273 貝の酒蒸しは出ることがあります
ナヴァト忍者は眼をみはった。わたしの提案の内容が、予想外だったらしい。
……ていうか、こんな表情してるとナヴァト忍者もまだ若いんだな、って思っちゃうな。体格いいし、声も低めのイケボだしで、妙に大人っぽく感じるけど。でも、クラスメイトだもんな……。十六歳を過ぎたら入学できるっていう雑なシステムのせいで、クラスメイトが同い年とは限らないけど……何歳なんだろ?
ナヴァト忍者が少年っぽかったのは、ほんの少しのあいだだった。すぐに、慎み深く目を伏せてしまって。そしたらもう、大人にしか見えない。
「過分なご配慮をいただき、感謝します。ですが、俺はいずれ騎士団へ戻ることが望みですので……爵位ではなく」
「わかりました」
よし、一応は伝えたぞ。まぁ、聖女の後押しとか口利きってやつが、どれくらい効果あるかはわからんけど……なんなら、ヤバい子爵で伯爵のファビウス先輩とか、もっとヤバいシェリリア殿下にお願いしてもいいわけだし。
でも、「騎士爵がほしいから騎士団にこだわってた」ってのが下衆の勘繰りだった場合、これはあらたな失礼クリエイションになっている可能性があるわけで。
あー、大変だなー! 違う文化で生きてきた人間同士のすり合わせ!
「その……わたしは平民生まれの平民育ちですので、貴族のかたがたのご事情はわかりません。いろいろと、失礼があるかもしれないです。でも、生まれに由来する無知から生じる非礼は……避けようがなくて……ですから、わたしが……うまくいえないんですけど、間違ってはいなくても失礼が過ぎる、みたいな言動をしていたら、教えてください。……あっ、もちろん間違っているときもです。よろしくお願いします」
これで伝われ! 伝わってくれ!
わたしはピンク髪の主人公ちゃんポジションだが、べつに常識をカッ飛ばしたいわけではないのだ! わきまえた言動はしたいが、前世日本人、現ド平民にとって、階級社会の上の方の人々とのおつきあいって、難易度高いんだよ!
……わたしの渾身のお願いをどう受け取ったのか、ナヴァト忍者はちょっと難しい顔をして。
「心得ました。ですが聖女様、さっそく申し上げてもよろしいでしょうか?」
「えっと、はい! もちろんです」
怖いけど! なんかあるなら教えてくれ!
「俺への態度がおかしいです。へりくだらないでください」
「……えっ」
「隊長を呼び捨てになさるのでしたら、俺のことも呼び捨てでお願いします」
待って待って。男爵様の次男を呼び捨てに!? 無理じゃない!?
「む……難しいですね」
無理、という表現は堪えたところを評価してほしい。誰かわたしを褒めてくれ。すごく頑張ってるぞ!
わたしはそこで、最高に褒めてくれそうもない存在であるリートを見た。べつに褒めてほしいからではない。それこそ無理だし。
「じゃあ、リートも……リート様って呼ぶことにしたらどうかな?」
「馬鹿か君は」
一蹴! ……まぁそうよね。
「隊長も、そういう態度はよくないと思います」
ナヴァト忍者が意見してくれたが、リートはこれも即座に打ち返した。
「俺は場面にあわせて発言できる。今は、馬鹿を馬鹿といっても大丈夫だ」
「よくないよ! もっとやさしく指導してほしい」
「やさしくすると、やさしさ手当てでも支給されるのか?」
容赦ない。ほんもののリートである。たまには偽リートでもいいのに。
「それはちょっと、支給できないかな」
「では期待しないでくれ。それと、ナヴァトの意見は正しい。君は俺たちにへりくだった態度をとるべきではない」
うぐぅ。リートの正論爆撃が炸裂した!
「おっしゃる通りではあるんですけど……わたし、平民ですし」
「俺も平民だ」
「リートはリートじゃん!」
「君はなにをいっているんだ?」
ほかに表現のしようがないでしょ!
「リートはなんかもう、リートっていう身分みたいな気がしてるよ……」
「リートは俺の名であって、身分ではないぞ」
こんなところでマジレスいらんわ!
でもまぁ……努力はしないとな。気が重いけど。
「ええと……ちょっと、呼び捨ての練習をしますね。いいですか?」
「……はい」
深呼吸して、わたしは頑張った。
「ナヴァト」
「はい」
ああ〜! 様ってつけたい、様って!
「すごく勇気がいります」
「勇気が問題なのでしたら、大丈夫です。聖女様は、勇敢なかたですから」
「どこがでしょう?」
「ウフィネージュ殿下と渡り合えるひとが、勇敢でないはずがないでしょう」
……あー! そういえば、あのときもナヴァト忍者いたんだな! 呼びに来たのがそうだもんな……あああああ。
「あれか……たしかにな」
「勇敢でいらっしゃいました」
「……忘れて! お願いだから、忘れてください!」
ナヴァト忍者が、くすっと笑った。
……くすっと? えっやだ、新たな側面をみつけてしまった気分である。このひと、こんな笑いかたもできるんだなぁ。
「いえ、感銘を受けましたので、記憶に刻みました」
「め……」
「め?」
「命令すれば、忘れてくれます?」
「命令は、命令らしい口調でお願いします」
「待て、忘れる前に詳しいところを聞かせてくれ、第三者視点で是非とも。俺は壁際に立ってて、ルルベルの表情を見てないんだ」
割り込んだリートには答えず、ナヴァト忍者はわたしを見た。
「聖女様、ご命令は?」
こっ……ここでそれ? それやるの?
いや頑張れルルベル、根性見せろ! そして忘れてもらうんだ!
「……忘れなさい!」
「かしこまりました」
命令の練習が、ちょっとヤンチャした過去を忘れろって内容なの、どうなのよ……。でも忘れてほしい。
「あれは、自分でもやり過ぎたとは思ってる……」
「どうでもいいだろう。どうせ、ウフィネージュ殿下は君の味方じゃない」
「敵をつくりたいわけじゃないのよ」
「そうは見えなかったが」
「忘れさせてぇ……」
ほんと。マジで。皆にも忘れてほしいけど、自分も忘れたいよね……。
「ま、君に先々のことまで考えて立ち回れという方が無理だろうな。周到さとは無縁だろう」
「そうはっきりいわれると、なんかムカつくけど否定できない」
「それが君のよさでもあると思えばいい」
うん?
ムカつくけど否定できないのが良さかと思って首を捻りかけたけど……違うな!
「素直にやっておけ、ってこと?」
「純朴さや、駆け引きができない率直さを好む者もいるということだ。ファビウスだって、そうだろう?」
「ファ……」
やめろやめろやめろ! そういう感じでファビウス様を持ち出すのは!
「隊長、そのへんにしてください。聖女様のお顔が真っ赤です」
やめろぉぉぉ! 恥ずかしいぃぃぃぃ!
「あなたたち、わたしをからかうと、ファビウス様のどこが素晴らしいかについていくらでも語るからね! おとなしく聞く覚悟はあるのね?」
「それは遠慮したいな」
「話を戻すよ!」
こういうのは勢いだ。さっさとごまかそう!
「どこまで戻すんだ」
「さっき自分でいってから気がついたんだけど、好き嫌いを知っておくだけでもなにかの役に立つ場面があるかもしれないじゃない? たとえば、わたしが貝が嫌いっていうのも、喜んで貝を食べてたら偽物だって見分けられるとか」
「あるいは非常に努力して食べているか、だな」
そういう場面が来ないことを祈りたい!
「リートは? 食べられないものはないの?」
「あまりないな。食べ物は食べ物だ」
「ナヴァト様……じゃない、ナヴァトは?」
「俺も特には……」
「で、君の好き嫌いの方はどうだ? 察するに、食べたくないものは貝だけではないだろう」
「それは俺も知りたいです。事前に手を回せば料理の変更もできますし」
……優秀! ナヴァト忍者が優秀!
「そんなこともできるのね……」
「できます」
「でも、その……王宮とかで出るような食べ物って、わたしよく知らないから。お祭りの屋台の貝だって、出ないでしょ?」
「貝の酒蒸しは出ることがあります」
出ないでくれ! たのむ!




