278 月が綺麗ですね、で済ませようとするアレ
長い沈黙がおりて、冷たい風がわたしたちのあいだを吹き抜けた。
……なんでこんなことを口走ったのか、自分でもわからない。
でも、弁明せずにはおれなかったのだ。
三階の住人に、立ち去られたくなかった。見下ろしていてほしい、遠くからでもいいから。ときには歌う声が聞こえたり、なんとなく気配が感じられたりする距離にいてほしいのだ。
やがて、エルフ校長が口をひらいた。
「ルルベル、僕は思うんですよ。長く生きて多くの言葉を聞いても、それでもまだ、すべてを聞いたことにはならないと。今のは、ルルベル――僕は似たような話を聞いたことがあるけれど、君のような語りかたではなかったと、はっきりいえます」
どう答えればいいんだろう。
一方的なお願いにエルフ校長がなにを想うのか、わたしには見当もつかない。
「ただのお願いです。身勝手な」
「ええ」
「あの……聖属性持ちだからって、お願いをきいてくださらなくてもいいんです」
わたしは真面目に伝えたのに、エルフ校長は面白そうに笑った。
「それはね、ルルベル。何回も聞いたことがある台詞ですよ」
そっかー! なるほどな!
つまり、聖属性持ちはエルフに甘やかされるから。特別扱いし過ぎないでねってブレーキかけようとするんだな、わかる! わかるよ、その気もち!
「じゃあ、いわなくてもよかったですね」
「そんなことはないですよ。くり返しというのも、悪くはありません。ああ、こうだから僕は好きなんだ、聖属性魔法使いたちが……と、思えますからね」
さあ、とエルフ校長はわたしの肩に手をかけ、やさしく向きを変えさせた。
「もう中に入りましょう。体調を崩してしまっては困りますからね」
「平気です。丈夫が取り柄ですから」
とはいえ寒いのが好きなわけではないので、すぐ中に入ったんだけど。
わたしがお嬢様たちの対応をしていたあいだも聖属性魔力玉の扱いについての話し合いはつづいていたらしく、ジェレンス先生が首周りガードを作ったりしてた――吸血鬼は前世のイメージ通り、首筋に噛み付くらしいからね。
とはいえ、実際にガブーッとやるんじゃなく、キスするような感じでこう……魔法的に吸い取るのがスマートらしいよ。最近の軽症の犠牲者たちも、だいたいそういうのなんだそうだ。噛み痕ができてたら、ごまかせないものなぁ。
そのへんの手法? とかも、吸血鬼によって違うらしい。熟練の吸血鬼ほど、あまり傷をつけずに血だけ奪うのを善しとするそうだ。美学ってやつ?
そういう吸血鬼は魅了の力も強いんだって。……要は魔法がうまいってことかぁ。
「年を経た個体ほど魔法をうまく扱いますね」
「技術を研鑽する時間はいくらでもあるってことだよな……じゃあ、正面から勝負を仕掛けるのは分が悪いか」
「古い方式にこだわりがちなのは弱点かもしれません。未だに呪文詠唱を使ったり」
えっ。滅びたはずの呪文詠唱がまだ生き延びてるのか、吸血鬼界隈では!
ちょっとだけ、聞いてみたい……現場で見てみたいという欲求が湧いたことを告白せざるを得ない。
だってさぁ、中二のわたしが叫ぶわけ! 呪文詠唱はロマン! と。
「対抗呪文を用意できりゃいいけどな。どうせ、やつらのは独自規格なんだろ?」
諦めモードのジェレンス先生に、ファビウス先輩が答える。
「魔属性ですからね。我々には使えない、知識もない呪文でしょう」
「ま、詠唱中に仕掛けられるってのは助かるが」
「見えるところで唱えてくれるとは限りませんよ」
エルフ校長が釘を刺し、そろそろ時間だってことになって実働隊は出かけて行った。
吸血鬼、早く倒せるといいんだけど。
……なにを呑気なことを考えているんだ、わたしは。倒せるどころか、ジェレンス先生やエルフ校長がやられてしまう可能性だってあるのにな。危機意識よ、仕事しろ。
実験室の机をかたづけてぼんやりしていると、ファビウス先輩が様子を見に来た。
「ところで、君のクラスメイトたちはなんの用だったの?」
あ。そういえば、なんも説明してなかった!
「園遊会の出欠確認でした」
「……ああ。あれか。僕もすっかり忘れてたよ」
お忙しいですからな、無理もないですな!
「校長先生に出かけてもいいか確認したら、いいですよって」
「そうなの? じゃあ、僕も予定を空けておかないとな」
「温室を、満開の花でいっぱいにしてくださるそうですよ」
「楽しみ?」
「はい! ……ちょっと気は引けますけど」
ファビウス先輩はわたしの向いに座ると、頬杖をついた。……え、なにこれ。真正面からみつめられてるんだけど?
今日の眼の色は、かなり赤みがかって見える。魔性っぽーい!
「ちょっと妬けちゃうな」
「……はい?」
「僕以外の誰かに、そんなに期待してるの」
「え……だって校長先生ですよ?」
相手はエルフぞ? 歳の差どんだけあると思ってます? ……まぁ、結婚しようかって提案したら喜んで受けてくれそうな気がしないでもないけども……でもさ!
「校長先生だからだよ。今の僕に、彼に敵うところなんてないよね。知識、魔力、地位――」
「若さで!」
思わず即答したら、ファビウス先輩は眼をしばたたいた。睫毛が美しいですね……。
「そんなことで勝てても」
「でも、絶対的に勝てますし」
「もうひと声、なにかいってくれない?」
「え、なにをでしょう」
「僕の良いところ」
うーん……さすファビなところ? でもこれ、ひとことで表現するのは難しいな。
「いつも、とても考えてくださるところ、とかでしょうか」
「君のことを考えていない時間なんてないよ」
「……それは嘘」
「嘘ならいいんだけど」
いや〜、嘘だろ!
「ずっと考えてらっしゃるなら、お茶の時間に遅れたりなさいませんよ」
「考えて、ぼうっとしてしまう……っていうのは、駄目?」
ちょっと悪戯っぽい表情も、可愛い! はい可愛い、優勝!
でも駄目!
「駄目ですね。そんな風におっしゃらなくて、いいんです。考えなきゃいけないこと、たくさんおありなんですから……わたしのことは、思いだしたときに考えてくだされば、それでその……幸せです」
ファビウス先輩は眼を閉じて、大きく息を吐いた。
「……そういうの、ずるいよ」
「なにがです?」
「僕ばっかり君のことが好きみたいだ」
「え、そんなまさか。わたしだってその――」
これはアレだろ。す、っていわせようとしてるんだろ! しかも、す、だけじゃ許されないやつだろぉぉ!
ああもう頑張れルルベル! 度胸と根性と元気とスマイルだ!
「――好きですよ!」
勢いつけ過ぎて大声になった件。
ファビウス先輩はおどろいたように――ていうか、実際おどろかせただろうな――眼をみはり、それから微笑んだ。とろけるように。
「可愛い」
ぎゃーっ! やめてーっ!
「ゆ……勇気をふり絞ったんですから、もう勘弁してください」
「好きっていうのに、勇気がいるの?」
「はい……」
下町のパン屋の看板娘の常識的には、異国の王子様に好きっていうのは畏れ多くて無理だし。前世日本人としては、そう簡単にいわないじゃーん、好きとかさー。いや、口にするひとも、いるんだろうけど? でも日本固有の文化として! あるじゃん! そういう傾向が!
月が綺麗ですね、で済ませようとするアレが!
「じゃあ、頑張ってくれたんだね」
「そうです」
「ありがとう」
ストレートにいわれると、これがまた! 恥っずかしいにもほどがあるわ!
吸血鬼問題とか吹っ飛んじゃったよ!
「ファビウス様」
「なに?」
声が甘い〜! 甘々になってるぅ〜! 最高にイイ、でも恥ずかしい!
「これ以上こういう話題をつづけると、わたし……」
「どうなるの?」
「心臓が耐えきれなくて倒れます」
わりと本気の発言だったのだが、ファビウス先輩は楽しげに笑った。
「それは大変だ。無理させちゃってごめんね。じゃあ、君のことで頭をいっぱいにしないように気をつけながら、考えるべきことを考えるよ。君はもう休んで。今日は魔力を使い過ぎてるかもしれないから」
「ちゃんとまともな時間にお休みになると、約束してくださるなら」
「約束するよ」
そういうの、安請け合いっていうんだぞぉ!
この問題だけはファビウス先輩を信用できない。ナヴァト忍者に見張りをたのもう。




