216 永遠は、人類には長過ぎますか
ファビウス先輩は、静かに前を向いた。まるで、わたしを見ていられないと思ったみたいに。
「――なにが辛いのか、なにを優先するのかなんて、それぞれに違うだろう? 君が皆をたいせつに思っていることは、僕にもわかる。僕らが傷つくのが嫌なんだよね? 君は、やさしいから。でもね、僕らは皆、そんな覚悟はとうにできているんだ。君自身より、わかってるから。聖女という存在の価値を」
「だけど、わたしは聖女だけど……どうしても聖女にしかなれないけど、望んでなったわけじゃないんです」
そんなこと、いうつもりなかったのに。
でも、気がついたら口からこぼれていた。たぶん押し殺してた本音だから。
「知ってるよ。だけど、皆が君のまわりに留まるのは、君が聖女だからってだけじゃない。君がルルベルだからだ」
「そうでしょうか。聖女だから、安全なところにいなきゃいけなくて。聖女だから、皆が守ってくれるんじゃないですか?」
「だけじゃない、っていったよね? もちろん、聖女であるという事実を君から切り離すことはできない。魔力感知能力を失ってさえ、君は聖女を辞められない。君が聖女であり、聖女は君だ。受け入れて生きていくしかない」
わたしが聖女で、聖女はわたし。
……なんかラノベのタイトルにありそう〜! と思ってしまったことを白状しよう。
わたしが慣れ親しんだ物語の中の聖女たちは、悪役令嬢である主人公の敵役か、あるいは純真な味方かの二択って感じだったけど……彼女らも、こういうことで苦しんだりしていたのかな。お話によっては、悩んでるキャラもいた気がするな……もう記憶もさだかではないけども。
「皆のことを勝手に代弁するのはよくないというなら、僕自身のことだけでも信じてよ。そして、切り捨てないって約束してほしい。今だけでも、いいから」
「今だけ……?」
「考えなんて、変わるものだからね。永遠なんていわれたら、逆に信じられなくなってしまう」
急に厳密性を要求なさいますね、先輩……なんだどうした研究者モードか? いや、モード云々以前の問題か。本質的に、このひと研究者だもんな。
変なこというようだけど、研究者っぽいときのファビウス先輩は信じられるよね。本音が出てるって感じでさ。
「永遠は、人類には長過ぎますか」
「そういうこと。永遠の約束なんて、口にしてもいいのはエルフのような長命種だけだ」
あ〜。エルフ校長と永遠って言葉は、たしかに似合うな。違和感がない。永遠に忘れない、とかさ……ジャスト・フィットし過ぎである。
「じゃあ、人類としてお約束しますね。少なくとも今すぐには、なにもしませんよ」
「黙って姿を消したりしないね?」
「しません。……っていうより、ここを出て行けっていわれたら、行くとこないですし」
「それは違うよ、ルルベル。選び放題のはずだ」
「ああ、訂正します。行きたいところがない、です。聖女のわたしに価値を見出す権力者は、いくらでもいるんでしょうね。それは今夜、実感しました」
チャチャフの群れが来ちゃったからな!
「今夜直接、君に声をかけた相手だけじゃない。選択肢は、いくらでもある」
「エルフの里だって、喜んで受け入れてくれるのは知ってます。でも……行きたくはないです」
「学園の方が安心?」
「さっき、おっしゃったじゃないですか。聖女だからって『だけ』ではない部分で、わたしの存在が認められてる可能性があるとしたら、ここですよ。それにわたし、ひとりじゃ生き延びられる気がしないんです。といって、家に戻って匿ってもらうわけにも――」
はっとした。
家族!
老獪な吸血鬼なら、わたしの血縁者を狙ってもおかしくはない。油断させるために。あるいは、人質にとって脅すために。
「どうしよう……家族に報せなきゃ! なんで今まで思いつかなかったんだろう!」
馬鹿なの? わたしって、自分が思ってる以上に馬鹿なんじゃない?
立ち上がったわたしの手首を、ファビウス先輩が掴んだ。
「落ち着いて。ある程度の対処は、してあるから」
「ある程度って……えっ?」
「君の家を訪ねたよね? あのときに、呪符を仕込んである。兵士の見回りも手配した」
「へ……兵士?」
「君は、シェリリア殿下の庇護下にあるからね。彼女に君の実家のことを伝えて、警戒が必要だと納得してもらった。殿下の部下が潜伏しているはずだよ。聖属性の呪符も渡してあるから、相手が吸血鬼を含む魔王の眷属でも、多少は持ち堪えられる。それに、なにかあったら連絡が来る。心配しなくていい」
……さ……さすファビー!
わたしは、よろよろと座りこんだ。えっ、なんなの。うちの店に行ったとき、そんな小細工も済ませてたの? 有能過ぎん?
ていうか脅威が及ぶかもって判断が早いだろ!
「わたし……全然思いつかなくて、呑気過ぎます……」
「しかたないよ。育った環境が違うんだ。君は、皆に愛されてまっすぐに育った。それでいいんだよ」
「ファビウス様だって、お母様に愛されておいでですよ」
「悪意にも晒されてきたからね。悪意っていうより……殺意?」
王族こっわ!
……と思ったのが、表情に出てしまったらしい。ファビウス先輩は苦笑した。
「落ち着いた? お茶、もう一杯淹れてくる?」
「あ、いえ……それより、シェリリア殿下のお名前が出て、思いだしました。この宝石を、安全な場所に保管していただかないと」
「落ち着かない?」
「落ち着かないです」
「残念。似合ってるのにな」
いやいやいや。亡き前王太子殿下の愛がこめられた宝石とか、似合っても困るし!
「あ。これをはずすと、困ります? その……位置特定の手段として」
「君が許してくれるなら、ほかのものを用意するけど」
「これはちょっと、わたしには重いです。価値とか……」
「価値ね。僕にいわせれば、こんなものより君の方がずっと価値があるけどな」
「まさかそんな。……あ。この世にたったひとりの聖女だから、ですか?」
「君が君だからだよ」
さすファビー!
そんな顔でその台詞いわれたら、誰でも落ちるわ! やっば!
「ファビウス様って……ファビウス様ですねぇ」
「なにそれ? まぁいいや。はずしてあげるから、じっとしてて」
ファビウス先輩は立ち上がって、わたしの後ろに回った。
……なんか妙に緊張するなぁ。早く終わらせてくれ!
「あ、もしよければ、例の呪符を見せてもらえます?」
「もちろん」
はずした首飾りの留金のあいだから、器用に引き出されたのは――爪の先サイズの紙だった。えっ、ちっさ!
ほっそい線で複雑な図が描き込まれていて、いや〜……なにこれ? 半導体かよ!
「全然理解できません」
「圧縮してあるんだ。大きく描いて、小さくするんだよ」
「できるんですか、そんなこと」
「やるだけなら、そこまで難しくはないよ。呪符自体に縮小の意味を込めるだけだからね。ただ、その縮小が均質に作動する必要がある。呪符の図像が崩れてしまったら、意味がないからね」
「なるほど……」
「つまり、どこまでも正確に描かねばならないってこと。呪符魔法の基本は、定規や特定の道具がなくても自在に目的の線を描けるようになることだ。ある意味、絵画の修行に近いね」
ファビウス先輩が、すっかり研究者モードになっている……。
やっぱ、こういう顔でこういう話をしてるときの方が安心できるし、好きだな。
「……」
「どうしたの?」
わたし今、なんか考えた?
いやいやいやいやいやーっ! さっきのアレのせいでしょ。君が君だからってやつだ! あれは食らったら全員落ちる。わたしも落ちた。それだけだ! 一過性!
「その宝石が、安全なところにしまわれるまで……落ち着けなくて」
とっさにそう答えると、ファビウス先輩はにっこりした。
わぁー、笑顔がかがやいている! ぴっかぴかや!
「わかった。見えないようにしてほしいんだね」
「そ、そうです。できれば安全なところに!」
「金庫にしまってくるよ。ひとりで平気?」
「大丈夫です!」
「じゃあ、少し待ってて。ついでにお茶のおかわりも持ってくるね」
宝石をポケットに、トレイを手にして立ち去るファビウス先輩を見送って、わたしは呆然としていた。
冷静になれ、ルルベル。さすファビを連続で浴びて、気でもふれたか? 相手は元王子様で、お貴族様で、国家資格二種持ちの天才魔法使いだぞ。しかも、呼吸をするように女の子を口説くぞ。
そう、ファビウス先輩は呼吸してるだけ、呼吸してるだけ……。
わたしも深呼吸でもして落ち着こう。
明日の更新は、お休みになる可能性が高いです。




