277 リートに忠誠心って……概念として無理!
その夜、伯爵令嬢たちが研究室を訪ねて来た。
玄関先で応対するのもどうかと思うけど、中ではまだ実働部隊が聖属性魔力玉の活かしかたについて検討中だからね……お通ししづらい。
幸い、研究室は前庭もとても美しく仕立てられている。もはや初冬といっていい時期だけど、赤い実をつけた背の低い木や、常緑の大樹がいい感じに配置されている。葉を落とした木の枝振りもまた、もの寂しさはあっても見事なものだ。それに、冬に咲く花を植えた花壇もある。
まぁ……寒いのは、しかたない! 我が国の人間なら慣れてるだろ!
「お元気そうで安心しましたわ」
「ええ、ほんとうに」
快活なシデロア嬢の隣には、クールなアリアン嬢。……あ〜、眼福ぅ!
「ご心配をおかけしていたようで、すみません。先生がたに外出を禁止されてしまって」
「大人たちって、うるさいものですわね?」
「ほんとうに。わたしたちのこと、なんだと思っているのかしら!」
「指導しなければならない生徒だと思っていらっしゃるのでしょうね」
冷静に指摘したのはエーディリア様である。
ふふっ、とシデロア嬢が笑った。あらためていうまでもないが、可愛い。
なんだろう、この感じ。伯爵令嬢追加されてる方が、エーディリア様単独を相手にするより気楽な印象なの……間違ってない? 感覚がバグってるよな?
「シデロア様、お髪を短くされました?」
「……まぁ、わかってしまう?」
わかってしまう? も、なにも。前に話していたほどではないけれど、首筋が半分隠れる程度の長さにまとめられているのだから、気づかない方がおかしい。
「とってもお可愛らしいです」
「ありがとう。ルルベル嬢がいらしたら、お誘いしようと思っていたのよ。お揃いの髪型もいいかもしれないと思って」
「まぁ……それは」
伯爵令嬢のヘアーカットって、どこでどうやるんだろう? まさか伯爵夫人が「ちょっと座りな。肩に布かけて!」って切るわけじゃないだろう……髪結を使うとして、絶対に下町とは料金体系が違うし、無理無理無理! 誘われても無理!
「聖女様は、髪の長さも求められるかもしれませんわ。これから社交の季節ですし」
エーディリア様がおっしゃって、ナイス指摘! って思ったよね……。たしかに、聖女でございますってやるからには、古式ゆかしいロングヘアの方がイメージ合いそうな気がする。
「社会通念に従う必要ってある? ないでしょう? そんなもの、逆に従わせてしまえばいいのよ」
この発言は、アリアン嬢。やはりクールでいらっしゃいます。
かっこいいけど、わたしにはそこまでの覚悟はないな!
「ところで、こんな遅くにどのようなご用件で?」
「園遊会に来てくださるかを、伺いたくて」
「……ああ!」
すっかり忘れてましたという正直な答えは、すんでのところで飲み込んだ。やばい、そういや学園出禁にされてるんだぞ、どうしよう?
……という内心も押し隠し、スマイル召喚!
「お誘いくださって、ほんとうにありがとうございます」
「校長先生にも、あらためて確認しましたのよ? そうしたら、大温室はいつでも君たちの活動に満開の花で応えるよ……と、おっしゃって」
そういえば、そんな話だった! いやそりゃ温室に憧れはあるけども。
「僕を呼びましたか?」
って当のエルフ校長が出てきたのをふり返り、あっ、って思った。
校長先生、逆魅了が解けてる、解けてる! たぶん実験室で魔力玉をこねくり回し過ぎて、逆魅了の維持がおろそかになってる!
はっと気づいて伯爵令嬢たちの方に向き直ると、案の定、ぼけ〜って顔になってる! なお、エーディリア様ですら少したじろいでらしたことは、明記しておくべきだろう。エルフの美貌、おそるべし。
「校長先生が大温室の花を満開にしてくださるという話をうかがってました」
「ああ……」
わたしは横に並んだエルフ校長の袖を引っ張った。なに? って顔を至近距離でされて、わたしもクラッとしそうになるが、踏ん張れルルベル! 慣れてるだろ、多少は! エルフの里で手加減してないエルフをほかにも見たし!
「校長先生、お疲れですか?」
「疲れ? いや」
「お顔の色が」
顔色はむしろ、光りかがやいてるけども! でも、これでなんとか通じたらしい。
エルフ校長は微笑んで。それが合図だったかのように、美貌の光度が落ちた。光度ってなんだよと問われても困るが、ほんとにぴかぴかだったんだよ……。
「なんともないですよ。心配をかけてしまったなら、謝罪します」
「いえそんな……。それより校長先生、皆様から園遊会にお誘いいただいているのですけど……出歩くなといわれていますが、出席しても大丈夫ですか?」
エルフ校長は、かすかに首をかしげた。さらっさらの金髪が肩からこぼれ落ちる。
「ルルベルは、出席したいのですか?」
「満開の大温室を拝見したいです」
「なら、いいですよ」
いいのか! よし、言質はとった!
エルフ校長の気が変わらない内にと、わたしは急いで令嬢たちに伝えた。
「お許しが出ましたので、是非に」
「まぁ、楽しみですわ!」
「皆もルルベル嬢がいらっしゃるのを期待してますのよ。きっと喜びます」
「では、時間も遅くなりましたことですし。この朗報は明日、教室で皆とわかちあいましょう?」
エーディリア様がテキパキと仕切ってくださって、ごきげんよう、ごきげんよう、と令嬢たちは帰って行った。まさに、ごきげんで。
「……ウィブル先生に、叱られないですかね?」
「さあ。それより親衛隊の子たちは、どうです。仕上がって来ましたか、君の仲間として」
仕上がってる……。とは?
「あのひとたちは、はじめから優秀ですから」
「優秀なのは知っていますよ。ただ、かれらがルルベルをどれくらい本気で守ってくれるかについて、疑念があるだけです」
「でも、リートを雇ったのは校長先生でしょう?」
「彼の忠誠心については、なにも信用していませんよ」
うっかり笑いそうになったが、エルフ校長が真顔なのに気づいて我慢した。笑っちゃいけないところだと察したからである。
まぁな! リートに忠誠心って……概念として無理! はい解散!
「ナヴァト様は、お役目に熱心でいらっしゃいますよ」
「ええ。ですがルルベル、王族と君のどちらを救うかという場面になったとき、彼は誰を選択すると思いますか?」
今度はちょっと、笑えない。とはいえ、これも同意見ではあるけども。
ナヴァト忍者は王室への忠誠心が篤いように見えるし……優先順位はそう簡単に変わらないだろう。
そもそも、辞令はどこから来てるのって話でもある。
王宮騎士団は除名された。じゃ、王宮騎士団からの命令ではないのだろう。軍? それとも王様? どっちにせよ、ナヴァト忍者が従っているのはその命令だ。わたしではない誰かの命令を彼が優先するかもしれないことは、覚えておかねばならない。
……どうよリート。見てよこの危機意識! 成長してるじゃん!
「そんな場面に遭遇しないよう、気をつけたいです」
「気をつけたからといって――思うようにならないことの方が多いですからね」
急にそんなネガティヴなことをいわれても、反応に困るな!
でも……。
「校長先生は、たくさん、あったんですね」
「思うようにならないことですか?」
「はい」
「そうですね。思うようになることなど、あった試しがありませんよ」
そういって微笑むエルフ校長は、今にも消えてしまいそうに儚げに見えた。何百年も生きていて、この先もまだまだ生きるに違いないのに。
まるで、なにもかもを諦めてしまっているようだ。ああ、きっとそうだ――わたしは、わたしたちは、このひとに諦められているんだ。
そう思ったら、なんだか黙っていられなくて。
「校長先生」
「はい?」
「人間にがっかりなさったなら、見捨ててもいいです。きっと、たくさんの失望を経験なさってるんだと思いますし」
表情をなくしたエルフ校長を見上げて、でも、とわたしは言葉をつづける。
「わたしたちも、愚かなりに必死で生きてるってことだけは、わかってください」
「どうしたのです、急に?」
「目先のことしか考えられないし、ちょっと昔のことはすぐ忘れてしまうし、美しいものを産み育てて継承するより、破壊する方が得意な生きものかもしれません。わたしたちって、馬鹿なんですよ。平和を守るには間断ない努力が必要ですけど、成果は見えづらい。だって、そこにある日々がつづいていくだけだから。達成感もない。だから、わからなくなってしまうんです。それがどんなに儚くて、得がたいものか」
「ルルベル……」
「長い目で見られないんです。だから間違う。手遅れにしてしまう。でも、けっして世界を壊したいわけじゃない。自分たちがその道に進んでいることが、わからないだけです」




