237 串焼き肉は、塩味だった
それから校舎までの短い時間、わたしはリートにしつこく迫り、リートは吐いた。最低限の情報を。
一.相手は下町に潜伏してわたしを見張っていたときに知り合った女性
二.名前は知らない
三.串焼き肉の屋台で目当ての肉が品切れで買えなかったとき、直前に買っていた彼女が譲ってくれた
……それ、食欲に目がくらんだのでは?
その後どうなったかというと、どうもなっていない。さわやかな笑顔と串焼き肉の美味そうな匂いだけが、リートの記憶に残っている。
知り合った、ってレベルじゃなくない? 相手はリートのこと忘れ去ってるよね?
「名前も住んでる場所もほんとに知らないの?」
「知らん」
「調べなかったの? リートならできるでしょ、簡単に」
「簡単ではないし、俺は君の護衛任務に就いていた。そちらが優先だ」
「……なんかごめん」
「君に謝られる筋合いの話ではない」
いやでもそれさ、ほんとに初恋なの? ……とは、リートには訊けない。
おまえそんなチョロ男じゃねーだろ、それともほんとにチョロっチョロのチョロなのか? と煽りたい気分はあった。だが、わたしにはデリカシーというものがあるのだ。リートと違って!
なので、我慢した。
「綺麗な人だったの?」
「恋に落ちた人間の美醜の感覚を信じるのは、愚か者のすることだ」
こんな場面でも、こまかくディスってくるとは。さすがリート。
問題は「リート」と「恋に落ちた人間」がイコールで結びつかないことだ!
「愚か者で悪うございましたね。じゃあ……魅力的だったの?」
「訊くまでもないだろう」
「……一目惚れって、信じる方?」
「俺のは、一目惚れに分類されるのか?」
「えっ、そりゃそうでしょ。 ……違うの?」
「わからん。世間的な分類に興味はないからな」
「……じゃあ訊かないでよ」
「今後また他人に説明が必要になったときに、そなえたい。一般的な分類を押さえておいた方がいいだろうから、参考のために訊いている」
今後……?
そんな機会あるかな……いやでもリートのことをある程度知ってる人なら、初恋は済ませてありますっていわれたら、猛烈に興味を抱くに決まってるよな。機会あるかも。
「一目惚れっていって、間違いないと思う」
「そうか。では一目惚れだ」
雑ぅ!
そういうわけで、わたしはリートのチョロくさい一目惚れ情報をゲットした。ゲットはしたものの、全然満たされない。
「もうちょっとこう、むず痒いというか、なにか頬を赤らめるようなこう……なに?」
「知らん」
「なにかあるでしょうよ、なにか!」
「君の期待に添えなかったことは理解したが、俺は君を満足させるために恋をしたわけではないからな」
「……恋とかそういう単語を躊躇なく語れるあたり、なにかが間違ってる気がするよ」
「そうか?」
「初恋っていうのはさぁ、甘酸っぱくて、胸がきゅんっとするような、せつなさがないと駄目なわけよ」
「串焼き肉は、塩味だった」
そういうんじゃねぇんだよなぁ!
「……もういい。リートらしい、ってことはわかった」
「君は、恋というものを重く考え過ぎているんじゃないか?」
「リートが軽く考えてることもわかったよ」
「もっと適当でいいんだ。あのひといいなと思ったら、それがもう恋の第一歩でかまわないじゃないか。君のは重い。聖女の使命を優先するために、好きでも関係ないふりします――なんて、重過ぎる」
「重くて悪かったわね」
「優先順位がちゃんとつけられるなら、問題ないだろう。聖女としての活動に支障が出ない範囲で、恋愛もすればいい」
「そういう器用なことができる気しないから、キッパリ宣言したの。考えてみてよ。わたしがそんなうまく場面ごとに優先順位をつけて立ち回れると思う?」
リートはわたしを見て、ほんの一瞬だけ考えてから答えた。
「思わんな」
どうもありがとう! くっそムカつく!
「おわかりいただけましたでしょうか?」
「ある程度は。しかし、ファビウスは気の毒だという俺の意見は変わらない」
「あっそう。それでいいよ。わたしが悪いやつってことね」
「そういうことだな。君は悪気なく残酷だ」
そこで校舎に着いてしまい、我々は不毛な会話を終わらせた。
けっこう早めに研究室を出たので、教室にいる生徒はまだ数人。その中に、なんとなく見覚えのある女子がいた……たぶん、舞踏会のときに会ってる。婚約者がいない方の子かな……いや、いる方かなぁ。わからん。
「まぁ、ルルベル様! おはようございます」
「様はよしてくださいな。おはようございます」
「……では、どうお呼びすれば?」
「ごくふつうにお呼びください。わたしは平民ですもの。本来でしたら、名前を覚えていただけるだけで光栄、といったところです」
「聖女様にそんな扱いはできませんわ。それに、わたし……ルルベル様のあの機転がなければ、間違いなく落第していましたのよ。どうにも座学が苦手で」
おぅ。そういう事情かぁ……。
「ごめんなさい、前にもお聞きしているかもしれないんですけど……お名前を教えてくださいます?」
「あら。失礼しました。わたしはアリアンと申します」
「アリアン様、おはようございます」
ふふ、っとアリアン嬢は笑った。やだ可愛い! もうこの世界ってばほんと可愛いと綺麗の宝庫だな!
アリアン嬢は艶のある赤毛。そうだなぁ、磨いた銅みたいっていえばいいかな? その赤毛を、この学園では珍しいくらい潔い断髪にしている。ショートボブで、毛先はくるんと内巻き。襟足がとってもこう……ぐっと来るね!
舞踏会のときは、撫でつけてアップスタイルに見せてたのかな……ウィッグも使ってたのかも?
「ルルベル様の方こそ、わたしを呼び捨てにしてくださらなければ」
「無理です。申しましたでしょう、わたし、平民で」
「学園では身分の垣根など意味をなさない――そう教わりませんでした?」
「……ええ」
「わたしも家名など忘れて存分に学生生活を楽しんでおりますの。ですから、ルルベル様……は、いけないんでしたわね? ルルベル嬢とお呼びすることは許していただけますかしら?」
……なんかアリアン嬢、むっちゃよろしいお家柄のかたなのでは? という雰囲気が濃厚にただよっているが……いやそれをいったら、わたしはすでに王子にすら慣れた女! なんとかなる!
ちなみに、女性同士の呼びかけで「様」は相手が自分より身分が上の場合に使う。公的な場では厳密な使い分けが求められるけど、日常で使うぶんには区分けは緩い。「嬢」は、前世日本でいったら「さん」みたいな感じ。女性であれば、誰にでも使える。
あ、これは上流での話。下町で「嬢」を使う場面もなくはないけど、上流気取りの勘違い女、みたいな意味合いで出てくることが多いよね!
「ええ。でしたらわたしも、アリアン嬢とお呼びしても?」
「もちろんですわ。……嬉しい。ルルベル嬢と、こうやってお話ししたいと思ってましたのよ」
「光栄です」
う〜ん、お嬢様言葉での会話って、地味に難しいな……。
エーディリア様に最低限はこれくらいと叩き込んでもらったのって、想定される相手が「目上の偉い人」だったんだよね。だから、おとなしめの応答のバリエーションしか知らないのだ。
同年代だと、そこまで畏まらなくていい気もするんだけど、適度に崩すのって難易度高くない?
でも、アリアン嬢と喋るとき、シスコと喋るみたいにはできない。つられちゃうっていうか? 似非お嬢様言葉になって、こう……変な感じ!
「それにしても、昨日は大変でしたわね」
「昨日……」
おお、なんということでしょう。毎日大変なので、昨日なにが大変だったか、すでに不明です!
「食堂で。急に、お召しをいただくなんて! わたしだったら、気が動転して逃げ出してしまいますわ」
ああ、王子に呼ばれて行ったら王女もいたやつ……。
「わたしも逃げ出したかったです」
おっと、思わず返事に真情がこもりまくってしまった!
アリアン嬢は、ふふっとやわらかく笑った。
「今日は、よかったら隣に座ってくださいます? もっとお話ししたいわ」
えー。わたしは今日はシスコと並んで座りたいのだが……と思って躊躇していると、アリアン嬢はわずかに眉をひそめ、こうつづけた。
「ご友人のシスコ嬢でしたら、毎日、同じかたと並んで座ってらっしゃいますのよ。ここ最近、席順もだいたい落ち着いて、皆、同じような位置に座ってますの」
なるほど。ありそうな話だ。たまにしか教室に顔を出さないやつが、早めに来て、「いつもの席」を奪ってたりしたら迷惑だろう。
「そういうことでしたら、いつも空いている席を教えていただけます?」
「ええ。わたしの右隣は空いてますわ。その隣も空いてますのよ。お連れのかたも、並んでお座りになれますわ」
令嬢スマイルのアリアン嬢は、実はなかなかの策士なのではないか? と思った瞬間である。




