287 成長のハードルが低過ぎんか?
腸詰めさえあればどうでもいい男子どもはともかく、園遊会には上品なお嬢様もいらっしゃるわけだから、葡萄パンのサイズは小ぶりにすることに決めた。フィンガーフードみたいなイメージ?
あとまぁ……男子諸君の肉肉リクエストも無下にはできないので、明日も腸詰めを調達してもらい、ふわふわ腸詰めパンも準備することにした。気になっていた焼き加減は意外と簡単にクリアできたけど、たぶんこれエルフ校長の手柄よね……わたしはよくわかんなかったし。
「やっぱり焼きたては美味しいなぁ」
「ええ。久しぶりに食べましたが、格別ですね。ルルベルのおかげです」
「校長先生にも喜んでいただけたようで、よかったです」
正直、わたしの最大の貢献って「パン焼こう」って号令したことだけどな……。
すると、エルフ校長はにっこりした。
「里に送るぶんまで作ってくれて、ありがとうございます」
「いえ……ただの試作品で、ほんとに申しわけないですけど」
「放っておくと、かれらがすべて食べてしまいそうでしたからね。止めてくれて助かりました」
「あはは……さすがにそれはないですよ」
ないと思いたい……が、親衛隊二名の食欲がすごかったのは事実である。
なお、リートは発酵の匠だし、ナヴァト忍者はすぐ成形作業に慣れ、わたしとさほど速度が変わらなくなった。ちょっと待ってくれ。長年パン屋の娘としてはたらいてきた自負があるんだぞ、わたしにも!
「ところで、ルルベル」
残りを食べながら調理器具のかたづけをしている親衛隊の方をちらちら見ながら、エルフ校長が少し顔を寄せて来た。
「はい?」
「僕の手紙、読んでくれましたか」
「あっ、はい。まだ三枚めをちゃんと効果があるように読むところまでは、できてないんですけど」
「効果があるように……とは?」
「実物を見せるわけにはいかないので、辞書を借りて単語の発音記号を調べた上で、発音をリートに習ってます」
「発音記号……」
「古代エルヴァン文字も、ちょっと書けるようになったんですよ」
そういって、わたしは温室の手近な壁――つまりガラスに手をのばした。パンを焼いたりしたせいで曇っている、そのガラスの上に指をはしらせる。はじめに覚えた特殊文字。
「魔力」
ねっ? と見上げると、エルフ校長は硬直していた。
……あれっ。ワンチャン喜んでもらえるかと思ってたんだけど、はずしたか。いやそうか、泣きついてほしかったんだもんな……たぶん。
と思う間に、ぽろっと涙が……えっ。えええーっ!?
「こ……校長先生? わたし、なにかしました?」
「まさか、ルルベルが……こんなに成長するなんて……」
一文字書いただけだぞ! 成長のハードルが低過ぎんか?
というか、エルフの涙ってコップかなにかで受け止めて保存しなくていい? レアじゃない? なにか魔法に使えたりしないの? わたしの魔力玉なんかの百倍くらいご利益ありそうだけど!
「えっとそれは……喜んでもらえてると思っても、大丈夫ですか?」
「もちろんです。この文字はね……思い出深いものなんです」
ああ。なにもかも覚えているエルフ校長の、なんらかの心の琴線に引っかかったのか。そういうことか。なるほど納得!
「そうだったんですね。まぁ、ちゃんと書けるのって特殊文字があと三種類くらい――」
「三種類も!」
「――基本の文字は、だいたい覚えました」
「素晴らしいです。ルルベル、ほんとうに素晴らしい!」
やっぱりハードル低過ぎん?
「リートが教えてくれたんですよ。褒めてあげてくださいね」
「それはどうでもいいので追加報酬をご検討ください」
わたしの声を聞きつけたらしいリートが図々しく主張すると、エルフ校長は泣きながら答えた。
「この美しい思い出を出費と結びつけたくないので、後日あらためて考えましょう」
「わかりました」
ナヴァト忍者はそこまでポカンとしていたが、少し間を置いて誇らしげに告げた。
「聖女様はとても努力家でいらっしゃいます。校長先生にお褒めの言葉を賜るのも当然です」
……君も努力のハードル低いやろ。たぶん王子とか王子とか王子とかのせいだけど!
王子も昨今は努力してるみたいだから、褒めてやってくれ。
「今は発音記号を少しずつ教わってて、人間の言葉でも使う発音の八割くらいは――」
「六割だな」
「――六割くらいは理解できるようになりました」
ルルベル、とエルフ校長がわたしの名を呼んだので、はい、と答えた。
「なんでしょう?」
「僕に、読みかたを訊こうとは思わなかったのですか?」
ズバッと来たなぁ。では、ズバッとお答えしよう。
「そうですね……ちょっと癪に障るというか」
「なぜです?」
「うーん……たぶんですけど、できないだろうって思われてるのが嫌だったんじゃないかと。できるもん、って主張したかったんのかな。……おかしいですよね? できないんだから、できないと思われて当然なのに。でも、なんか……頑張ってみたかったんです」
そうとしか説明できない。ぜんぜん説明できてる気がせんけどな!
「なるほど……」
「でも、ちょっと頑張ってみてあんまり時間がかかりそうなら、校長先生にお願いしようって。それはリートとも相談して決めてます。ね?」
「魔力感知の復活は、優先順位が高いですからね。ルルベルの自尊心よりも」
うーん、さすがリート! ズバッと来るなぁ! ……もうちょっと手加減してくれてもいいのよ?
「……では、僕はルルベルの自尊心を傷つけてしまったのでしょうか」
エルフ校長はショックを受けてしまったらしい。あー繊細。予測できないところで繊細!
「そこまでではないと思います。わたしがちょっとこう……頑張っちゃったっていうか」
「気にしなくていいでしょう。変わってますからね、ルルベルは」
リートが助け舟を出してくれたが、いや待て。そもそもエルフ校長を突き落としたのはリートじゃないの?
いやいや考えている時間はない。すかさず乗っかれ!
「そう、変わって……変わってる? わたし普通じゃない?」
「君は馬鹿か? 普通だとしたら、校長先生の配慮がないことになるだろう」
「あっそうか。……そうなの? いやまぁ……とにかく! わたしがめんどくさいタイプだってだけです。ほんと、お気になさらず。そんなことより、だいじな呪文を教えていただけたことが嬉しいですし、助かります。あと、呪文を唱えられるようになるの、わくわくします。頑張りますね!」
「ルルベル」
エルフ校長が真顔でわたしをみつめたので、こちらも表情をあらためざるを得ない。
「はい」
「我が友からも指摘されたことがあるのです」
つまり、脳筋陛下から!
「なにをです?」
「無意識に人間を下に見ているね、と」
……あっ。
という顔になってしまったのを急いで戻したけど、まぁ間に合わなかったよね。
エルフ校長は、とても悲しげに微笑んだ。
「僕には、そういう至らなさがあります。それが現実です」
「で……でも! それは、しかたのないことじゃないですか? だってエルフって人間より長生きだし、美しいし、なんでも知ってるし、忘れないし、美的感覚にすぐれてるし、美しいし!」
ちょっとダブったが気にしないでほしい。こんなのは勢いだ!
もっと勢いつけろ、えーっと……そうだ!
「そもそも、下に見てるっていうならリートの方がひどいですよ、わたしなんか常時馬鹿にされてますし、今だっていわれましたよね?」
「おい」
「わたしってたしかに馬鹿ですし、もの知らずなんですから。当然の評価です!」
でも、エルフ校長は勢いで押し切らせてはくれなかった。
「僕は駄目なエルフです……。人間の友として、誰よりも人間のことをわかっているつもりなのに。いつも、それが『つもり』でしかないことを思い知らされるんです……」
どうしよう、なんか本格的に滅入ってるぞ!
わたしはリートを見て、口だけで「どうしようこれ」と訊いた。リートの返事は「知るか」であった。
……ああもう!
「校長先生が駄目だなんてこと、絶対ありません! だって、校長先生がいてくださらないと、わたしは明日の園遊会でパンを焼けないんですよ!」
よりによってパンを存在意義として推すか? と、我ながら思ったが……パン屋の看板娘ルルベルとしては、かなり重要な要素なのでね。つい。




