260 わたしたち、あなたのことが大好きなんですのよ
完全にどんよりしてしまった忍者と呪符を描く練習をするのは、まぁまぁ地獄のような気がしないでもなかったのだが。
ナヴァト忍者は、ひたすら真面目だった。キコキコしていたはずの線も、なめらかさを獲得していた。腱鞘炎になるほどの練習が、きちんと成果を上げたのだ。
「たった一晩でこんなに上達なさるなんて、すごいですね。……ほんとうは、褒めてはいけないかもしれないですけどね。練習し過ぎなんですから」
「……まだまだです」
お、会話になった。
わたしはナヴァト忍者が描いた渦巻きの、中心部分に点を打った。そして、放射状に線を引いてみせた。
「こうやると、歪みがわかりやすくなるんですよ。……少し、右が広くなりがちみたいです」
「なるほど」
「右下に広がってるっていうか……なんだか重みがかかってるようになってますよね」
「はい」
「そこを意識して、練習してみてください。でも、少しでも手に痛みを感じたら、すぐやめてくださいね? 今日また痛めたのでは、ウィブル先生はもう治療してくださらないでしょうし」
ナヴァト忍者は、見るからにしょんぼりしてしまった。ウィブル先生の名前を出しちゃったから、騎士団から除名されるかもしれないことを連想したのだろう。
……それはほら! 自業自得ってやつだぞ!
とはいえ、あまりにも萎れてるっていうか……なんか気の毒になるレベルである。
「お茶でも淹れましょうか。美味しいお菓子があるんですよ。……あっ、ナヴァト様は甘いものはお嫌いだったりします?」
「好き嫌いはありません」
「じゃあ、お持ちしますね」
まぁ、お菓子もお茶もすべてファビウス先輩が出資してるんだがな。あー、そこのところ考えると、わたしも萎れてしまう。
いくらなんでもお世話になり過ぎっていうか……どう見てもお金持ちであるファビウス先輩にとっては、なにもかも端金なんだろうけど。でも、わたしにとっては違うのだ。この研究室に滞在すること自体、室料は? お支払いできる気はしませんが、無料ってわけにはいかないでしょ! と、思っちゃうのだ。
今度、それとなく話してみないと……お貴族様ってどうなのかなぁ、お金の話をするのはマナーとしてよろしくないような気がするけど、失礼にならない切り出しかたってあるのかな? まずエーディリア様にレクチャーしてもらうか……。
……なんてことを考えていた矢先である。
「ごきげんうるわしゅう、聖女様」
エーディリア様が、いらした! ドアを開けたわたしは、ぽかんとしたと思う。
「ご、ごきげんうるわしゅう……今、まさにエーディリア様のことを考えてたんです。びっくりしました」
「まぁ、そんなに大きなお口を……」
はっ! わたしとしたことが! っていうか、これがわたしらしい気もするけど、聖女らしさは微塵もなかったと思うので、勢いよく口を閉じた。そして、聖女スマイルと自分では思っているものを召喚した。
「失礼いたしました。おどろいてしまったものですから……。ところで、ご用件は?」
「招待状を持参いたしましたの」
招待状?
さすがに、注意されたばかりで大口を開けることはなかったが、気もちとしては、ぽか〜ん! って感じである。
招待状って、なんの?
「クラスの皆で話し合いましたのよ」
「……なにを?」
「台無しになってしまった舞踏会の埋め合わせ……でしょうかしら?」
「そういえば、ドレスがとっ……っても! お似合いでした!」
何日前の服を褒めてんだよって話だが、エーディリア様はさすがだった。
「まぁ、過分なお言葉ですわ。ですけれど、嬉しゅうございます」
ううーん、あふれ出る貴婦人感!
……いかんいかん、エーディリア様の美しさにうっとりしている場合ではない。
「でも、舞踏会の開催でしたら、お断りしました」
「存じております。ですから、ほかのことを考えました」
「ほかのこと、ですか?」
「はい。園遊会ですわ」
園遊会……。単語としては聞いたことがあるが、まったくご縁がないやつだ!
下町には存在しないし、前世だって……園遊会ってほら、テレビに映ることがある系のなにかでしょ。皇室のかたが、有名人をお招きになって、こう……なんかする! なにするのか知らないやつ!
「真昼であれば、吸血鬼も容易には手出しできないでしょう? ですから、温室を借りてはどうかという話になってますの」
「温室」
何回か説明してきたが、この国で温室といえば金と権力の証である。
今は初冬なので、もう寒い。戸外で活動すると、鼻水がたれてしまう可能性がある。温室なら……いいなぁ、温室。
「大温室というのがあるのを、ご存じかしら?」
「いえ、……いや、名前くらいは……」
以前ファビウス先輩が連れて行ってくれたのは、たぶん大温室じゃないやつだろう。そう、この学園ったら温室がいろいろあるのらしいのだ! わたしは行く暇ないからあんまり見物したことないけどな!
ええー、行きたい! 温室見たい!
「校長先生が管理なさっているそうで、それは見事なものですわ」
「すごそうです」
あんまり令嬢らしくない返しばかり連発している気はしないでもないが……エーディリア様も大目に見てくださっているようだし、今はちょっとそういうの考えるのやめよう。
それより、校長先生……?
「つまり、校長先生にご許可をいただいたということですか?」
「ええ。聖女様のお心を楽しませるためにとお願いしたら、こころよくお許しくださいました。日取りにあわせて、いくつかの花を満開にしてくださるそうですわ」
わぁー……。さすがエルフ校長、やることがエルフ。
「昨晩お会いしたときは、そんな話はひとことも」
「許可をいただいたのは今日ですもの。お昼にお話ししたら、快諾してくださったわ。いかがでしょう? とても気楽な催しにする予定ですのよ。制服でお越しくださいな。軽食と飲み物を用意して、温室の中で散歩したり……楽器の心得がある生徒が演奏もしますわ」
「そうなんですか? すごいですね!」
「楽団を呼ぶよりも皆が得意なことを披露する方が、聖女様に楽しんでいただけるのではないか、と」
「……」
読まれてる! 読まれてるよ!
エーディリア様は、隙のない貴婦人スマイルでとどめを刺しにきた。
「聖女様のためだけではありませんのよ。皆それぞれ楽しむつもりでおりますの。だって、舞踏会があんなことになったのは、やはり残念でしたもの。ですからね、聖女様がご出席なさらなくても、これはもう開催が決まってますのよ。ご欠席なさると催し自体がなくなって皆ががっかりするのでは……などと気に病まれる必要はありませんわ。どうぞ、お心のままになさってくださいな」
……この心配り! そうだよ、今ちょうどそれを考えてたよ……いろいろ準備してくれてるんだから、断りづらいなぁって。
もちろん温室での園遊会という異次元イベントには興味がある。興味あるけど、吸血鬼騒動がおさまるまで、自重しなきゃって気もちもある……。
「すぐにお返事しなくても大丈夫ですか?」
「もちろんですわ。でも、正直なところを申し上げて――ルルベル、あなたが出席すれば、皆がより心から楽しめると思いますわ。もちろん、わたしも含めて」
「……なぜでしょう?」
「わたしたち、あなたのことが大好きなんですのよ」
さらっと、火の玉ストレートな感じの台詞が来たぞ!
硬直するわたしに向かって、エーディリア様はやわらかく笑った。あっ可愛い。いつもは綺麗系なのに、くーっ、こういうのアレだろ! ギャップ萌えだろ!
「それがなぜだか、わかります?」
「え、いえ。今ちょうど、なんでだろうって思ってました」
「好意をくれたのは、あなたが先なの」
「……はい?」
「ルルベル、あなたが誰にも隔てなく、まっすぐ向き合うから。そして、あなた自身の中にも筋が通っていて、あなたについて行けば歪んだことにはならないと皆がうっすら感じているから」
……どんどんすごいことになってる! やめてエーディリア様やめて! わたしの……わたしのなにかはもうゼロよ。……この場合、HPって感じじゃないし……なに? なんだかわかんないけど、とにかくゼロよ!




