246 もう駄目だ……ほんとに駄目だ、もう駄目だ
まぁその……来客がみんな帰って行くと、いつメンが残るわけですよ。
つまり、ファビウス先輩、リート、わたし……である。
で、リートときたら。
「では、俺はもう休ませてもらいます」
いかにも、気が利く俺! みたいな顔して――いや、いつも通りの顔だけども、わたしにはわかる! リートに慣れ過ぎたせいだ!――自室として割り当てられている部屋に引きこもってしまった。
あの……これ……どうすれば?
「ルルベルも、早く休むといよ。疲れたでしょ?」
ファビウス先輩は、なにごともなかったかのような態度である。いやもうずっとそう。
わたしのことを、す……好きとか口走ってた気がするけど、やはりあれは夢だったのではないだろうか?
「いや、その……」
「その?」
「ファビウス様が、きちんとお休みになるのを見届ける義務がありますので」
「ああ、そうだったね。じゃあ、その時間にほら、寝る前のお茶を淹れてくれる?」
「えっと……藍色の缶に入ってる香草茶ですよね?」
「そう。星空の缶。よかったら、中庭で一緒に飲もうよ」
「わかりました」
ファビウス先輩は、それは綺麗な笑顔でこうつづけた。
「壁が透けてる場所じゃないと、ふたりきりになるのは不安だからね」
「……はい?」
「魔王を封印したら許してもらえることを、封印前にやりかねないって意味。困るでしょ?」
ひゃいぃ?
顔がボッと音をたてたかと思うほど熱くなったよね!
もうほんっと……ほんっと! なに! この魔性!
「君が僕を受け入れてくれて嬉しい」
黙れ魔性!
「う……受け入れてるとは、限らないと思います」
「そう? でも、あのときの誓約魔法、まだ解いてないよ」
「誓約……」
「魔性先輩の命が軽いやつ」
ぎゃー! その表現は!
「……忘れてください」
「嫌だ。君のことは、なにひとつ忘れたくない」
黙れ魔性、第二回!
駄目だ、これ以上なにか喋っても、なんかこう……弄ばれるだけだ!
「では、後ほどお茶をお持ちしますね」
「楽しみにしてるよ」
いちいち意味深に聞こえるのは、わたしの心が駄目だからですか! それとも魔性先輩が魔性先輩だからですか!
もうやだー! ぎゃー!
わたしは退却を決めた。心臓が保たないし、顔面の血行がよくなり過ぎるのも困る。熱い! 正直、夏ですかってくらいだよ……。
お風呂を使わせてもらってから部屋にこもり、ジェレンス先生に叩いたり伸ばされたりした勉強を進めようとした。
当然、無理である。
無理だよ!
頭の中でリートの声がリピートする。
――両思い。
いやぁぁ! 嫌じゃないけど、叫びだしたくなるよね!
あと、どうしてここでリートの声なんだよ……ファビウス先輩の声にしてくれ。つまりその……あああアアアアア!
駄目もう駄目、ほんと駄目、無理無理無理!
「結局、危惧した通りになってんじゃん……」
できるだけ小さい声で、つぶやく。
そう。
頭の中がファビウス先輩でいっぱいになってしまい、ほかのことがなにも考えられないのである!
いいのか聖女がこんなんで!
恋愛脳のお花畑でキャッキャしてる聖女なんて、とてもお出しできないですよ、皆様の前に……。このままどこかに隠れてしまいたいが、そう思った瞬間、エルフ校長が頭の中に出てきてエルフの里を隠遁先に推薦しだしたので、ちょっと正気に戻ったよね。
隠れてどうする。
頑張れ。せっかくその、両……両……なんだから!
――両思い。
黙れリート!
そんなこんなで悶々としているあいだに、ファビウス先輩にお茶を淹れる時間になってしまった。
もう駄目だ……ほんとに駄目だ、もう駄目だ。
りょ……両……無理ぃ……。
中庭にお茶の支度をしてもファビウス先輩は部屋から出て来なかった。
……こういうとこ、ファビウス先輩はマジでファビウス先輩である。つまり、研究に熱中すると、時間の感覚がふっとんでしまうらしい。研究室に住まわせてもらうようになって実感した。へたをすると、社会生活が送れなくなるレベルだと思う。
また倒れているんじゃないか、いやそんなまさか、と思いながらドアをノックすると、すぐに応答があった。
「ごめんごめん、すっかり夢中になってしまって」
「お茶の準備ができてます」
「うん……」
なんか名残惜しそうだな。つまり、研究のつづきをやりたそうだ……。
「お茶が冷めてしまいますよ」
ようやく部屋から出てきたファビウス先輩は、眼をほそめてわたしを見て。そのまま、動かない。
「……ファビウス様? どうかなさいました?」
「恋人が迎えに来てくれるのって、こんなに嬉しいんだなって思ってたところ」
「こ……!」
顔アッツ! アッツッツ! 今なら目玉焼きが焼けそう!
「恋人って呼んじゃ駄目?」
「も……もちろん駄目です!」
「もちろん、かぁ。……エスコートくらいは許してくれるよね?」
「ひ、ひとりで歩けますし」
「僕が歩けない」
駄目もうほんと駄目この魔性!
「でしたら、カップだけ持って来ましょうか?」
あまりのことに逆に冷静になった顔で質すと、ファビウス先輩は笑顔になった。つまり、魔性っぽくない、楽しそうな顔である。
「君のそういうところも好きだよ」
んんんんんーっ! せっかく出現した冷静さ、一瞬で蒸発!
「あまり、からかわないでください。ファビウス様は慣れてらっしゃるかもしれませんけど、わたしは……」
「慣れてたりしないけどな。……これは重要なことだから覚えておいて。僕はちゃんと、本気だからね?」
「……はい」
やっとの思いでわたしが答えると、ファビウス先輩は少し困った顔をした。
「ごめんね。浮かれてるんだ。笑っちゃうよね?」
「浮かれてるんですか?」
「そりゃそうだよ。好きな子が、僕を好きなんだよ? これで浮かれないなんて、無理だ」
いやぁ……。
そうおっしゃられましても。なんでこのひと、わたしでいいの? ほんとにそうなの? なんかの間違いじゃない?
疑念は尽きないし、そもそも浮かれてるファビウス先輩っていう概念が公式との解釈違いを起こしそうである。えっ、そんなのあり得なくない? ファビウス先輩が浮かれるとか!
「……でも、調子に乗ったらまた避けられちゃうし、話しかけても返事をしてもらえなくなるよね。わかってるんだ……わかってはいるんだ。できるだけ、そういう話題にならないように気をつけるから。一緒に、お茶を飲んでくれる?」
「それは、約束ですし」
「うん。……よし、切り替えた。じゃあ行こうか」
夜の中庭は、外の寒さを感じさせない場所だった。寒々しい夜空が見えているのに、春のように暖かい。
なんだか、ぜんぶ夢みたいだ……。
「ちょっと考えを整理したいから、僕の独り言を聞いてくれる?」
「えっ、独り言ですか?」
「会話にすると、変な方向に行ってしまいかねないからね。自制のために、独り言ってことにしたいんだ。もちろん、君も返事をしてくれていいんだけど。ただ、お互いにその……そっちには踏み込まないように気をつけよう。それでいい?」
「はい」
「ありがとう。……魔王の復活について考えているんだけどね」




