242 魔王封印のRTAでもするつもりか!
夕方、わたしとリートは研究室に戻った。
研究室では、測定しながら魔力玉を作成したり、リートが持ち歩いた魔力玉の残存量を確認したり、呪符を描いたり……まぁ、いつも通りに忙しい。やることがあるのは、助かるよね。
ぶっちゃけ、わたしの態度は不審なままだが、ファビウス先輩は変わらない。
「ちょっと線が歪んできたね。疲れたんじゃない? 少し休もうか、ルルベル」
……怖い。何者なんだ。さすファビか。さすファビ案件なのか、これも!
わたしも通常営業の返事をしたいところだが、うまく声が出ない。
黙っているのも駄目だと思うので、口を開きはしたんだけど。ん? って顔で見られると、声が出ない。出ない!
「お茶を淹れてきます」
あっ、リート……リートめ、裏切るな! いかにも拙者は気を利かせますぜみたいなムーヴかましてるけど、おまえ立ち去っても聞いてるだろ、知ってるんだぞわたしはーッ!
ファビウス先輩が、小さく息を吐いた。
「ルルベル、教えてほしいんだけど。……僕、嫌われちゃった?」
「ひゃいっ?」
あっ、変な声が出た!
……と思ったのだが、ファビウス先輩は笑わなかった。というか、こっちを見てすらいない。わたしの隣に椅子を寄せて、座る――こっちを見ないということは、完璧な造形の横顔を堪能できますな。いやぁ、いつ見ても美しいですな……。
「もし君が僕の姿を見たくないようなら、作業中、ほかの部屋に移動するけど」
はい? 今まさに、美しいですなとか思ってたところですぞ。
「そんなことは……」
「じゃあ、話もしたくない、とか?」
えっ。……これ、勘違いされてるのでは?
そうだよな。リートでさえ感じた空気の悪さ、ファビウス先輩が感じないはずないよね。気を回した結果が、この提案だ。嫌われてるなら部屋を出ようか、っていう。
これは駄目だ。絶対、駄目だ。誤解を解かなきゃ。
嫌われるのは嫌だって、わたしは知ってるんだから。相手が誰だって、嫌われるのは凹む。
頑張れ。ちゃんと否定しろ、ルルベル。恥ずかしくて言及できないとか、むしろその方が恥ずかしいわ! 自分のことばっか考えてんな、相手の身になれ!
「そうじゃ、ない……です」
「ほんとうに? 無理してない?」
「見たくないとか、話したくないなんて……思ってない、です。嘘じゃありません」
精一杯の回答をしたあと、わたしは俯いた。ファビウス先輩がこちらを向くんじゃないかと思って。
そのまま、暫しの沈黙。
勇気を出して顔を上げると、ファビウス先輩はやはり横顔を見せたままだ。
「昨日、君を抱き寄せたりして、調子に乗った罰だな」
「……罰だなんて」
そもそも、罰を与えられるような立場じゃないよ!
どう弁明するのがいいか考えているあいだに、ファビウス先輩が先をつづけた。
「距離を置きたいんだよね? 僕と」
「それは……」
置きたいけど。
置きたくないんだよ。
うわぁ、めんどくさいよ、自分が! そこへ直れ! 成敗してくれる!
「魔王の封印がかなうまで?」
「え、……はい、それがわたしの使命ですし」
「使命を果たしたら、前みたいに話しかけてくれる?」
これは……難しいぞ。
意識しちゃったからさ〜……もう自然体で話すのって無理なんじゃ?
こういうのって慣れるの? 世の中の恋する乙女は皆これをどうやって乗り越えるの?
「ぜ……善処します」
「もうひとつ、訊いていい?」
「はい?」
「君は僕を嫌いじゃないって思っていいんだね? 僕が……君の迷惑になったりは、していない?」
「そんなの……」
嫌いじゃないどころか、す、ですけども! 迷惑ではあるよね、ほかのことが考えられないから!
ファビウス先輩は、ゆっくりとこちらを見た。
完全に油断してたので、うわぁ、ってなったけど……でも、ちゃんと答えなきゃ。ちゃんとって、どんな? どう答えるのが誠実なの? 誤解を解けるの?
「その……」
「相手が君でなければ――」
魔性を真正面から浴びてしまい、わたしは硬直した。なお、ダジャレではない。偶然だ。今、そんなの考えてられる状況じゃないし!
ていうか、ファビウス先輩これなんらかの魔法使ってない? 吸い込まれるような目力、まるでブラックホールである。
「――答えなんか待たないで、くちづけてしまうんだけどな」
な……な……なにいってんの、このひとー!
呆然とするわたしに、ファビウス先輩は寂しげに微笑んで見せた。やめろやめろ、そういう憂愁に満ちた表情、似合い過ぎるからやめろ!
「でも、くちづけるなら君がいいんだ。君に、そうしたい」
硬直時間が延長されました――えっこんなの無理じゃん。無理じゃん! なにがどう無理かはわからんけど、わたしの感想はただひとつ!
無理じゃん!
「む……無理です!」
「君が無理だというなら、諦めるよ」
あっさりそういって、ファビウス先輩は爽やかじゃない笑顔を見せた。
つまり、魔性の笑顔である……やばい、やばいやばい。無理!
「見ないでください」
「それはちょっと、難しいな。善処はするけど」
「わたしなんか見ても、なにも面白くありませんよ」
「どうして?」
「どうして、って……」
「むしろ、君だけを見ていられたらいいのにな」
なにをいいだすのか、この魔性ー!
「ファ……ファビウス様、今日、おかしいです」
「複数方面から、もっとちゃんと意思表示しろと叱られたんだよね。だから、君が勘違いしないようにと思って」
「か……」
「僕は君が好きなんだよ、ルルベル」
このとき、わたしは間違いなく阿呆面を晒していたと思う。
いや……なにか聞こえた? 幻聴かな。
そうか、ファビウス先輩に好きになってほしくて、夢をみてるんだ。
「伝わった?」
これは夢だ……。
ぼうっとしているわたしを見て、ファビウス先輩は困ったように笑った。あっ、ちょっと魔性がゆるんだ……助かった……。
「まぁ、最速で魔王を封印しちゃおうか」
……なんて?
「あの、それはどういう……」
「魔王を封印するまで、お預けなんでしょ? じゃあ、早く封印するしかないよね」
そんな簡単に。角のパン屋の新商品が気になるんなら、買ってきて食べてみるしかないよね、みたいな!
ちなみに角のパン屋は商売敵であった……が、価格を下げるために小麦粉に混ぜ物をし過ぎて、つぶれた。当初は、いいパン焼いてたんだよ。みるみる落ちていったの、なんか残念だったな……競合相手ではあったが。
……いや。なに現実逃避してんの!
ファビウス先輩、魔王封印のRTAでもするつもりか!
「そんな、無理です」
「君は、早く魔王を封印したくないの?」
「え……そりゃ、そうなれば……でも無理です。今以上に忙しくしたら、また倒れますよ」
「わかってる。君が監視してくれるなら、ちゃんと食べるし、休むよ」
だから、といってファビウス先輩はまた魔性の上目遣いを決めてきた。うわぁぁぁぁ、無理ぃぃぃぃ。
「僕のこと、君の視界に入れてほしい」
「入ってますよ!」
真正面からみつめておいて、なにぬかすんじゃー!
「話しかけたら無視しないで答えてくれる?」
「答えられるときは!」
「なんで叫ぶの」
「勢いつけないと喋れないからです!」
「なにそれ」
はは、とファビウス先輩は声をあげて笑い、それから立ち上がった。
「じゃあ、僕は魔王の復活位置を割り出す計算に戻るよ。呪符は、ここにある紙がなくなるまで描いてね。魔力量の計測は自動化してあるから、僕がいなくても大丈夫――ああ、お帰りリート。聞いてただろうけど、ルルベルの魔力残量に気をつけて。危険域に達する前に警告音が鳴るようにしてあるから、ルルベルを止めてくれ」
「わかりました」
リートが持って来たトレイから、さっとティーカップを取り上げると。ファビウス先輩は部屋を出て行った。
……なんか……今、なにがあったの? いったい、なに?
混乱するわたしの前に、リートがティーカップを置いた。
「よかったな」
「なにが?」
「両思いだと確認できただろう?」
リートの口から聞くと思わなかった言葉に、わたしはまたしても硬直してしまった。
うっそ……。いやまさかそんな。えーっ!




