252 逃げても追いかけるから大丈夫だよ
「……それで、お嬢様たちがお昼を食べにいらっしゃる前に退散したかったので、シスコとは、あまり話せなくて」
深夜のお茶会で一連の顛末を報告すると、ファビウス先輩は優雅にカップを手にしたまま、残念だったね、とうなずいた。
「シスコ嬢なら、ここに招待してもいいんじゃない?」
「でも――」
お家の方から、若い男性の住まいを頻々《ひんぴん》と訪問するなどもってのほか! と叱られている話は、してもいいのだろうか……。いやぁ、いいづらいなぁ!
そこでわたしは、違う理由を持ち出すことにした。
「――よくないんじゃないかと思うんです。シスコのために」
「よくない?」
「シスコはすでに吸血鬼の標的にされています。舞踏会のとき。もう……これ以上、巻き込みたくないんです」
「……そんな風に考えられるの、シスコ嬢は好まないと思うけどな」
「わかってます」
シスコなら、気にしないっていうだろう。そういう子だもの。
だけど、わたしが気になるんだよ。
「君の気もちも、理解できるけど。でも、ルルベル……僕に対しては、そういう遠慮はしないでくれる?」
「え……っと」
そんな話、前にしたことあるな……。
――僕のことを切り捨てないって約束してほしい。
頭の中にその台詞がよみがえって、うわーっ! ってなったよね。うわーっ!
それ以外にうまい表現が見当たらぬ。うわーっ!
うわうわしているあいだに、ファビウス先輩も思いだしていたらしい。
「前に、たのんだよね。遠慮して、切り捨てないでほしい……って」
「……はい」
「たしか、今だけでいいから、っていったよね。僕」
「そうですね」
「延長してくれる?」
「はい?」
「君が僕を嫌いにならない限り――」
そこまでいって、ファビウス先輩は目を伏せた。
……伏せてくれて、よかったーっ! ちょっとわたし、どう反応していいか! わからん! どうしよう、ルルベル大ピンチ! どうしていいか! わからん! うわーっ!
「――僕に迷惑だとか、そういう理由で勝手に遠ざけないでほしいんだ。もう、今だけなんかじゃ満足できないから」
どうしていいか! わからん!
お茶を飲んでいたはずなのに、口の中がカラッカラである。思わず、手にしたカップの中身を一気に呷ったよね。なお、こんなところをエーディリア様に見られたら……と震えるくらいには、お行儀が悪い行為である。
カップが空になったその瞬間、ファビウス先輩が視線を上げた。伝家の宝刀、上目遣い!
「お願いだ、ルルベル。約束して」
「えっ……と……」
「君はすぐにそうやって、周囲の人間を遠ざけようとする。それはもう諦めるし、慣れるようにする。でも、僕のことを切り捨てるのだけは許さないって、知っておいて」
「は……はい」
はい以外の返事が選択できない圧力をかけられた!
許さない、とか!
返事をしてしまったものの、取り返しのつかない約束をしたような気分がすごい。
「……わたし」
「うん?」
「ほんとうに、苦手なんですね。誰かに迷惑をかけるかもって、思うのが」
「そうだね」
さらっと肯定されたーッ!
「なんかもう……ファビウス様にもいろいろ、難儀なことをさせるんじゃないかと思うと、頭が、わーってなってしまって」
「いちばん難儀なのは、魔王を封印し直すことだけど」
「うん……はい?」
「まぁ、そこは頑張るよ」
いい笑顔で宣言されてしまい、RTAまだつづいてんのか……と思ったことを告白しよう。
そこは忘れてくれてもいいというか、また無理をさせてしまうのではないかと怖いんだけど。
「誰かに迷惑をかけるのは、僕も苦手だからね。気もちはわかる」
「そうなんですか? ファビウス様が迷惑をかける側になるのなんて、想像つかないです」
「今、君に迷惑をかけてるよね。約束を迫ったりして」
「それは、わたしが……すぐ逃げ出すから」
って口走ってようやく自覚した。
そうか。わたし、逃げてるんだな。なんか、責任とかそういうものから。おまえのせいでこうなった、みたいなのが怖いんだ。
うん……すごく怖い。
「逃げないでほしいけど、まぁ、逃げても追いかけるから大丈夫だよ」
「……はい?」
「追いかけるから、大丈夫だよ」
リピートされたけど、そういう意味じゃない! 聞こえてる!
「逃げませんよ。って今、約束させられたじゃないですか」
「そうだけど、とっさに逃げそうだし。目を離すと逃げそうだし。最悪、校長に匿われそうだしなぁ」
信用がない!
でも、まぁ……そうだよな。最悪の展開も、あり得る。うわーってなったときにエルフ校長がそばにいて、とりあえずおいで、って招かれたらこう……行っちゃうかもしれないよね。エルフの里。
だって、エルフなら人間より死にづらいし……吸血鬼に襲われたりしないから。
「意外と、最良の選択かもしれないですね。エルフの里」
「そう思うなら、落ち着くまでエルフの里に隠れていてもいいよ。でも、終わったら探しに行くからね」
「……おかしいですよ」
「なにが?」
「終わったらって、魔王の封印ですよね」
「うん」
「魔王の封印は、わたしの役目じゃないですか。聖属性魔法使いの!」
「君なしで、なんとかできるように考えたいんだよね……」
はぃい?
「やめてください!」
「世界の構造が、聖属性魔法使いに期待をかけ過ぎなんだよ。責任も。すべてを背負わせるように、できてる。そう思わない?」
「そりゃ……しかたないです。だって、聖属性魔法がなければ、魔王や眷属に対抗できないんですから」
「聖属性魔法使いは、ただの人間だ。ルルベルは僕にとって、可愛い女の子だよ……先頭に立って魔王と戦うことなんて、させたくない。だから、それを回避する策を考える。考えずにいられるわけがないだろう?」
「でも」
「役に立ちたいって思ってるのは知ってるよ。そういうところも好きだしね。だけど、魔力感知もできないのに前線に立つのは無謀だ。それくらいは、認めるよね?」
まぁ……そりゃそうなんだけど。その通りなんだけどさぁ!
ていうか、さりげなく好きとかいうワードを混ぜないでくれないかなぁ! 恥ずかしい!
「……魔力感知を取り戻す方法って、ほんとうに知られてないんですか?」
「僕が知る限りでは、まともな文献はないよ。それに――」
ファビウス先輩はカップを置いて、両膝の上で手を組んだ。
俯き加減になると、長い髪がさらりと肩からこぼれる。う〜ん、絵になる!
「――正直いって、君に魔力感知を取り戻してほしくない気もちもあるんだ」
「えっ?」
「馬鹿な考えだってことは、わかってる。そんなの危険過ぎるからね。でも、魔力感知が戻らなければ、それを理由に君を安全なところに隠しておける。……ほんとうは、ずっと僕の腕の中に閉じ込めておきたい」
……うわーっ! の大群が頭の中を駆け抜けていく。これはもはや暴走である。うわーっ! うわーっ!
頭の中が、うるさーい!
「禁止されてなかったら、今すぐ抱きしめるんだけどな」
「……わたし、そのまま……おとなしく閉じ込められてるでしょうか?」
「たぶん無理だね」
そういって、ファビウス先輩は困ったように笑った。
可愛い。……可愛いって思っちゃうじゃん、どうしよう!
「でも、逃げても追いかけてくださるんですよね」
「そうだよ」
こともなげに答えるファビウス先輩を、好きだなぁ、って思っちゃう。
相変わらず心のどこかで、これは夢なんじゃないかとか、このひと誰を相手にしてもこんな感じなんじゃ? と疑う気もちもあるんだけど……でも、なんかもう……いいや。
たぶんそれも逃げなんだ。好きになられるほどのものじゃないって気づかれて、がっかりされる前に……逃げたいだけなんだろうな。
「諦めないでくださいね」
「……どうしたの、ルルベル」
「ちょっと、不安になりまして」
「やっぱり抱きしめたら駄目?」
「駄目です」
「そこは譲れないの? 強情だなぁ」
苦笑するファビウス先輩に、わたしも笑顔を向けたけど。
自分という人間の弱さをごまかしたら駄目だな、って。そう思ったんだ……。




