288 皮はパリッと、中はふわっと焼けてますよー!
「シスコ!」
「ルルベル!」
がしっ!
久しぶりの友との接近遭遇なので、わたしは遠慮なくシスコを補給している。つまり、抱き合っている。
はぁ〜、エルフだの天才だの規格外だの失礼だのとバリエーションはあるにせよ、メンズばかりとのつきあいは疲れる。もうね、ほん……っと! 疲れる!
女子……女子がほしいんだよ女子が!
「元気だった?」
「うん。ルルベルも元気? なにか困ったことはない?」
特殊な発音に苦戦していて、まだ呪文が読み上げられないこととか……かな。
遠くを見る眼差しになってしまったせいで、シスコはなにか察したらしい。あらためてわたしを抱きしめてくれた。……ああ〜、いい匂い! いい匂いがするぅ!
「わたしは、ルルベルの味方だからね。相談できることなら、相談して?」
「うん……うん、シスコ。その言葉だけでもう元気百倍。……大好き!」
「ルルベルったら……。わたしもよ」
ああ。シスコよ。ふふっ、って笑ってちょっと照れているシスコよ!
誰に感謝すればいいのかわからないけど、ありがとうございます! この世にシスコをありがとうございます!
「ところでルルベル、これって……」
「あ、うん。パン焼き窯」
大温室に入って来た生徒全員が、まずパン焼き窯を見て変な顔をする。わたしに直接質問して来たのはシスコくらいなので、やはりクラスメイトの皆さんとのあいだには若干の心理的な壁があるようだ。
「なんで大温室にパン焼き窯があるのかは……なんとなくわかるけど」
「わかっちゃうの?」
「えっ? うん。ルルベルのためでしょう?」
おっと……そりゃそうか。そうだな。パン屋の娘のためじゃなきゃなんだ、って話だよな。
「それにしても、ずいぶんこう……存在感がある、芸術的な窯ね」
「だよね。わたしもびっくりしたよ。校長先生が用意してくださったんだけど」
シスコは窯をしげしげと見ていたが、考えることを放棄したらしい。
「ところで、とっても美味しそうな匂いがしてるんだけど」
「もうじき焼けるよ……ですよね、校長先生?」
「そうですね。もうじきです」
エルフ校長はにこにこと機嫌がよさそうだ。
昨日の落ち込みは結局、パンを焼くのになくてはならない人材だという励ましでなんとかなったのだから、よくわからない。リートにいわせると「ルルベルが、って枕の部分を理解したんだろうな。後半はどうでもいいに違いない」とのことだった。
つまり、わたしに必要とされたから立ち直った、と。
呪文の読みかたでもなんでもいいんだろうなぁ……助けを求められるのを待ってるのだ。
……ナヴァト忍者もたいがい犬っぽいが、エルフ校長も実は犬なのでは? という気がしてきた。
会場には飲み物や、それこそ趣味のいいフィンガーフードなども準備されていて、パンは余分だったかなぁという気もしないでもないんだけど……まぁ、年頃の男子がたくさんいるから問題ないっしょ!
「聖女様が焼いてくださったパン……?」
「お土産に家族に持って帰りたいわ。見せびらかしたい!」
などの声も聞こえてくるし、大丈夫だよね? ……問題ないよね。
事前に実行委員会的な人には相談すべきだったなぁ、とは思う。たぶんエーディリア様とか。ああ、後知恵!
「追加で紅茶をもっと用意してはどうかと。パンに合うでしょうから」
ほらー! エーディリア様が王子にお伺いを立ててるの発見!
わたしは急いで、そちらに行った。
「エーディリア様……ご相談もなく勝手なことをして、ご迷惑をおかけしてしまって……申しわけありません」
「まぁ、なにをおっしゃいますの。それより――」
エーディリア様は、わたしの目を覗き込むようにして尋ねた。
「――あなたは楽しんでらっしゃいます? パンを焼くことも含めて」
「もちろんです」
「でしたら、それがいちばんですのよ。皆が楽しむための会ですもの。ですわよね、ローデンス様?」
「ああ、その通りだ」
王室スマイルと淑女スマイルがきらびやか過ぎて、わたしはたじろいだ。
「そ……そうでしょうか。あっ……でも、そうですね」
「そう、とは?」
「パンを焼こうと思ったのは、わたしも皆さんに楽しんでいただきたかったからなので……だから、同じですよね? わたしが楽しむことを、ローデンス様やエーディリア様も望んでくださっている……って思っても。間違っては……いないですよね?」
王子はうなずき、エーディリア様も肯定の言葉をくださる。
「その通りよ。わかってくださって嬉しいわ」
ようやく、園遊会というものの意義が腑に落ちた。すとん、って。
そっかー……そういうことかー。
……園遊会、出席することにしてよかったな。
「ルルベル、焼けましたよ」
はーいと校長先生に返事をして、わたしは王子とエーディリア様に向き直った。
「あの、よかったら焼きたてを食べていただきたいので、ご一緒に」
「無論だとも」
「楽しみですわ」
「とにかく校長先生がすごくてですね、わたしはあまりなにもやってないんです。火加減とか……いや、火加減という言葉が正しいかわからないんですけど」
「火の気配がしませんものね、あの窯」
さすがエーディリア様!
「そうなんですよ。なので、焼きはぜんぶ校長先生担当ですし、発酵はリートが生属性魔法で制御してくれますし……整形も、わたしよりナヴァトの方がうまいんですよ? わたしなんて、なにもしてなくて」
「上に立つとは、そういうものだ」
王子の端的な答えがまた、今のわたしならわかる! みたいな感じで。……でも同時に、わかりたくなさもあるなぁ、って思った。
わたし、べつに上に立ちたくはないんだよね。
それは……ひょっとすると、王子だって選んでそうしてるわけじゃないのかもだけど。王族に生まれちゃったから、しかたなく受け入れてる可能性だってある。
冷静に考えると、階級が上のひとには上なりの苦しさがあるよなぁ。だって、王族には職業選択の自由がないじゃん? これって、基本的人権が守られてない状態ってことじゃない?
……ファビウス先輩は、さすファビかましてたけど……あれだって、お兄様がいらっしゃるからこそ可能だったんだろうし。
前世日本だって、思いだすよね〜。ほら、皇族のご結婚問題! 駄目だ駄目だって、すごかったじゃん……。なんの関係もない他人にそこまで口出しされて社会現象にまでなっちゃうんだよ? 怖くない? 病むでしょ、あんなの。
階級社会って、実は誰も幸せにしないのでは?
難しいことを考えそうになったけど、今は後回しだな! 窯からパンを出すの、手伝わなきゃ。せめて皆に配るところくらいは、ちゃんと手伝わねば。
王子やエーディリア様は勝手に来てくださると思うことにして、わたしは窯の方に駆け寄った。いつのまにか来ていた伯爵令嬢たちが、ルルベル嬢早く早く、って呼んでくれてる。
シスコも窯の近くにいて、リートが得意げに発酵について語るのを聞いてる。
ナヴァト忍者が大きな天板を軽々と扱って……わぁ、間に合わない間に合わない!
あわてて走りながら、なんか幸せだなと思った。
皆それぞれ、悩みや困難を抱えているんだろうけど……でも、今だけは。
なにもかも忘れて、ちょっとした楽しみを満喫できたらいいな。わたしが焼いたパンも、そのための助けになるといいな。
わたしは看板娘スマイルを顔に貼りつけて叫んだ。
「はーい皆さん、パンが焼けました! 今なら焼きたてのアツアツですよ。ジューシーな高級干し葡萄入りの葡萄パンと、腸詰め巻きのふわふわパン! 皮はパリッと、中はふわっと焼けてますよー!」
店でやってたように呼び込みをする。
こういう売りかたに慣れてるひとなんて、いないだろう。上流のかたがたは、そんな店で買い物はしない。だったら、これだって面白くて変わった体験のはず。
いつもなら引け目を感じたり、やっぱり違うんだなって思ったりするところだけど、今は前向きに考えて楽しんでもらおう。自分も楽しもう。
「僕にもひとつ、くれるかな?」
「はい、もちろん!」
不意に間近から聞こえた声に少しおどろきつつ、愛想よくふり返ると。
そこにいらしたのは、アルスル様だった。最近あまり登校なさってないと聞いたのは……もう、ずいぶん前だ。来られるようになったのかな? だったらよかった、と微笑みかけたわたしの前に、リートが割って入った。
「待て」
「ちょっとリート、なにするの」
押しのけようとしたけど、びくともしない。リートにさえぎられて見えなくなったアルスル様の、声だけが聞こえた。
「ずいぶん待ったと思うよ? 君らだって、そろそろ痺れを切らすところだろう」




