221 会話も栄養のひとつですからね
研究室にルームサービスを呼ぶシステムを使えるようにしてもらったので――本来は、研究所の研究員しか使えないものなので、ファビウス先輩の助手として登録してもらう必要があった――食事に関しては問題ない。
ウィブル先生によれば、応急処置で身体的な機能は回復、むしろ活性化しているはずなので、さっさと栄養をとった方がいいとのこと。少し早めの昼ごはんを注文して、食事である。
「お残しは許しまへんでー」
「……なんて?」
おっと、前世で馴染んだフレーズが出てしまった! ウッカリ!
「ぜんぶ食べましょうねの呪文みたいなものです。えーっと……慣用句?」
「君の家での、食事の挨拶みたいなもの?」
「うーん、そうじゃないんですが……正確な説明が難しいです」
前世で流行してたアニメの台詞ですよ、なんていえないし!
なお、下町では「お残し」などという文化自体がない。子どもは常時、腹を空かせているものだからだ。なので、周りの大人から類似する台詞を聞いたこともない。
上品に食事するファビウス先輩を見て、思わず、ため息が漏れてしまう。
たしかにわたしは、家族に愛されて育った。客商売ならではの愛想やごまかしは学んだが、それ以外は純朴というかなんというか。リートが初日から危機意識危機意識と連呼するはずである。
だけど、満腹になるまで食べられることなど滅多になかった。量の問題だけではない。質の方もお察しである。
ファビウス先輩は違う。ひもじくて目が覚めたことなんて、ないんじゃないかな。
「どうしたの?」
「いえ、育った環境が違うってことを、実感していただけです」
ファビウス先輩は眼をしばたたいてから、微笑んで告げた。
「お残しは許しまへんで」
「……はい?」
「覚えた」
覚えんでいい! 覚えんで! それは覚えられても困る!
「あんまり、その……お行儀がよい言葉ではないので、口にしないでくださいね」
「そうなの?」
そういうわけじゃないけど、下町用語だと誤解して使われると困るし!
一生、下町と接点がなければいいけど……このひと、わりと気軽に乗り込みそうだからなぁ。で、隙のない笑顔で「お残しは許しまへんで」砲をぶっぱし、下町ネイティヴ民に、意味わかんねぇけど、ありがてぇ上流のお言葉か? ……って誤解される筋書きだろ!
「とにかく忘れてください!」
「じゃあ、ほかになにか教えてくれる?」
「……なにか?」
「僕が食事に興味を持てるように。たとえば、食事に関する言葉とか、儀式とか。君の家で、どんな風に食事するのか、とか」
儀式という単語でびっくりしてしまったわけだが……よくよく考えると、ないわけじゃないな。儀式。
「食前の祈り、とかですか?」
「あるの?」
そういえば、入学してからは、やってないなー。
ひとりで食事をすることが、ほとんどなかったし……周りがなにをやってるか、どうふるまえばいいのかを観察するのが忙しかった。自分の流儀をそのままつらぬこうなんて、これっぽっちも考えなかったな!
「ありますけど、母が唱えるのを手をあわせて聞くだけでした」
なんなら、その「手をあわせる」の部分も、空腹に耐えかねてフライング・スタートする場面が多かったくらいで、真面目にやっていたとはいえない。
「お母上が?」
「女神様へのお祈りなので、女性がやると決まってました」
「そうなんだ。男性は祈らないの?」
「母以外は全員、手をあわせて聞くだけです」
「なんでだろうな……女性を女神の器と想定してるのか。でも変だな、神殿の神官は男性が多いことと整合性がとれない……もしかして、下町特有の文化的変容なのかな? 君の家のあたりの神殿は、神官はやはり男性? それとも女性?」
「男性が多いです。ファビウス様、お食事中ですよ」
完全に手を止めてしまったファビウス先輩に、わたしはすかさず指摘した。
「ああ、そうだね。つい、気になって」
「お食事中は、食事に集中してください」
「気をつけるよ」
気をつけなきゃできないことか?
ファビウス先輩、実はポンコツなんじゃない? ――生物として生きていくことに関して、って意味だけど。
逆らえない上司にオーバーワークを強いられたとかならともかく、自分で好きなようにやってるのに過労で倒れるって、そういうことだろ!
「そうですね。注意が必要です」
「君が見守ってくれるなら、喜んで従うよ」
あやしいなぁとは思ったが、わたしは笑顔で調子をあわせた。
「また倒れられたら困りますので、監視の目を光らせたいと思います」
じっとみつめると、ファビウス先輩は困ったようにお皿に視線を落とした。
なお、本日の昼食は、名前も知らない白身魚に衣をつけて焼き上げた料理で、外はカリッ、中はふわっとジューシー。付け合わせの温野菜は彩も美しいし、食べても美味しい。スープは豆をベースにしたポタージュだが、ものすごく味わいに深みがある。いくらでも飲める。
会話をしながらではあるが、わたしはもう半分以上食べてしまった。いや正直にいうと、あとちょっとで完食だ。
だって、美味しいんだもん!
「わかったから、そんなに見ないで。穴が開いちゃうよ」
「この程度の視線で穴が開くなら、ファビウス様はとっくに穴だらけじゃないですか? 舞踏会のときだって、すごかったですよ。視線の集めっぷり」
「ああいうのは、なんともないんだ。慣れてるからね」
いいおった。
まぁ? そりゃそうでしょうけども!
「じゃ、大丈夫ですね」
「……努力するよ」
わりと真面目な声だったので、わたしは逆に心配になった。
「さっきから、気をつけるとか努力するとか。真面目過ぎます」
「え?」
ファビウス先輩は顔を上げて、わたしを見た。びっくりしてる。
そりゃそうだろうな、とは思う。だって、わたしがいってるんだもんな。気をつけるように。
「食事なんですよ。楽しんで食べましょうよ。しかも、こんなに美味しいんですよ? あれも駄目、これも駄目って駄目な方ばっかり考えないでください。ああしたい、こうしたい、っていう方を考えましょうよ」
「……前向きに?」
「そうです。たしかに、食事に会話は重要です。会話も栄養のひとつですからね」
これは、母の受け売りである。つまり、量がたりないときの、お決まりの台詞だった!
「……そんな風に考えたこと、なかったな」
「わたしは、母にそういわれて育ちましたから。ファビウス様の場合、会話も仕事の内、みたいな環境が多かったんじゃないですか? それはわかります。王族でいらしたわけですし、ご会食で国内外の力関係が変わったりするような場面もあったでしょう?」
「それは、まぁ」
「でも、今はそういう場面じゃないです。わたしはファビウス様の敵にはなりませんし、もっと気を抜いていいんですよ」
わたしが力説すると、ファビウス先輩は少し微笑んで答えた。
「理屈はわかったよ」
「わかっていただけました?」
「うん。でも、わりと難しいな。あんまり気を抜いて、よからぬ冗談を口走っても困るしね……さっき、君の気分を害してしまったような」
あれかー。あれはまぁ、我ながらちょっと過剰反応だった気もするし。
でも!
ああいうの看過して、なぁなぁで流すと、状況悪化しやすいから!
「……いいんですよ」
「なにが?」
「不愉快なときは、ちゃんと、不愉快だとお伝えします」
「でも、そもそも不愉快にさせたくない」
「なんでもかんでも、そんなに先回りしなくていいんです、って話ですよ。たとえば、わたしの家族の身の安全について配慮してくださったことなんか、どんなに感謝してもしたりないですけど……いつも、なんでも、そんなに気を回してたら疲れちゃうでしょう? だから、少しは気を抜いてください」
「たぶん、もう気が抜けてるんだよ。だから、あんなことをいった」
そういうと、ファビウス先輩はまた、お皿に視線を落としてしまった。
「落ち込まれるほどのことじゃないですよ。お店に出てたときなんか、もっと際どいこと、いわれましたし」
「……変なことをいえなくなる呪符を開発しようか」
なんでも呪符で解決しようとするなーッ!




