290 あんなやつに台無しにさせないでよ
苦しんでしゃがみこんでいる生徒が、つまり……吸血鬼の手駒になりかけていた、と。
半数……とまではいかないけど、けっこうな人数が聖光ハイブリッド魔力のダメージを食らって苦しんでいるようだ。
……落ち込んでいる暇はないぞ、ルルベル。
こんなときに、聖女が役に立たなくてどうすんだ。
「ナヴァト」
「はい」
「おおむね浄化できたと考えていいの?」
「想定されている程度の魅了であれば、先ほどの魔力放射で浄化できます」
想定外だった場合は無理、と。まぁそれはしかたないね!
リートはなにをやってるのかと見回してみて、わたしは首をかしげた。ただ歩き回ってる……だけ? とくに手助けをするようでもないし、なにをやってるんだろう。
「さっき、リートがいってた『確認する』っていうのは?」
「人員の増減です。大温室内にいるはずの者が全員いるかを確認しています」
たしかにそれは必要か……。浄化がちゃんと済んでるかもわからないし、逃げ出したところを待ち構えられている可能性だってある。
現状、聖属性の魔力が満ちている上に聖女もいるここが、まあまあ安全なはず。
「なるほど。……あれ?」
「どうかなさいましたか」
「校長先生は?」
「推測ですが、吸血鬼の気配を追って行かれたのではないかと。魔力放射の直後に、もうお姿がありませんでしたので」
はっや! ていうか、生徒たちは放置か! アルスル様さえ、その場に転がしたまま。
吸血鬼の追跡も重要であることには違いないけど……それでいいのか、教師として。
「じゃあ、この場は生徒だけでなんとかするしかないかな。あっ、ウィブル先生あたりを呼んで来てもらうとか――」
「隊長が戻るまで、おそばを離れるわけには参りません」
そうなるよね。オーケイ、オーケイ。よし、ある程度の現状は把握した!
「皆様!」
声をはりあげると、ダメージを食らってる風ではない――つまり吸血鬼の被害を受けていないであろう――生徒たちが、こちらを見た。お、伯爵令嬢たちは無事っぽい? シスコもだ。エーディリア様と、王子も無事。
「ちょっとした邪魔が入りましたけれども……いえ、だからこそ、パンをどうぞ。エルフの里の小麦粉を使い、校長先生が手ずから火入れをしてくださったパンです。魔を祓う力があるはずですし――焼きたてが美味しいですよ!」
いでよ看板娘スマイル! にっこりして、さあさあとパンを勧める。
……さあ! 誰か手にとってよ。あんなやつに台無しにさせないでよ。せっかくの楽しみを壊されて、そのまま終わりなんて許せないでしょ!
「……いただいてもいいかしら?」
真っ先に進み出てくれたのは誰あろう! シスコだった。
毅然とした表情が、かっこいい……さすが我が友!
「もちろん! 腸詰めも美味しいけど、葡萄パンもお勧め!」
「じゃあ、葡萄パンから……一個しか食べられないって決まりはあるの?」
「まさかー。たくさん焼きましたよ。ある限り、どうぞどうぞ!」
「腸詰めをいただこうか」
次に進み出たのは王子である。ほとんど動揺を見せないあたり、さすが王族!
エーディリア様もつづいてくださる。
「ほんとうに美味しそう。いい香りですわね、ルルベル嬢」
「はい。わたしもお腹が空いてきました」
「エルフの里の材料を使ったパンなんて……考えたこともありませんでしたわ」
「……うん、うまい」
さっそくかぶりついた王子がマジで美味しそうな顔をした。なんだかぐっと来る。
わたしの視線に笑みを返して、王子は表情をあらためた。キリッ! って感じ。
「皆、馳走になるがよい。我が名にかけて保証しよう――これを口にしても変調を来さない者は、疑いの目をまぬがれるだろう」
……これはアレか。案に、食べないと疑うよって意味か。
ぐっと来た感じは引っ込んだけど、これはこれで了解してもらうべき問題だもんな。吸血鬼と思われるアレの発言を踏まえれば。王子も自分の仕事をしてるんだ。
よし!
「さあ、どうぞどうぞ! 何回でも申しますけど、焼きたてが最高ですからね! ちょっと邪魔されてしまったけど、まだ大丈夫。むしろ、ほどよく冷めたかもしれませんよ」
愛想よくアピールすると、ほかの生徒たちもようやく動きはじめた。
ただまぁ……何人か動いてないのは、直前まで一緒に喋ってたであろうと思われる位置関係の誰かが座り込んでるパターンね。それは無理もない。
「不足なし。全員いる」
戻って来たリートの報告を聞いて、わたしはほっとした。
「さっきの魔力放射で浄化は済んでる感じ?」
「済んではいない。現在進行形だ。拡散した魔力が浸透しつづけている状態で終わっていないから、ああやって苦しんでいるんだ。アルスルを含めて」
なるほど……。
「じゃあ、わたしが直接浄化しちゃえばいいんじゃない?」
「君は力加減ができないだろう。また魔力切れを起こすつもりか」
「でも、いつまでも苦しませるわけにはいかないじゃない」
「それこそパンを食べさせればいい。どれくらい効果があるかは、わからんが」
「効果はあるでしょ? 吸血鬼は嫌がってたし」
「あいつの言葉を全面的に信じるわけにはいかない、ということだ」
……なるほど。たしかにな!
「とにかくパンを配るよ。聖女の手渡しにも、少しはご利益があるかもだし」
「君は馬鹿か。浄化が終わっていない相手に近寄らせるわけにはいかん」
「うるさいわね、なにかあったら守ってくれればいいのよ。そのための護衛でしょ」
「危機意識が――」
「こんな場面で、自分の身だけ守ってどうすんの。馬鹿じゃないの?」
「――相変わらずだな。だがまぁ、浄化は進めるべきだろう」
リートが認めてくれたので、わたしは親衛隊を従えて――そこは譲れないらしい――パンを盛った皿を手に大温室を巡ることになった。
幸い、異常をきたした生徒の居場所はリートが把握している。近いところから順に声をかけ、横に友人がいればその友人にもパンを勧める。美味しいですよ、ってにっこりするだけの簡単なお仕事だ。
リートが水差しとコップを持って来てて、喉の渇きもフォロー……ほんっと気が利くよなぁ!
この子は舞踏会で踊ったなとか、試験のときに正解者が少ない問題で正解してた子だとか、ひとりずつに意識を集中させると思いだすこともある。それはそれで、なんだか……無力感。
ひと通り配り終える頃には元気な生徒が食欲を発揮したらしく、在庫終了!
うっかりしてエルフ校長のぶんを取り置きしそびれたから、きっと根に持たれるな……と思いながら、ラスト・ワンで皆が遠慮しあっていた葡萄パンを容赦なく食べているわたしである。これは根に持たれてもしかたないだろう。なお、リートとナヴァト忍者は腸詰めパンを分けあって食べたので、一蓮托生だ。
「ルルベル嬢」
王子がかすかに顎をしゃくって、大きな薔薇のアーチの方を示した。……これは、密談のお誘いですか?
大温室の内部はエルフ校長の宣言通り、あらゆる花が満開である。アーチに仕立てられた薔薇は、白に淡いグリーンの斑が入り、どことなく清涼な雰囲気がある。香りも、薔薇にしてはスッキリ系だ。
「なにか?」
「外に知らせを出したい。ナヴァトを借りてもいいか」
「もちろんですけど……まだ後任の護衛が決まっていないのですか?」
「いや、今日は威圧感を与えたくなかったので、同道させなかった」
どういう意味? って顔をしちゃった結果、王子は苦笑とともに説明してくれた。
「後任は大柄で、はっきりいえば熊だ、熊。ナヴァトの代わりといっても、簡単ではないのでな。同年輩の人材は、そういない」
あー……。そういえばナヴァト忍者って、天才少年枠だったね! そっか、たしかになぁ。魔法が使えて隠密行動ができて、剣の腕も抜群だなんてチート騎士だもの。
「そうですね。そろそろ外部への連絡も必要です。ナヴァト、お願いできる?」
「聖女様のご命令とあらば。ですが――」
ちらっとリートに視線をやったので、隊長の許可も必要なようだ。
「リートも、いいよね?」
「よくはないが、外部に知らせる必要はある。殿下、護衛はどこに?」
「生徒会のサロンで待たせている」
「ならまずウィブル先生、次に殿下の護衛だ」
うん、目の前の王族に対してこの態度! 優先順位はこっちが上で当然っていうこの……メンタルつよーい! 知ってたけど!
わたしのメンタルはそこまで強くないので、あわてて話に割り込む。
「それでかまいませんか、殿下」
「ローデンス」
「……今、そういう場合です?」
王子は平然と答えた。
「いかなるときも、そういう場合だ。保健室が先で問題ない。たのむぞ、ナヴァト」




