220 純物理への対策は盲点だったな
研究室に戻って呼び鈴を押したけど、誰も出て来ない。
「出かけるとは聞いてないし。今度こそ中で倒れてたりしないでしょうねぇ」
ひぃぃ。やめてくれ! ありそうで怖い。
ファビウス先輩、わたしが夜食をとって寝たあとも起きてたし、今朝も目が覚めたらもう起きてたよね。いつ寝てるの?
「開けかた教わってるので、勝手に入らせてもらいましょう」
「あら、助かるわ。力づくで開けるしかないかと思ってた」
……ウィブル先生、たまに脳筋が過ぎませんか! ドア破らないでください!
宿題にされたステンドグラスっぽい呪符の解析は、まだ完全には終わっていない。が、開閉くらいはできた方がいいだろう……ってんで、呪符に対応した鍵をもらっているのだ。これがあれば誰でもひらけるってわけでもなく、登録された魔力が認証されないと使えない。前世でいうなら生体認証か!
ここを追い出されたら行くところがないなら、いつでも入れるようにした方がいいよね――なんて笑顔で差し出されたけど、この鍵と錠自体が天才発想と技術の集積の可能性しかない……。なくさないようにしないと。
とにかく、無事に入室! こんにちは!
内部は、静まり返っている。
「ファビウス様? お留守ですか?」
「ファビウス、入るわよ」
ウィブル先生は勝手に歩きはじめた。……まぁ? 返事がないなら扉を破ろうかってんだから、歩いて入ったらそりゃね……堂々と中を探し回るよね。
わたしもウィブル先生について行く。
食堂にはいないし、リートと一緒に訓練をした、各種計測装置が設定されているらしい部屋にもいなかった。
「書斎……でしょうか。それか、お昼寝なさってるとか」
「寝ようと思って寝てるんならいいけど。気絶するまで作業しかねないわよね、あの子」
怖いことをいって、ウィブル先生は書斎のドアをノックした。
「ファビウス? いないの?」
部屋の中で、なにかが動く音がした。家具? 固いものの音だ。ガタッ、ってやつ。それから、もう少しくぐもった、ドサッ、みたいな音。
ウィブル先生が、いきなり片足を上げ――
「ていっ!」
蹴破ったー! 脳筋! ていうか躊躇なさ過ぎ!
そしてドアが弱過ぎ……。一発で蝶番からはずれてしまったが、それを先生は難なく掴んで。
「ルルベルちゃん、確認して」
「あ、はい。ファビウス様……?」
先生がドアの始末をつけている――つまり、そう簡単には倒れてこないように、いい感じに壁に立てかけている――あいだに、わたしはファビウス先輩の書斎に入った。
そこで見たものに、思わず息が詰まる。
床に、椅子とファビウス先輩が倒れていた。……ほんとに倒れてたー!
動転したわたしは、ウィブル先生の名を連呼した。
「ウィブル先生! ウィブル先生!」
「落ち着いて、ルルベルちゃん」
「だって……ウィブル先生! ファビウス様、倒れてます!」
ウィブル先生は、素早く室内に入ると、ファビウス先輩のかたわらに膝をつき、まず脈をとった。
「死んではいないから、安心なさい」
「で……でも……」
「アタシがここにいるんだから、もう大丈夫。もっと安心なさい」
心強いお言葉、いただきました!
「は、はい!」
「よろしい。じゃ、お水を汲んできて。ファビウスの寝室って……ああ、この隣ね? 運ぶのは、アタシにまかせて。さ、行って」
「はい!」
……で、結局、寝台に運んで少ししたら、ファビウス先輩は目覚めた。
「ああ……あれ? なにが起きてるの」
「呑気ねぇ。意識を失って倒れてたのよ」
「鍵は? 簡単に解錠できるようなものではなかったはずだけど」
「ドアを蹴破ったから。あとで直しておきなさいね」
「……純物理への対策は盲点だったな」
「いったわよね? 食事、休憩、睡眠! 手を抜いたら駄目だ、って」
「そうですね、いわれました」
「あんたねぇ……ルルベルちゃんの顔色を真っ青にしたくなければ、今後は気をつけなさい」
いや、真っ青なのはファビウス先輩の顔色だったけどね……。今は少し血の気が戻ってるけど、発見したときはこう……。うっ。さっきの衝撃が戻ってきそう。
思わず、本音が言葉になって口からこぼれた。
「……わたしひとりだったら、一緒に倒れてました」
すると、ファビウス先輩は微笑んで答えた。いつもの調子で、かろやかに。
「そのときは、受け止めなきゃいけないな。君に怪我をさせるわけにはいかない」
「大丈夫ですよ、絨毯がふかふかですし」
「あんたたち、倒れる前提で話を進めるんじゃないの!」
ウィブル先生に一喝されてしまったが、ファビウス先輩は懲りた風もない。
「実際、倒れたばかりですからね。助かりましたよ、先生。ありがとうございます。実に爽やかな気分です。この処置、毎日お願いできませんか?」
「あのね、アタシがやってるのは応急処置なの。対症療法って知ってる?」
「知ってますよ」
「じゃあわかるわね。具合が悪くなった、その不調を取り除いてるだけ。根本的に対策すれば、具合が悪くならずに済むの。何回でもいうけど、食事、休憩、睡眠よ」
「そして、適度な運動……ですね?」
「正解だけど、運動は食事、休憩、睡眠がちゃんとできるようになってからでいいわよ」
「おやさしいことです」
「無理な課題を与えられた生徒がどうするか、知ってる? 折れて逃げるか、やりもせずに誤魔化すかのどっちかよ。あんたは逃げないから、誤魔化す方でしょ」
「実に慧眼でいらっしゃいます」
はぁぁぁ、とウィブル先生は深く息を吐いた。
「わかってる? 最低限、絶対、やらなきゃいけないことを教えてるのよ?」
「食事、休憩、睡眠」
リートが主張する「吸血鬼に襲われてはいけない場所」を連想してしまい、わたしは笑ってしまった。
……いやすみません笑うところじゃないのは! わかってるんです! 睨まないでくださいウィブル先生! えっと……なんとか、ほのぼのした雰囲気にしよう!
「ウィブル先生は、親切ですね」
「目の前で誰かが死んでいくのが嫌なだけよ。つっても、人間なんて全員、徐々に死んでいってるわけだけど」
「徐々に死……」
全然ほのぼの路線にならないぞ!
「寿命ってもんがあるでしょ? 生属性魔法をきわめても、老化に対抗するのは難しいしね」
いや、意味はわかりますけど先生、表現! 表現をもうちょっと!
「先生なら、そのうちやり遂げるんじゃないですか?」
ファビウス先輩が唆したが、ウィブル先生はブレなかった。
「そのうちより、今の話をしましょ? できるわね?」
「……研究が、佳境に入ってるんですよ」
「最近、観察する機会が増えたから、わかってきたんだけど。あんたの研究、常時佳境入りしてるんじゃない?」
「有意義な研究ばかりですから、進むのは喜ばしいことでしょう?」
「でしょう? ……じゃ、ねぇんだよボケが!」
あっ。キレた。
……あっ、自重してる。わかるぞ、今の深呼吸は絶対、自分で自分を落ち着かせるためのだ。
そして、ファビウス先輩もさすがに反省したらしい。というか、ドアを蹴破れる相手を激昂させるわけにはいかないと思ったのだろう。理性的な判断である。
「わかりました。ちゃんと休みます」
「これからは、ルルベルちゃんが寝る時間には一緒に寝るのよ。いいわね?」
「一緒に寝るなんていわれると、よからぬ想像をしてしまいますよ」
「あら。そういう発想もできるのね。逆に安心したわ。でも、想像で止めておいてよ?」
……あんたたち、なんの話してんの。
こういうの、不愉快なんだけど!
「わかりました」
わたしの不機嫌が伝わったのか、ふたりは瞬時に口を閉じた。
性的な話題を口にしていい相手と、そうでない相手は、切り分けてくれよな。そして覚えてくれ。わたしはそういう話題は好かん、ということを。
「それでは、ファビウス様の生活については、わたしが監督します」
「待ってルルベル、君にそんなことをさせるわけには――」
「そちらに選択権はありません。わたしが監督します。いいですね? その労働の対価として、ファビウス様には、わたしの魔力感知回復と呪符魔法の指導に尽力していただきます」
「それはもちろん、喜んで引き受けるよ。でも――」
「お引き受けいただき、感謝します。ではウィブル先生、リートが本調子になったら寄越してください」
「ルルベルちゃん、さっきのはその……冗談よ?」
「まぁ、大変! 冗談だったんですね。ちっとも気づきませんで、失礼いたしました。冗談って、面白いものだと思ってました」
「……ごめんなさい」
わたしは無言で看板娘スマイルを浮かべてやった。ふん。




