261 悪いことをして叱られるとわかっている犬の顔
「そんな大層なものでは……わたしが駄目なやつだってこと、エーディリア様ならご存じじゃないですか。言葉遣いも、マナーも、一般常識も、魔力感知も」
動揺しながらも、せっせと弁明するわたし。
なにかがおかしいでしょ、なにかが! わたしはただのパン屋の看板娘だよ、聖女っていう看板も投げ与えられたけど重くて掲げられてないから! 引きずってる感じだから!
「よく存じてますけど、それはそれ、これはこれでしてよ。……ねえ、べつに皆、あなたを偉人だと思っているわけではないのよ。もちろん、多少は聖女というものに幻想を抱いている者もいるでしょう。それは否定できないわ。でも、あなたはその幻想も超えていく――」
「いやいやいやいや!」
相手が喋ってるのに遮るのは完全なマナー違反行動だけども! でも黙ってられないでしょ、これ!
予想の斜め上という意味で超えちゃってる場面はあるかもしれないが、そういう表現は違う! 違いますぅ、とエーディリア様の袖にすがって泣き落としたい気分である。
エーディリア様は、まっすぐな眼差しを逸らすことなく言葉をつづけた。
「――わたしだって、あなたのおかげで素直になれたの。あなたを見ていたら、ずっとしがみついていたお役目ってなんだろうって思えてきて……」
えっ? なんかそんな話とか、したことあったっけ?
まったく不意打ちの展開だったけど、エーディリア様もちょっと口をすべらせた感じだったのだろうか。あら、と軽く肩をすくめて。
「ああいけない、この話のつづきが知りたかったら、是非出席してね、園遊会」
そう来たかーッ!
「でもその……わたしの予定って、自分で勝手に決められるものでは……」
エーディリア様は、にっこりした。……あっ、さらに奥の手を繰り出してくる予感!
「大丈夫。ファビウス様にも確認してあるわ」
ぐはっ……。
胸を押さえて倒れてもいい?
「ファビウス様も出席してくださるそうよ」
すごい追撃来たー!
「ファ……」
「ファ?」
いかん。このままではルルルベルにつづいてファファビウスが爆誕してしまう!
自分を落ち着かせるために、一回、呼吸をととのえた。
「ファビウス様は、もう生徒じゃないですよね?」
「ええ。でも卒業生でしょう? もちろん校長先生もいらっしゃいますし、担任ですもの、ジェレンス先生もおいでになる予定ですわ」
「……まさかと思いますが、その……王女殿下がいらしたりは……?」
「殿下は卒業研究でお忙しくしていらっしゃいますもの。お誘い申し上げるのもご遠慮すべき時期ですわ。そこのところは、王子殿下にもよくよくお願いしてあります」
根回しスゲー! ぬかりがない!
「わかりました……あとでお返事しますね」
「ええ。では、お受け取りくださいまし。どうぞ、中をおあらためになって」
差し出された招待状は、上品なクリーム色のに金の縁取りがされたシックな封筒に入っていた。中身はカードで、開催日と開催場所が飾り文字で書かれている。主催はクラスメイト一同、代表してローデンス王子の署名があった。
「たしかに」
「では、色良いお返事をお待ちしておりますわ」
「はい……あ、お茶でもご一緒にいかがですか?」
「お誘いありがとうございます。申しわけありませんが、このあと予定がありますの。とても残念ですわ……お話ししたいことが、いろいろありますのよ。もしよければ、園遊会のときにでも」
にこっ。完璧な淑女スマイル!
……エーディリア様、強過ぎだろぉ! はい優勝!
立ち去る後ろ姿を見送りつつ、これもう出席の返事しちゃっていいんじゃないの? という気分を満喫しているわたしである。
「役者が違う、というやつだな」
背後から急にリートの声がして、わたしは飛び上がった。
「び……っくりした!」
「俺は招待されていないのか?」
「あ、えっと……ほら見て、この宛名書き。リートも名前がある。ナヴァト様も」
「……遺漏ないな。さすがだ」
「うん。でも、リートとナヴァト様もついでみたいになってるのだけ、ちょっと気になる」
「君は馬鹿か?」
……馬鹿かもしれないけど、馬鹿いうな!
「どういうことよ」
「俺たちは君の護衛だ。君が出席しなければ、俺たちも欠席に決まっている」
「あっ、そうか!」
たしかにー! たしかにそうだな、そういうことか。
認めたくないけど、馬鹿だったわー! くっそムカつく!
「これ、仕切ってるのはエーディリア様なのかな?」
「名目上は王子殿下だろうが、実務はスタダンスと見せかけてエーディリア嬢だろうな」
見せかけて……。それ必要? 必要なんだろうな。うーん。
「エーディリア様ご本人の優秀さが陰に隠れちゃうの、なんか嫌だな」
「優秀さを前に出すと、逆に生きづらくなるということもある」
「……リートから、そんな台詞を聞くとは思わなかった」
「そうか? 俺はそのへんは理解している」
「いやだって……」
リートって、忖度して誰かを立てるとか、しなさそう……。いや。いや? やるか。やるな。必要だと判断したら、やりそうだわ。
「優秀な人材が、遺憾なくその実力を発揮できる環境であれば、無論、その方がいいだろうとは思う。だが、世の中はそういう風にはできていない。非常に残念なことだがな」
「なんでなのかな」
「既存の価値観を修正するのが面倒くさい人間の方が多いからだな」
「既存の価値観?」
「わかりやすいところでは、女より男が優秀であるべき、王族や貴族が優秀であるべき……といった謎の常識だな。優秀でもないのに優秀さを求められるのも困るが、たとえば平民であるというだけの理由で実績がもみ消されるのは理不尽としかいえんだろう。だが、実際にはそういうことが起こる。平民がそんなに優秀なはずがない、という理屈が通ってしまう」
うーん……たしかに、あるかもしれないとは思うけど。
「そんなこと、頻繁に起きてるのかな」
「起きてるだろう。逆に、実力相応に評価されている平民がいたら、なんらかの後ろ盾があるか、よほど特殊な状況だと考えた方がいい」
「……わたしは?」
「君は実力不相応に評価されている。猛烈に特殊な状況だ」
容赦ないな! さすがリート。
「わたしも平民なのに、おかしくない?」
「聖属性は、あらゆる意味で貴重だからな。この場合、平民だという背景より、聖属性という面が強調される。それだけで、階級的に上に行けてしまうんだ」
「階級的に……」
さんざん意識改革をしろといわれてきたが、なんか……馴染まないなぁ。
「護衛が常時二名もついて、平民でございますは通らないぞ。君の身分はもはや平民とはいえない。聖女だ」
「聖女って身分なの?」
「そういうものと考えるべき、ということだ」
「……護衛が二名で思いだしたけど、ナヴァト様、いらっしゃいますか?」
返事はない。
やばい、と思ったわたしは、急いで実験室にとって返した。
「ほどほどにしてくださいって! 申し上げたでしょう!」
開口一番、こう叫ばざるを得ない。だって、ナヴァト忍者は実験室でせっせと基礎図形を描きまくっており、彼の前にはみっしり描き込んだ紙が積み上がっていたからだ。
はっとして顔を上げたナヴァト忍者は、あきらかに「悪いことをして叱られるとわかっている犬の顔」であった……ほんとに犬っぽい。そのうち耳と尻尾が生えてもおどろかないぞ!
悪いことをして叱られるとわかっている犬って、妙に可愛いよね……。くっ。その表情は、あざといぞ!
「寸暇を惜しんで練習するなんて。また手首を痛めたらどうするんです」
「それより、護衛が勝手に部屋に戻る方を叱るべきだろう」
リートが正論を吐いた。まさにリートである。
「……訪問者がエーディリア嬢だったので、心配はないと判断した」
「エーディリア嬢に化けた魔王の眷属だったら? あるいは、エーディリア嬢が吸血鬼の配下にされていたら?」
「あのかたに限って、そんなことはない」
そこは同意したいが、まぁ……吸血鬼に関しては、なんでもありだからな。なんでもあり。スタダンス様だって、完全にあやつられてたわけだし。
「気に食わんな」
「俺は君に仕えているわけではない」
……リートとナヴァト忍者、真っ向から睨み合っている。わたしに対してはゴメンナサイの犬って感じだったのに、リートに対しては全然そうじゃないじゃん。おまえ気にくわねぇぞ、やんのか? って雰囲気じゃん!
「護衛対象を放り出して、自分の修行を優先するやつがあるか?」
リートも完全に受けて立ってる! あと、やっぱ正論!
「ちょっと、やめて」
「……自分を何様だと思っているんだ」
俺様だよ! リートは俺様!
「ナヴァト様も、落ち着いてください」
「一回、わからせる必要がある」
ナヴァト忍者の姿が消え、リートがすごい速度で横に跳んだ。つづいて、どこから取り出したのかわからない短めの剣でギンッと音をたててなにかを受け止めた。
やばいやばいやばいやばい! 速度も存在も見えないレベルでファイッ! ってなってるよ、これ!




