286 もはやパンの存在意義が危ぶまれる意見をありがとう!
エルフ校長は、ダイナミックに常識はずれだった。
大温室に出現した華麗な石窯で、火を使わず熱を調整するという意味不明の魔法をくり出してきたし、発酵も「僕は酵母と会話できるから」なんてファンシーなのかホラーなのかわからないことをいいだすし――だって会話した相手を焼いて食べるんだぞ、いいのかそれ?――わたしの知ってるパン作りと違う!
「これじゃ、校長先生の手作りパンになっちゃいますよ」
わたしが指摘してはじめて気がついたらしく、エルフ校長は酵母との会話をやめた。
「……ほんとですね。でも、僕が作ったパンをルルベルに食べてもらうのも、それはそれで」
いやいやいやいや。本来の目的をお忘れですか?
「わたしは園遊会で皆さんに楽しんでいただくためにパンを焼きたいんです」
「それは……わかってますよ、うん。もちろんです」
そんな真剣に強調されると信じられないな、逆に!
わたしの視線から察するものがあったらしく、エルフ校長は弁明の方向性を変えた。
「僕だって、ルルベルが焼いたパンを食べたいです。あと、里の皆にもたのまれたから、ちょっと余分に焼いてもらえますか?」
「えっ」
エルフに……わたしが焼いたパンを食べさせるの?
いや、そうね? すでにね? 校長先生とは約束した、約束したけどエルフ校長はエルフ校長だから! 日常だから!
それ以外のエルフの皆様は、やっぱりほら……エルフだから……。
わたしがキャパ・オーバーに苦しんでいると、リートが現実的な提案をした。
「今日、練習で焼いたのを持って行けばいいんじゃないか」
「エルフの皆さんに、わたしの練習作を食べさせるっていうの……」
「ほかにどんな解決策が? 園遊会本番に遊びに来てもらうとでも?」
カオス!
わたしは花いっぱいの温室――今のところ、つぼみいっぱいなのだが――にエルフがキラキラしながら出現するところを思い描き、あまりのまばゆさに目を閉じたくなった。意味ないよね、想像してるだけなんだから。むしろ想像をやめろ!
「さすがにそれは、難しいでしょう。人間の世界に平気で出入りするのは、僕くらいですしね。でも、そうか……ここまで来れば食べさせてあげるということにすれば、僕が独り占めできるのでは?」
エルフ校長は独占から離れて!
早く譲歩しなきゃまずそうなので、あわてて宣言する。
「……練習でできたパンが許容範囲だったら、里の皆様にさしあげましょう」
「試食は俺とナヴァトが頑張ろう。できれば肉も入れてほしい」
リートは肉から離れて!
「今のところ、干し葡萄のパンにする予定だよ」
なお、干し葡萄はエルフの里産ではなく、ファビウス先輩提供である。ほら、ワイン用の葡萄畑。あそこで高級干し葡萄もつくっているとかで、あれよという間に手配が済んでいた。
……ひょっとしなくても、エルフ校長と張り合ってらっしゃる模様。
とはいえ、ご本人は忙しくてパン焼き窯の火入れ――火じゃないけど――には参加なさっていない。
逆に問いたい。わたしにつきあうのが仕事の親衛隊はともかく、エルフ校長はなにやってんだ。忙しくないのか? どうなんだ、そのへん!
「腸詰めのまわりに薄手の生地を巻き付けてカリッと焼いたやつが好物です」
ナヴァト忍者が急に好物アピールしたのが、いちばんおどろいた!
腸詰めってつまりソーセージだ。そんなん急に数を仕入れるのは無理だろ。
「腸詰めか。いいね、持って来ようか」
無理を可能にしないでください校長先生! ……でも正直、わたしもナヴァト忍者のアピールのせいで食べたい気もちはあります!
「わたしが作ると、ふわふわ生地になると思うけど……薄手の生地って、うちのパン屋では扱ってなくて」
たぶんパイ生地系統のことをいってるんだよな?
パイ生地はねぇ、バターがたくさんいるんだよ。原価が上がって、ちょっと下町では手に負えない価格になるんだよ……。
ここなら原価ってなんですか状態のエルフ校長が都合をつけてくれるだろうけど、残念、わたしがまったく扱えない! 製法も知らん!
「ふわふわも美味しそうです。大歓迎です」
「腸詰めが入るならなんでもいいだろう」
リートよ。もはやパンの存在意義が危ぶまれる意見をありがとう!
「僕はルルベルが作ってくれるなら、なんでも」
校長先生ぃぃぃ……!
駄目だ、周りに流されないようにしなきゃ!
「腸詰めをパンと焼くのは、加減が難しいんですよ。破裂したりして」
「破裂してもうまいだろ」
「うまいです」
「とりあえず、ここにいる人数分調達しましたよ、ほら」
ほら、じゃないだろーッ! というツッコミすら追いつかない勢いで、エルフ校長が現物を……えっ、どこからどうやって持ち込んだの? ずっとここにいたよね? 瞬間移動? いったいどこの食料貯蔵庫から来たの、この腸詰め!
……結局、わたしは小麦粉にパン種を混ぜてこね、発酵させ、葡萄パンと腸詰め巻きを焼くことになった。
時間の関係で試行回数もそう多くはできないので――パンって発酵に時間かかるからさぁ――発酵の調整はリートに助力をたのんだ。
今は初冬。つまり、とても寒い季節なのだ。大温室とはいえ、パン種を置いておけば勝手に発酵するような気温ではない。本職のパン屋でも、発酵の調整は難しい。増してや、できたばかりのパン焼き窯、火力調整はエルフ……みたいな未体験の環境でうまく発酵をコントロールできるかっていうと! 自信なんて、なんもない。
といって、酵母と会話されるのも、ほんと無理……。
次善の策で、リートである。生属性、応用範囲が広過ぎじゃない?
「これもう、聖女とその親衛隊によるパンってことにしたらどうかな?」
「俺はともかく、ナヴァトはなにをするんだ?」
「パン種を捏ねるのとか、成形とか」
「頑張ります」
「わかった、頑張れ。で、校長は親衛隊に入れるのか?」
「入ってもいいですよ」
駄目だろ! でも火力調整はエルフ校長担当だからなぁ。
「校長先生は保護監督役ですよ。先生だもの」
「ルルベルがいうなら、そうしましょう」
「おい、最初の発酵はもうよさそうじゃないか? どうだ?」
「……うん、これで成形しちゃおう。でも、よくわかるね。もしかして経験者?」
「入学前にずっと観察していたからな」
「そういうことかぁ」
いや、それにしても非常識なレベルで要領がいい。パン屋にもなれるんじゃないの? と思ったが、伝えたらどうディスられるかわからないな……。
そんなことを考えていたら目の端に不穏な動きが映り、わたしはあわてて向き直った。
「パン種はくっつきやすいので、こうやって打ち粉をして扱います。ナヴァト様……じゃない、ナヴァトはこれをまず棒状に伸ばして……そうそう、十六等分してくれる? あっ、べたべたしてるようなら、打ち粉を追加して――」
ナヴァト忍者の打ち粉がダイナミック過ぎて、全員が粉まみれになるなどのイベントをこなしつつ。
試作パン第一陣が焼きあがった。ふっくら葡萄パンと、ふわふわ腸詰めパンである。
焼きたてのアツアツを並べて、好きなの選んでいいよって……いいながら、ちょっと緊張してる。なにしろパンを焼くのは久しぶりだし……そもそも、父さんにいわせると店に出せるレベルじゃない腕前だし。
「この腸詰めパンは俺が成形したから俺が食べる」
「いや、成形したら食べられるルールなんてないからね?」
「待ってください、里の皆にも送らなければならないのです。独り占めは禁止ですよ?」
「成形したぶんを食べていいなら、俺はこの天板の半分以上に権利があります」
「だから、そういうルールないから! まず一個ずつとって! それ以上は禁止!」
わたしが声を張り上げると、一応、場はおさまった。
全員が、熱そうにしながらパンをとって。よし、食べよう! ……どうかな?
わたしは葡萄パンから行ったんだけど、うん……えっこのレーズン最高か! さっと蒸して戻したせいか、パンのふっくら具合に負けないやわらかさ。しかもジューシー。うひょー、美味しい!
パンも……たぶんこれ素材がむちゃくちゃ高級なんだなぁ。さすがエルフの里から来た小麦粉。これなら誰が焼いても美味しくなるに違いない。
「うまいな。発酵の具合が絶妙なんだろう」
さすがリート、まず自分を褒めた! ナヴァト忍者は無言で食べている。エルフ校長は……見なかったことにしたいのだが、パンに頬擦りしてて食べてない。
「校長先生、パンはそういう使いかたをするものじゃないですよ」
「だって、もったいなくて」
「初代陛下とも一緒にパンを焼いたりなさったんですか?」
ふと興味を持って訊いてみると、エルフ校長はやさしく首を左右にふった。
「いいえ。我が友は、食べる方専門でね。ちょっと目を離すと、調理前の材料を食べてしまうくらいでしたよ。腹に入れば同じ同じ……という始末で」
さすが初代脳筋陛下、ワイルド!
当時のことを思いだしたのか、エルフ校長は、なつかしげに微笑んで。
「面倒になって、僕も彼と一緒に料理する前の材料を食べてしまったことがありますよ」
「ああ……料理って面倒なときはほんと、やりたくないですものね」
「あのときは自棄を起こしただけだったのですが、あれもまた楽しい思い出です。こうして誰かと一緒にパンを焼くのは、はじめてですが……これも、いいですね」
きっと忘れないんだろうなぁ、とわたしは思った。わたしが死んでも、リートやナヴァト忍者も誰もいなくなっても……エルフ校長は今日のことを覚えていて、だいじに思いだしてくれるんだろうな。
楽しい思い出にしてもらえたらいいな。




