224 そういうのはリートに訊いた方がいい
「という話があってですね……」
その日の夜。ファビウス先輩に、シスコから聞いた話を打ち明けた。
例の事件以降、夜のお茶の時間が設定されている。というか、わたしがした。深夜残業をさせないためだ。
もちろん、カフェインをとるのはよくないので、飲むのは安眠用のハーブティーである。カロリーをとるのもよくないので、スイーツもナシ! 残念。
場所は中庭。リートは中庭を囲む廊下にある椅子に座って、我々を監視――はしておらず、本を読んでいる。ひとつでも多く呪符を暗記して、暗記力で国家試験の突破をはかる予定らしい。綺麗な円を描けるようになる努力をした方がいいと思うぞ……。できないことは、素直に認めろよな。
「なるほどね。聖女様は、人気者だ」
「不人気な聖女って、考えたくないですね」
「それはそうかも。……で?」
あっ。来た。久々に伝家の宝刀、正統派上目遣い!
「で、とは?」
「君は、どうしたいの?」
質問も真正面からドーン!
「それがですね……よくわからなくて」
「うん」
「ファビウス様は、どう思われますか?」
「君は困るんじゃないかなぁ、と思ってる」
……当たってる。
まぁ、今のわたしの態度を見ればね? 丸わかりだと思うよ? 隠してないし。
「なぜって、君は同級生に仲間意識を抱いていない。聖女という位置付けにも、納得していない。同級生の聖女様として見られることには、違和感しかないだろう」
わたしより詳しい。というか、もやっとしたものを言語化された!
「なるほど……」
思わずつぶやくと、ファビウス先輩に笑われた。
「なんで本人が僕の説明で納得するの」
「いや、言葉にできなかった部分が、わかりやすく説明されたので」
「あとは、舞踏会だね」
「……はい」
「君は、そもそも舞踏会に批判的だった。吸血鬼の犠牲者を考えれば、そんなことをしている場合ではない、って。それでも恒例の行事ではあるし、なにより、社交界への顔見せとして適切な催しだったから、説得されて出席した。君の考えが短期間にそう簡単に変わるとは思えないから、また開催しようといわれたら――」
それなんだよなぁ。
今だって、エルフ校長やジェレンス先生は吸血鬼の探索をつづけているわけだし、吸血鬼がいるってことは犠牲者も出るはずなので……そんな状況で、ドレスひらひらでキャッキャしましょう! って提案されるの、当惑する。
クラスメイトのお嬢様たちには、ぴんと来ないかもしれない。でも、シスコは実際に被害をこうむったわけだし、わかってくれそうなものだけど……。
シスコも、なにか思ったとしても反対はできないんだろうなぁ。
「――それでも断りきれないのは、逆に、公的な催しじゃないからだ。恒例の行事でさえない。君のことを想って、同級生が企画してくれたんだ。そう説明されたら、君は断れない」
そういって、ファビウス先輩はハーブ・ティーを飲んだ。
夜の中庭は間接照明で照らされて、光と影の境界が曖昧だ。やわらかに、すべて闇に溶けていきそうな雰囲気がある。ファビウス先輩の輪郭も、光と闇の間で揺れている。
「……なにもかも、割り切れたりはしないって、わかってるんです。これが良い、これが悪いなんて……自分では切り分けてるつもりでも、そんなの一面的な判断に過ぎないって」
どこかで誰かが犠牲になっているかもしれないのに。聖属性の力で救えるかもしれなくて、それができるのは、わたしだけなのに。そんな状況で着飾って踊ることに、罪悪感を抱かずにおれるだろうか。
これはきっと、わたしの中では引きずる問題なんだろう。
現場ではたらくべきって考えてしまうのは、骨の髄まで平民根性が染み込んでるからだ。
だってそうでしょ、偉いさんに顔をつないで、事態を大きく動かすための下準備をしようなんて思考回路、パン屋の看板娘には必要なかったんだもん。店頭で顔をあわせるお客さんだけ相手にしてれば、それでよかった。
でも、聖女はそういうものじゃないらしい。
「人生に正解はない。やり直しもできない」
「そう思います」
「だから、失敗しながら生きていくしかないんだよ」
およそ失敗という言葉とは縁遠そうなファビウス先輩に、そんなことをいわれて。
えっ、と小さく声をあげしてまっても、当然だろう。
「ファビウス先輩でも、失敗なさるんですか?」
「しょっちゅうだよ」
「嘘」
「嘘じゃないよ。つい最近だって、失敗しただろう。くだらない軽口で、君に嫌われそうになったし」
……ファビウス先輩は、あれを引きずってるな!
「それはもう、お気になさらず」
「君は許してくれるけど、許してもらう必要があるってことは、僕が失敗したってことだ。そうだよね?」
「まぁ……それは否定できませんけども」
「それでも、やり直させてくれるんだから感謝してるよ」
「いや、ですからもう――」
「だけど、いつもそういう間違いばかりじゃない。どうやっても挽回できない失敗だって、世の中には存在する」
口調はかろやかなのに、とても重く響いて。わたしは、どう答えていいかわからなくなった。
そうだ。世の中には、やり直せないことがたくさんある。だから、間違っちゃったって思うんだ。失敗しちゃったな、って。
わたしだって、数限りなく間違ってきた。取り返しがつかないことだって、いくつもある――たとえば、この世界に転生しちゃったこととかね! やり直せないし! まぁ、今さらやり直せますといわれても困るけども。
「どうすればいいんでしょう。ファビウス様は、どうなさってるんですか?」
「失敗したら、ってこと?」
「それ以前の……失敗を抑える方法が知りたいです」
「毎日のように失敗してる僕に訊くの? そういうのは、リートに訊いた方がいい」
「えっ?」
意外な答えに眼をしばたたくと、ファビウス先輩は楽しげに告げた。
「だって彼、自分が失敗したって思わないだろう? 失敗したと認識しなければ、失敗は存在しない」
「……なるほど」
たしかにな! リートの強さはそこだ。
「でも、あれは真似できないです」
「そうだね。まぁ、僕も偉そうなことはいえないけど……失敗を少しでも減らしたいなら、事態を制御すればいい」
「はい?」
「今回の件なら、舞踏会の開催時期や規模について、自分が望まない方向に行かないように口を出すんだ。直接たのむだけじゃないよ。たとえば、校長に依頼すれば施設の開放を拒んだり、あるいは時期をずらしたりしてくれるだろう?」
「でも、そんな都合よくできますか?」
「都合よくするための方法を話してるんだよ。それに、校長は君に甘いから、たのめばなんでも叶えてくれると思うよ」
……その指摘、あまり嬉しくはない。嬉しくはないが、そーだろーなー! とは思っちゃう。
そーだろーなー! たのめばやってくれるわ。学園の最高権力者が!
「時期をずらしていけば、うやむやになって話が立ち消えるかもしれない。あるいは、吸血鬼が始末されて、君の心が晴れるかもしれない。やってみる価値はあるよ」
「なるほど」
「……君、ひょっとして忘れてるかもしれないけど」
「なにをでしょう」
「君のクラス、王子がいるからね? 彼がなにかやろうと決めたら、それに対抗するのは大変だよ」
……忘れてたわ。いや、いるのは覚えてたけど、王子が権力者であって、なにか命じられたら従わないと不自然なことを忘れてたわ!
うわー、不敬!
「そうですね。先に、殿下に話を通した方がいいでしょうか」
「彼が簡単に説得されるかどうか、わからないけどね。僕がもっと気にしてるのは――」
「まだなにかあるんですか?」
「――王子の姉は、ウフィネージュ殿下だってことだよ」
……忘れてたわーッ!
「え、ウフィネージュ様のご都合でなにかがこう……どうにかなる、みたいな流れに?」
「今の話だけじゃ判断できないけど、僕があのかたの立場なら、弟を利用できないか考えると思うよ。つまり、王子を介して聖女を取り込めないか、弱みを握れないか……みたいなことをね」
のどかな学級企画だと思っていたが、そこまで考える必要あるの? あるかも。
……やっぱ、エルフの里に退避した方が楽なのでは? と思いはじめてきた自分が怖い。




