240 国一番の生属性魔法の無駄遣い
午後はジェレンス先生が姿をあらわし、また生徒ひとりずつの進度を確認、罵倒したり褒めたり伸ばしたり叩き潰したりを効率よくこなして去って行った。
わたし? わたしは叩き潰された上で伸ばされた。先生、生徒はパン種じゃないです!
「ジェレンスも頑張ってるわねぇ」
「わたしも頑張ってます」
「もちろんよ。自分のこと、認めてあげてる?」
「機会があり次第、認めてます」
今日も今日とて、ウィブル先生に治療してもらうために保健室に来たのだが。
書類仕事が立て込んでいるとかで、わたしは座って待っている。ウィブル先生は猛然となにかを書きつつ、わたしが暇にならないように気遣ってか、たまに話をふってくれるんだけど……よく会話しながら文字を書けるな。特殊能力? これも生属性魔法使いのなんらかの力なの?
「先生」
わたしの後ろに立っていたリートが、不意に発言した。
「なにか?」
「腹が減ったので、なにか食いに行ってもかまいませんか。つまり、ルルベルの警護をおまかせしても?」
「あっ、そうなんです先生。昼食のとき、リートはこう……護衛っぽく後ろに控えてて、昼休みが終わったらそのまま教室に戻って……だから、なにも食べてないです。……護衛って、どのタイミングで食事するものなんですか?」
「護衛対象から目を離してもかまわないとき、ってことになるかしらね」
「今日の場合であれば、君があの令嬢たちとの会話を切り上げてくれれば、俺が簡単な栄養補給をする隙を作ることができただろうな」
「……ごめん」
でも、あのお嬢様たちの会話の輪から、どうやったら逃げ出せるのか。次から次へと「ルルベル嬢は?」が来るんだぞ。
「しかたないわね。行ってきなさい」
「よろしくお願いします。そうだルルベル、俺が留守のあいだに相談しておけ」
「相談って、なにを?」
「ファビウスのことだ。明日も今朝のように空気が悪くなるのは御免だ。解決策を考えてもらえ。俺の初恋体験を聞くより役に立つだろう」
わたしとウィブル先生は、え、という形に口を開いてリートを見送ることになった。
爆弾を投下した本人は、さっさと保健室を出て行ってしまったわけで……。
先に動いたのは、ウィブル先生だった。こめかみに手を当て、ええ〜、と小さい声でつぶやく。
「待って待って。今、なんだか……すごくわけのわからない情報が入って来たんだけど」
「無視していいと思います」
「そんなの無理でしょ? 無理よ。リートの初恋体験って、なに?」
やっぱ、そこか。
「初恋は経験済みだというから、教えてもらいました」
こめかみに当てていた両手が頬のあたりまでずり落ちて、ウィブル先生は、口を大きく開けた。開けただけで、言葉は出てこない。
かなりの衝撃に襲われているようだ。気もちはわかる。
「大した内容じゃなかったですけど、勝手に話していいか、わからないので……」
「大丈夫、音声が漏れることはないわ!」
国一番の生属性魔法の無駄遣い……。
「食欲でした」
「なにそれ。食べ物に恋したの?」
「売り切れになった串焼き肉を譲ってくれた女性に、一目惚れしたそうです」
「はぁ? どこの誰?」
「知らないんですって。調べてもいないそうです」
「……そんなの初恋とは認めないわよ!」
デスヨネー。わたしも思うわ。
ウィブル先生は両手を膝の上に置いてから、身体の向きを変えた。
「書類仕事は後回し。で? 空気が悪くなる? ファビウスと喧嘩でもしたの?」
そっちも追求しちゃうのか〜。……しかたない。わたしは腹を括って答えた。
「いいえ、喧嘩はしてないです。ただ――」
「ただ?」
「――わたしがですね、ひょっとすると、その……ファビウス様に、こ……恋、みたいな感じかもしれないので、自重したくて」
喋りながら、頬が熱くなる。全然、腹を括れてないな!
ウィブル先生が、わたしの手をとった。そっと、勇気づけるように。
「告白したくて、とかじゃないの?」
「告白……告白っぽいもの、は、しました。す……す、って」
この頃にはわたし、完全に視線を下に落としていた。視界に入るのは、わたしの手をやさしく握っているウィブル先生の手。あと、膝とか、床とか。椅子の脚とか。
「待ってルルベルちゃん、『す』しか口にしてないの?」
「まぁそんな感じですけど、だいたい通じました」
ウィブル先生の手が、ふるえた。笑いをこらえているのではないだろうか。
……ま、笑われてもしかたないよな。お貴族様相手に「す」って。馬鹿なの?
「で、ファビウスはなんて?」
「それと同時に、お伝えしたんです。わたしは聖女としての使命を優先したいから、浮ついた気もちになるのも困るし、そういうことは後回しにする、って」
「ルルベルちゃん……えっ、なにそれ。本気?」
「本気です。だってわたし……無理です」
「なにが?」
「その……気を抜くと、すぐ考えてしまうんです。顔とか、ぱっと頭の中に思い浮かびますし、言葉とか……声とか……いろいろ……いろいろです」
「たとえば?」
たとえば?
そんなの、あれもこれもだよ。
温室に連れて行ってくれたときのこととかさ……わたし、いったんだよね。たとえ恋に落ちたとしても、ファビウス先輩のためだけに生きるようなことはしない、って。
でもさ……怖いわけ。つまり、そうなりそうで、怖い。
「もうほんと邪魔なんです」
「邪魔」
「そうなんです。支障が出るんです」
「……恋してるのねぇ」
しみじみと、ウィブル先生が口にして。わたしは、ほんのかすかにうなずいた。うなずきたくなかったけど、認めないのも負けてる気がしたから。
大きく息を吐いて、それで? とウィブル先生は先をうながした。
「困ってます」
「そうじゃなくて。リートがいってたのは? 空気が悪いとかなんとか」
「それはその……どういう感じに話せばいいのか、わからなくなって。だったらもう、いっそ話もしない方がいいんじゃないかな、って」
「……突き抜けたわねぇ」
「はい」
「極端よぉ」
「そうかもしれません」
「……まぁ、手を握ってるついでに、治療しちゃおうか」
「よろしくお願いします」
「ちなみにだけど、こうして手を握ってるのがファビウスだと思ったら――あ、はいはい、わかったわかった。真っ赤ね」
くぅぅ! なんか、もてあそばれてる気がする!
「先生、面白がってません?」
「そんなことないわよぉ。微笑ましいなとは思ってるけど」
絶対面白がってる気がするけど、追求するのも不毛か……。
「ほんとに困ってるんです。どうすればいいですか?」
「でもねぇ、好きだとか惚れたとか、そういう気もちって制御できなくない?」
「だから困ってるんです……」
「たしかにね。ルルベルちゃんの危惧も、わからなくはないけどね。でも、いったでしょ。聖属性を持ってるからって、聖属性魔法使いとして生きる必要はないのよ?」
「わたしは、聖属性魔法使いとして生きたいんです。皆の役に立ちたいし……応援してくれた家族や、ご近所さんや、お客さんたちの期待に応えたいです」
親にいわれるまま結婚はしたくないけど、自分ではたらく……って発想もないような貴族のお嬢様たちとは、育った環境が違うのだ。
「学園は階級を問わず入学できる施設で、いろいろなものが無料だったり格安だったりしますよね。でも、うちではキツかったんです。両親は家計をやりくりしてくれて、応援してくれて……無理をして必要なものを揃えてくれました。それなのに、好きなひとができました、恋しちゃいました、使命もなにも放り出します! なんてことになったら――」
「ルルベルちゃん」
「――わたし、自分を許せません。でも……やさしくしてもらったら、どんどん甘えてしまいます。だからいっそ、ファビウス様がわたしを嫌いになってくださればいい」
だって、わたしはファビウス先輩を嫌いになれそうな気がしないから。




