません」
「謝られるようなこと、なにかあったっけ?」
「いえ……なんか甘えてるなぁ、って」
わたしのつぶやきに、ファビウス先輩は微笑んで答えた。
「望むところだから、存分に甘えてよ。今日はもうゆっくり休んで」
「……わたし、悔しいんです」
「うん」
「せっかく、皆で楽しもうって……。舞踏会もそうです。あいつは、必ずぶち壊しに来る。なんなんですか? わたしたち、楽しんだらいけないんですか?」
葛藤はある。それは、間違いないんだ。
だけど同時に、真面目に世を憂うばかりでは生きていけないってことも知ってる。
生きるって、絶対、楽しみがないと無理だ。その楽しみをなんとかみつけようとすると、あいつが来る。
「なにがしたいんでしょう。校長先生とわたしがいて、あいつに勝ち目なんかないはずですよね。それなのに正体をあらわした――おかしくないですか?」
違和感しかない。
だって、ひとつも思いつかないのだ。やつが得することなんて。
わたしは語りつづける――ホット・チョコレートに向かって。ファビウス先輩の顔を見たら、なんだか、泣いてしまいそうな気がしたから。
「魅了されたひとたちだって、捨て駒ですよね? あいつに得るものなんてない。ただ本人たちが絶望するだけ。でも、やるんです。だったら、あいつにとってのわたしたちって、なんですか? 絶望が糧になるんですか? 血を吸う必要なんてないのかもしれない。わたしの命を奪いたいとさえ思ってないのかもしれない。ただ――喜びや望みを奪いたいだけなのかも」
「……ルルベル」
「皆、怖いに決まってます。悔しいはずです。耐えられるでしょうか? 吸血鬼の魔法は浄化できても、操作されてしまったという事実は消えません。ほんとに……ほんとに、こんなのもう嫌です!」
「そうだね」
ファビウス先輩の手が、マグカップを持つわたしの手を包み込んだ。そっと、支えるように。
「……もう嫌です」
「うん。……ねぇルルベル、君の考えは正しいのかもしれないよ。吸血鬼は、皆を絶望させたいのかもしれない。逆らっても無駄だと刻み込むこと自体が、目標なのかも」
「まさか、そんなことのために?」
不利な場面で手札を切ってもやりたいことが、それ? つまり、俺TUEE?
「やつは不死だ。人間の言葉を喋りはするが、人間じゃない。吸血鬼にとって人間なんて、ただの食物だよ。格下の存在だ。もてあそんで当然だし、そこに罪悪感などないだろう。逆らわれたら、むっとするはずだ。人間は、やつに従って当然の存在だと思っているんだろうからね」
「そんなの……許せません」
「そうだよ。許さなくていい」
その声があまりに静かで。でも、強くて。
わたしは顔を上げた。視線が合うと、ファビウス先輩はうなずいた。
「許さなくていいんだよ、ルルベル。僕らは、やつに頭を垂れてはいけない」
「はい」
「君の怒りは正当だ。怒っていいんだ。くじけないで。皆の前では顔を上げて。それが、君の仕事だ。……ちゃんとできたんだろう? 立派だよ、ルルベル」
はい、と答えていいのかわからなくて、わたしは困ってしまった。
頑張ったつもりだけど、頑張れていただろうか。ちゃんと、皆を励ませていただろうか。
ファビウス先輩は微笑んで、手をはなした。
「僕らの心ををへし折ろうとしても無理だって、わからせてやらなきゃね」
「……わたしの周囲にいるひとたちが諦めるまでやる、って。そういってました」
「見くびられたものだね。誰か反論してやった?」
「校長先生が」
ああ、とファビウス先輩は笑った。想像がついたらしい。
「そりゃそうか。絶対、黙って見過ごしやしないだろう」
「わたしが……あの、ファビウス様……これ、聞き流していただきたいんです。忘れてもらいたいんですけど――」
「いいよ。君が望むなら忘れる。だから、いってみて?」
「――わたしがいるせいで、皆の楽しみがつぶされてしまう、って。そう感じてしかたないんです」
自分でいって、自分で傷ついてしまう。
だってそう。舞踏会も、園遊会も。吸血鬼の狙いはわたしだ。わたしのために、楽しいはずの会がおかしなことになって。犠牲者も出て。アルスル様の心境を想うと、やりきれない。ほかのひとたちも。
シスコだって、きっと思いだしただろう。前回のことを。また同じ目に遭うんじゃないかって、考えないはずがない。
「……こんなこと口にしても、慰めの言葉しかもらえないのはわかってます。だから、黙っているべきなんです。でも苦しいから……ただ黙っているだけだと」
「うん」
「聞き流してくださいね」
「わかってる。君が慰めを望んでいないことも。僕としては慰めさせてほしいけど、それじゃ解決しないんだよね?」
「……そうです」
ファビウス先輩だって、吸血鬼に身体を乗っ取られたことがあるのだ。
自分が悪かったとか申しわけないとか。そういう話を不必要に強調しないところが、ファビウス先輩の強さだなぁ……って思う。
謝る方が、自分が楽になるよね。だけど、謝られた方がそれを負担に感じないとも限らない。たぶん、わたしに気にさせないために、そのへんを呑み込んでふれないようにしてるんだろう。
今だって、わたしがなんていおうと慰撫する言葉を口にする方が楽なはずだ。ずっと容易だし、それはそれで間違いでもないと思うけど。
でも、そういう簡単な方を選ばないあたりが、ファビウス先輩だなって思う。
「あいつは僕らを――いや、この国の人間すべてを、支配下に置きたいんだ。なにも考えられないほど怯えた、無抵抗な群れに貶めたいんだよ」
「無抵抗な……」
「うん。だから、精神的な要になる君を狙うんだ。聖女って、希望の象徴だからね。君が感じていることは、正しいよ。やつは君を狙う。君さえ落としてしまえば、あとは簡単だと思っているからだ」
でも、とファビウス先輩は不敵な笑みを浮かべて告げた。
「今度はこっちが思い知らせてやらないとね。校長先生じゃなくても、諦める人間なんていないんだよ、君の周りには。だからルルベル、もっと狙われていい。何回でも反撃してやろう」
「……狙われたいわけじゃないですよ?」
「わかってる。だけど、避けられないことを避けたいと願っても、どうしようもないからね。狙われるなら、うまく狙われてやろう。そして、効果的にやり返すんだ。次はどこで狙わせるか、狙われたあとはどう対処するか――こっちが制御する側にならないとね」
その後、通院で疲れた上に、検査薬の副作用で「気もち悪い」が継続している現状です。
急に更新が滞ったら、気力か体力が尽きたとお考えください。
あっ、でもクーラーの修理は終わったので、ぐったりするにしても涼しい部屋で!
やったー!




