281 それを待ち構えてる可能性が高くない?
わたしは予期していてもよかったと思う。
三枚目の便箋に浮かび上がった文字が――まったく判読不能であることくらい!
えっ、これ知らない文字だよね? 習ってもいないし。
もともと、わたしが読み書きができるのは下町の寺子屋みたいなところで習ったからであって、魔法学園に入ってから神秘の古代文字講座〜! みたいなのをとったりはしていない。我が国で一般に使われている文字以外、なんにも知らないのである。平民を舐めるな!
エルフ校長め……逆剥けを引っ張ったら思いがけずピリッと先までつながって痛くなってしまえ!
「どうすんの、これ……」
頭を抱えるしかない。だって、誰にも見せられないんだぞ。相談もできないじゃん!
それこそファビウス先輩に見せたら「ああ、これは○○文字だね、こう読む感じかな……正確な発音が知りたければ、いい参考書があるよ。現代語と対照してるから、わかりやすいはず」みたいに教えてくれると思うんだ。
思うんだけど、見せられない……。
いや待て……この字形、なんとなくどこかで見覚えが……きっと魔法の歴史を書いた本のどれかだ。
わたしはよくよく三枚目の便箋に並んだ文字を睨んで形を覚えてから、丁寧に封筒に戻し、抽斗にしまった。そして外套を掴むと――外は寒いからな!――実験室へ向かった。
「リート! いる?」
「どうした? なんだ、出かけるつもりか。もう遅いぞ」
リートはわたしを見て少し眉を上げた。たぶん、感心しないな〜、って意味。
「急いで図書館に行きたい」
「図書館も、じきに閉まると思うが」
「だから急いでるの。一緒に来て」
「そういう問題じゃない。もう夜が近いんだ。研究室を出るのは危険だ」
ああもう吸血鬼ぃ! 吸血鬼って逆剥けする? ……いや、そんなのどうでもいい。
「校長先生の宿題が、誰にも見せちゃいけないっていうのに知らない文字で書いてあるんだよ。もうほんっと、無理!」
「知らない文字?」
「誰にも見せない、読んで聞かせないって周到に誓約魔法まで使わされたのに……ひどくない?」
「大掛かりだな。なにを読まされてるんだ」
「だから、喋れないんだって! ……あ、いやそうか、そこは喋ってもいいんだった」
「早く教えろ」
「魔力感知を研ぎ澄ますための呪文」
「……は?」
「魔力感知を研ぎ澄ますための呪文、だよ」
「聞こえてる」
あっそう。聞き取れなかったのかと思ったよ!
「ファビウス先輩によると、今のわたしに必要なもの、って校長先生に渡されたらしいの。まさに必要! って感じじゃない? なのに、読めないなんて! もう、ひどい……ほんとひどい」
珍しくリートは嘲ることもせず。少し考えるような顔をしてから、こう告げた。
「呪文か。……だったら、古代エルヴァン文字かもしれん」
「古代エルヴァン文字?」
初耳ですね? 初耳です。教養ないからな、わたし!
「少し待て。この部屋で辞書を見た覚えがある」
リート……なんて使える男! 常時失礼でも許さざるを得ない!
外套を机の上に置いて、わたしは待った。リートは本棚の前でしばらく背表紙を眺めていたが、やがて一冊の本を抜き取って戻って来た。
「この文字だったか?」
開いたところに並んでいる文字は、まさに三枚目の便箋に書かれていたのと同じだ。たぶん。……いや、絶対そう。うん。
「この本、借りてもいいかな」
「いいだろう。俺の本じゃないがな」
偉そうに許可するリートの態度からは、俺の本じゃないが俺が許可することになんら疑問がないと感じ取れて、ほんっとリートってリート! と思った。
でもまぁ、今はそれが心強いよね。さっと正解の本を出してくれたのも。
「リートって、いろいろ知ってるのねぇ」
「古代エルヴァン文字くらい、この学園の生徒なら常識だろう。むしろ君は大丈夫なのか、この程度のことがわからなくて」
……うん、リートだな!
「上流の皆様みたいな教養はないんだから、大丈夫じゃなくてもしかたないよ」
「なるほどな。君はもっと本気で勉強しなければまずい」
ごもっとも!
「ところで、この辞書があれば発音もわかるかな?」
「そりゃ――」
と、いいかけた口を閉じ。リートは、わたしを眺めた。……そう、見るってより眺めたって感じ! なんか失礼!
「――発音記号は読めるか? いや、そもそも発音記号という言葉を知っているか?」
ああ。いにしえの前世学生時代に辞書で見た記憶はあるよ! 意味はわかる。
でも正直、今回の人生では見たことないなー!
「発音を正確に表現するための記号なのはわかるけど、読めるどころか、まったく知らない」
「だろうな」
リートは眉根を寄せた。弟が見たら、年食ったのか? 老けた? っていう。絶対だ。
「呪文って、読み上げないと意味ない……よね?」
「今から、発音記号を叩き込むしかないな」
「教えてくれるの?」
「選択の余地がないだろう。君の魔力感知復活は、優先順位が高い。ファビウスがいれば喜んで引き受けるだろうが、あいにく留守だ。俺しかいないのだから、俺がやるしかない」
「よろしくお願いします」
なんとなく、頭を下げてしまう。
すると、リートは尊大にうなずいた。
「俺にも益があることだ、引き受けよう。しかし、さっそく実践することになったな」
「え?」
「もっと本気で勉強」
……ああ! そういうことね!
「本気で頑張ります」
「まず外套を置いてこい。俺は水を汲んでくる」
「水?」
「発声練習をするんだ。すぐ喉が渇くぞ」
ぬかりなさに感心しつつ、わたしは外套を部屋に置きに行った。
実験室に戻ると、机の上に本が増えていた。
「さっきのが辞典で、基本単語はだいたい載ってる」
「こっちの本は?」
「文法書だ」
文! 法! 書!
「……ただ読めればそれでよくないの?」
「声の高低のつけかたが、意味で変わるんだ。我々の言語は、似た発音の単語でも強弱で区別したりするだろう。あるいは、同じ文章でも強弱のつけかたで微妙な意味合いを変えたり。それはわかるか?」
「……うん。そういうの、あると思う」
「それを、古代エルヴァン語は高低でやる。同じ単語で名詞と動詞の差をつけるために、発音が変わったりするんだ。だから、ある程度は文法をおさえて呪文の意味を把握しないと、読みかたを間違う」
なるほど……。
なるほどだけど、そこまで勉強しないといけないのか!
「ちょっと待って。これって今夜中に唱えたりするの、無理な感じ?」
「無理だろうな。だが、早くはじめるほど早く身に付くのも間違いない」
「それはそうだけど」
果てしない道のり過ぎて、気が遠くなりそうだよ。
わたしが呆然としているのを察したリートが、にやりとした。え、なにその悪い笑顔。
「奥の手もあるぞ」
「なに?」
「校長に泣きつく」
「……!」
なるほど……なるほどー!
エルフ校長なら、あの便箋が消えようが問題ない。だって呪文を知ってるんだもんな! もちろん、正確な発音だってわかるだろう。
わたしがたのめば、上機嫌で教えてくれる未来しか思い浮かばない……。
「どうする?」
「でもさぁ……校長先生、それを待ち構えてる可能性が高くない?」
期待されてるんじゃない? 全然読めません、教えてくださいって泣きついてくるのを、待たれているのでは?
「高いもなにも、一目瞭然だな。間違いない」
「なんでそんな……」
「君に、たよってもらいたいんだろう」
「……この文字って、身につけないといけない知識なんだよね? 魔法学園の生徒なら常識、って」
「そうあるべきだな」
ここで、エルフ校長にたよってしまったら。
わたしは古代エルヴァン文字とやらの勉強を、後回しにするだろう。単語のひとつも覚えず、発音記号の読みかたもわからないまま終わるだろう。自分がそういうタイプだってことは、よくわかってる。
でも、魔力感知はガチで取り戻したい。より早く、確実に。
うーん……ここは折衷案か!
「とりあえず、学んでみる。で、あまりにもわたしの理解や覚えが遅くて話にならなさそうなら、校長先生にたのむ」
「そういう計画でやってみるか?」
「やってみる!」
よろしくお願いします! と、わたしはあらためてリートに頭を下げた。
木曜日の更新はお休みとなります。
FANBOX 用のリクエストSS執筆の時間を捻出するためです。
ご了承ください。
今月は『聖痕乙女』のSSを書く予定です。
https://ncode.syosetu.com/n5100fy/
思ったより読み返し自体に時間をとられてしまい、まだなにも書けてないんですよね。
いや〜……長いですねぇ。
いま書いてるコレは、もっと長いですけどね……。




