236 この俺が気の毒になるほどだぞ?
「……空気が悪くてたまらんのだが」
今日も教室へ向かう途上、クレームをつけてきたのはリートである。
空気って吸ったり吐いたりする以外になにか意味あんのかって顔してるくせに、生意気なのではないだろうか?
「ふつうじゃない?」
「いや、ふつうじゃなかった。いつも無駄にうるさい君が、朝食の席でまったく喋らないのはおかしい」
「失礼ね。ほんとに無駄なんだったら、わたしが黙ってるだけで空気が悪くなったりしないんじゃないの? ってことは、無駄じゃなかったわけよね? 必要ってこと。わかる?」
「変なところで論理をふりかざすな。俺の揚げ足をとらず、本題について話せ」
「あなたが不必要にわたしを馬鹿にしなければ済む話でしてよ?」
エーディリア様直伝の流し目――わたしがやっても妖艶にはならないが、嫌味っぽい効果くらいはあるだろう――を向けると、リートは鼻先で笑いとばしやがった。
「なにが不必要かを、君が正しく判断できるというのか」
「さあね。ただ、あなたの判断があてにならないことは証明されたでしょ。無駄にうるさいわたしが黙ったら、空気が悪くなったわけでございますし?」
「そんなことはどうでもいいだろう。話を逸らすな」
逃げるのか。卑怯な!
「そっちこそ話を逸らさないでほしいんだけど。無駄だのなんだの、いつも散々にいってくれるけど、それをわたしがなんとも思っていないとでも? 大いに不愉快だし、不当な評価には腹も立つの。少しは配慮していただきたいものね?」
「ああ、だったら君の無駄な喋りはファビウスには必要なものだったんだろう。で、今日それがなかったのは、なぜだ」
「なんで説明しなきゃいけないの?」
「不可解だからだ」
すごくシンプルな返事である。
「あっそう。じゃ、訊き直そうか。なんで、あなたの好奇心に応えなきゃいけないの?」
「護衛という仕事では、対象の状態を把握しておく必要がある。つまり、君の思考や行動の傾向を予測するためだな。よって、原因が思い当たらない急な変化に、俺は途方に暮れているというわけだ」
「途方に……?」
リートが? 途方に暮れる?
「ああ、そうだ。途方に暮れている」
「あり得ないでしょ……」
おっと、思ったことがそのまま口からポロッと!
「そんなことはない。実際、現在進行形で途方に暮れている。朝食の席ではだんまりだった君が、今は妙に舌鋒鋭く議論をふっかけてくるのも、意味がわからない」
「あのね、人生で遭遇することって、だいたい意味なんてないから」
「……そういう発言も、君らしくない。実は偽物なのではないか?」
眉根を寄せたリートの表情は、本人の申告通り途方に暮れている……とまでは、いいがたい。なにしろ、爽やかマンの演技しているとき以外、だいたい同じ顔してるからな。
でもまぁ……ちょっと曇ってはいるかも。混乱しているのは事実なんだろう。
「ついに偽物が出るように、って? わたしも有名になったものね」
「君は有名だ。聖女だからな。しかし、話を逸らさないでくれと何回いえばいいんだ?」
何回でもいえばいいと思うよ! 好きなだけ!
「……まぁ、わたしも喋りたくない日があるってことよ」
「しかし、理由がわからない」
「だからさぁ、そこまで説明する義理はないでしょ」
「昨晩は、いわゆる『いい雰囲気』だったではないか」
……。
反射的にリートをひっぱたきくなったが、どう考えてもこいつの面の皮は厚くてガチガチだろう。わたしが叩くと見るや、生属性魔法で硬化させるに違いない。
すると、痛くなるのはリートの表皮ではなく、わたしの手である。
「盗み聞きは、やめていただいても?」
「任務の一環だ。これでも、風呂、便所、寝室では遠慮して、あまり――」
「あまり、とか! いうな!」
「――とにかく、昨晩のやりとりは廊下だっただろう。聞くのを遠慮する理由もなかったし、むしろ、はっきり知っておくべきことだったからな。ちゃんと聞いた」
そんなことだろうとは思っていたけど、いざ堂々と主張されてみると!
むっちゃ腹が立つし恥ずかしいし、おかあさ〜んって叫びながら家に帰りたいけどそれはそれで恥ずかしいから無理!
「あっそう。じゃあ、自分が手にしてる情報だけで判断してよ」
「それができないから、君に訊いている。今後の方針も策定する必要があるしな」
しつこい。
わたしは足を止め、無駄に整ってる――これこそ「無駄」ってやつじゃない?――リートの顔を見た。
「聞いてたなら、わかるでしょ。わたしは、使命を優先したいの」
「使命とは?」
「聖属性魔法使いの使命。つまり、魔王封印と、それに至る眷属との戦い」
「しかし、君は前線に出られるわけでもない。今、なにかできるか?」
「そんなのわかってる。だからって、浮ついた気分でいるわけにはいかないでしょ。わたしは覚悟を決めたんだから」
「……じゃあ、なんで昨夜、ファビウス相手に告白めいたことをしたんだ」
「黙れ」
おっと。また、思ったことが半分そのまま口から出ちゃった。残り半分は、ちょっと説明しがたい下町スラングである。ああもうほんと! リートのデリカシーのなさときたら!
「正直に、俺の意見をいってもいいか」
「黙れってば」
「あれでは、ファビウスが気の毒だ」
「黙れっていったよね?」
「この俺が気の毒になるほどだぞ? どれだけ気の毒だと思うんだ」
……いや、自覚あるんですか、あなた。この俺が、って!
「そりゃ大変なことですわね。だから昨晩、ちゃんと説明したよ、わたし」
「いつまででも待て、ということか」
「っていうか、わたしが勝手に好きなだけなんだから、問題ないでしょ。待つ必要だって、ないわけだし」
「は?」
「ファビウス様は女性相手なら誰でもどんと来い! ってかたなんだから。そりゃ、告白めいたことをされたら、喜んだ顔はなさるでしょ。でも、本気じゃないだろうし、迷惑に決まってるよ」
「おい……」
「そりゃもちろん、誠実に接してくださってるとも思ってる。紳士的だし――」
いやでも昨晩は、ちょっと調子こいてたかな。まぁ、それはしかたないだろう。女子に告……告白っぽいものをされたら、さらりと応じてこそファビウス先輩である。たぶん。告白されてる場面は見たことないから、知らんけど。
でも、ぶっきらぼうに断ったりとか、がっついたりとかは……どっちも違うじゃん? とりあえずは受け入れてくれると思うんだよね。だから昨晩、わたしが下町流の「す」で済ませたときも、なんとなく察して調子をあわせてくださったんだ。
「――いろいろ気を配ってくださってもいるし。でも、おやさしいのは誰にでも、でしょ。わたしの方だって、黙って隠してるのが性格的に無理だから、一応、口にはしたけど……その先に進む気はないの。覚悟を決めるために、一回、ちゃんと表明しただけ」
その先に進むはずがないし、進ませちゃいけないって覚悟。
ファビウス先輩がやさしくても、わたしが勘違いしちゃいそうなくらい思いやりがあっても、だからなに?
もう決めたんだから。わたしは聖属性魔法使いとしての人生を選ぶんだ。
「君は馬鹿なのか?」
「リートにいわせると、だいたいそうでしょ。なにを今さら、新たに発見したみたいなこといってるの。それこそ馬鹿なんじゃないの?」
「……ファビウスは本気だぞ」
「わたしだって本気よ。何年待てばいいのかって訊かれて、あのときは答えられなかったけど。でも、今ならいえる。何年だって、わたしの使命がきちんと果たされるまでは、駄目。それに、本気だぞ、なんて発言の根拠はなによ。悪いけど、リートが他人の恋愛感情を理解できるとは思えない。どうせ初恋だってまだなんでしょ」
「初恋くらい済ませてるが?」
その瞬間、わたしは頭をがつんと殴られたような衝撃を受けた。
だっておかしいでしょ。このリートが! 初恋を済ませてる……だと?
「詳しく」
「なぜ君に教えなければならないんだ」
「詳しく! 自分のことを諦めた可哀想なわたしに、詳しく! それとも、勢いで済ませてるっていっただけで、ほんとはやっぱり未体験なんでしょ? そうだよね、きっと」
「それは違う」
「じゃあ詳しく!」
「うるさい」
「詳しく教えて、むちゃくちゃ知りたい! いったい相手はどこの誰? いつ?」
「黙れ」
「詳しく!」
「……今の君は、かなり浮ついていると思うぞ。覚悟はどうした」
自分のことじゃないんだから、セーフ!




