262 キュンってなんなの? 馬鹿なの?
「その程度か!」
こんな場面でも煽りを忘れないリート、さすがリートとしかいえないが……いえないが、やめてくれ!
相手は転生コーディネイターお墨付きの「物理最強」だぞ!
「やめて! やめてってば!」
わたしの命令……というか、懇願なんだけど、まったく効果ナシ。ギンッ、ガンッ、という金属がふれあう硬い音がつづき、それから耳をふさぎたくなるようなギギギギギィィィっていう、こう……擦る音?
なにが起きてるのー!
リートは防戦一方なのかな。忍者は姿を消してて、自由自在にあちこちから打ち込んでるけど……それを的確に受け止めてるリートが逆に怖い。
同僚であって敵ではないんだから、お互いに手加減してるんだろうけど――そうであってほしい、という願望でしかないにせよ――それにしても。見えない攻撃、どうやってしのいでるの?
ていうか、いつまでつづくのこれ! どっちかが疲れてミスしたら、えらいことになるのでは?
ギンッ! ガンッ! という音はつづく。
「ねぇ、ほんとにやめて! リートも……ナヴァト様も! 聞いて!」
「目にたより過ぎだ。見えなくさえなれば解決すると思っている。自分がそうだからだろう?」
聞いちゃいねぇ!
……でもなぁ。わたしの声で注意が逸れて、攻撃を受け止めそこねても困るし……どうしよう。ああもうほんと、どうしよう!
そして次のギンッ! が響いたところで、リートが消えた。
「え」
思わず声が漏れた。……どういうこと? リートは生属性オンリーだと思ってたけど……いつのまにか副属性が使えるようになってたとか?
当惑するわたしのすぐ近くで、ギンッ! が発生した。
思わずのけぞってしまう。これは逃げた方がいいのでは? という当然の対策を今頃になって思いついたが、でも……わたしがいなくなるとエスカレートする恐れがない? いくらなんでも、護衛対象には怪我をさせないように注意してるよな? その歯止めがなくなったら、ますますヤバいのでは?
「俺には、おまえの居場所がわかる」
リートの声が聞こえたのと、次のガンッ! が同時だった。それと、ナヴァト忍者のものらしき声。
「くっ……」
そして、さらに。
「……なにごと?」
ファビウス先輩が、実験室に入って来た。
やばい、まずい、今そのへん主戦場じゃない?
「駄目、逃げて!」
ファビウス先輩を部屋の外に押し出そうと、わたしは全力で飛びついた。つまり、タックルをかました……そのとき、腕にピリッと痛みが走った。
あー、やっぱヤバかったじゃん、間に合ってよかった!
……と思いながら、わたしはファビウス先輩ごと廊下に倒れ込んでいた。
「ルルベル? なにがあったの」
「えっと……護衛同士のこう……なんでしょうね」
ていうか、客観的に見て、うら若い乙女が男性を押し倒してる構図なわけで、これは……さっさと立ち上がらないとまずい。でも、身を起こそうとしたわたしの腕を、ファビウス先輩が掴んだ。
「痛っ……」
運悪く、さっきピリッとした場所だったので……大して痛いわけでもないのに、思わず声が出てしまった。
「……ルルベル! 血が……」
ファビウス先輩の顔色が変わってる。先輩の方が失血してるのかと思うほど青白い……あー、男の人って血に弱いっていうけど、それかな? 悪いことしちゃったな。
「大丈夫です、大したことないです」
できるだけ明るく答えてみた。傷のことなんて気にしてませんよ、って感じで。
ファビウス先輩は床に手をつき、わたしごと、ぐいっと身を起こした。そのまま先に立ち上がり、わたしに手を貸して立たせてくれた。それも、強引に引っ張ったりはせず、すごくやさしく。
「……突き飛ばしてしまって、すみません。お怪我はありませんでしたか?」
「僕は全然。それより――」
「あっ、中! 中、どうなってます?」
あわてて身を翻そうとしたわたしだったが、できなかった。なんでって、ファビウス先輩に抱き止められてしまったからである。
抱き……抱き!? うわぁー!
「ファ……」
「なにがあったかは、あとでゆっくり聞く」
頭越しに、ファビウス先輩が宣言した。今まで聞いたことがないほど冷たい声だ。
これは……えーっと……わたしじゃなく、やつらに向かっての発言だな? っぽいな?
話しかけてるってことは、ふたりとも見えるようになってるのかな。つまり、喧嘩は終わったと考えていいのかな……だったら安心だなぁ。よかった。
「それまで、この部屋を出るな」
直後に、わたしの背後でドアが閉まった。たぶん。抱きしめられてて、まったく動けないから見えないけど……たぶん。
ていうか、抱き……抱きーッ!
「あの……」
「傷を見ても?」
「だから、大したことは、全然――」
「見てもいい?」
ものすごい迫力で訊かれ、うなずくしかない。
「――はい」
「袖をめくるよ。ごめんね」
ああ、お高い制服の袖が破れてしまった……繕わないと……。
いやでも聖女的にどうなんだろう。破れたところを繕って着てるのってさ。下町なら当然、修繕して着るけどさぁ……聖女なんて身分のようなものだというリートの発言を踏まえると、そういう節約はよくないのかもしれない。だって、貴族の皆さんが、裂けた服を繕って着てるところ、想像つかないもん……。
「いっ……」
そんな馬鹿なことを考えていたら、不意に痛みが走った。ファビウス先輩が袖を引っ張ったせいだろう。
正直にいうと、少し前からじんじんしてる。つまり痛みはずっと感じているので、今さら声をあげる必要はなかったんだけど……我慢できなかった。不覚。
これじゃ、心配させちゃう。
「止血のために縛るよ。少し痛いかもしれないけど、我慢して」
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟でもなんでもいい。とにかく、僕を安心させて」
その声が、さっきのあの絶対零度って感じの声とまったく違って、なんだか不安に揺れているように聞こえて、そのぅ……すみません、正直いってキュンキュンしました。
キュンってなんなの? 馬鹿なの? でもキュンするー!
わたしが内心悶えているあいだに、ファビウス先輩は高級そうなハンカチでわたしの上腕部を縛った。止血が目的だから、宣言通り、ギューッと縛られたよね……でもまぁ、その痛みよりも実はじんじんの方が……傷は見てないけど、けっこういっちゃってるのかな。
「……安心できました?」
「まだ。すぐウィブル先生を呼ぼう」
「そんな大袈裟な」
同じことをいってしまった! が、ファビウス先輩の反応は違った。
「なにかあってからでは遅いしね。それに、これは叱ってもらうべきだと思う」
わたしは考えた。
リートはウィブル先生の弟子だ。そりゃ叱られる筋合いがありまくりである。
でも……ナヴァト忍者は? ただでさえ、騎士団からはずされるなんて話が出てたのに、この上……またなにかあったら。これは間違いなく騎士団を辞めさせられるのでは? ナヴァト忍者のライフプランが完全に崩れるのは間違いない。
そこまでのこと、わたしは望んでない。
「大ごとに、したくありません」
「駄目だ」
「ファビウス様、お願いです。わたしは無事なんですし」
「無事じゃないよ。無事じゃない……」
今度はファビウス先輩が、同じことをくり返してる。すごく心配させちゃったんだな。
「わたし、頑丈が取り柄の下町育ちですから! ほんとに平気です。わたしが急に動いたせいで、かれらもこう……太刀筋? を、変更できなかっただけですよ。だから、わたしが無茶をしたのが悪いんです」
「それをいうなら、僕があの部屋に入ろうとしたのが悪いってことになるよ」
おぅ。たしかに理屈ではそうなるな……。
「じゃあ、そうしましょう。あのひとたちも反省して、二度とこんなことはしませんよ。ね?」
ファビウス先輩は困ったように笑った。この顔、好き……どの顔も好きだけど……あっわたしはなにを考えてるんだ、やばいやばい、恋愛脳になってる!
「君の意見はよくわかった。でも、駄目」
……悪いなリート、ナヴァト忍者も! わたしの頑張りも、ここまでだ。こうと決めたファビウス先輩に、勝てる気がしない!




