215 切り捨てられる側のことも考えてほしいんだ
「さっきは、置き去りにしてごめんね」
わたしは首を左右にふった。
「ファビウス様が謝るようなこと、なにもないです」
「じゃあ、君も謝らないで」
励ますように微笑まれてまず思うことが、あぁ〜、わたし髪もぐしゃぐしゃだし化粧も溶けてそうだし、絶対ひどい顔だな! ……ってな具合なのは、少し元気が出てきたと判断してもいいのかな。
「あの」
「なに?」
「やっぱり、お茶をいただけますか」
「もちろんだよ」
立ち上がると、ファビウス先輩は自然な手つきでわたしの髪を撫でた。……やっぱ乱れてんだな! ジェレンス先生、許すまじ。
……なんてことを思っているわたしの目の端に、ぽっ、と光の花が咲いた。
「え?」
思わず声が出る。そちらを見ると、ふわふわと光が舞っている……さっき舞踏会でも見かけたようなやつだ。ただ、もっと繊細で……色がどんどん変わっていく。
そればかりか、よく見ると形も……徐々に人間みたいになってきて……あれは、なに? ドレスを着た女の子……。あっ。このドレス、むちゃくちゃ見覚えある! わたしだ!
「ちょっとした、お遊びだけど。君の色だよ」
ああ……魔力を彩色してもらってたときの、あの色かぁ。微妙な色合いのピンクにきらめきながら、てのひらサイズくらいの女の子がくるくる空中を踊っている。
「すごい……」
「それが消える頃に、ちょうどお茶が入って、僕が戻る」
「はい」
寂しがらないように配慮してもらったのかと気がついて、わたしはもう……それはもう恥ずかしくなったね!
さっき、うっかり服の裾を引っ張ってしまったことは、取り消したい。ほんと。でも……ありがたかったのは、事実なので。そこは否定できないので、わたしはおとなしく、光のダンスを見ながら待っていた。
本人ここにいないし、たぶん呪符魔法と色属性魔法の組み合わせだよな。……ってことは、準備してたのかな? なんでこんなものを?
そんなの、答えは簡単だ。きっと、楽しませてくれようと思ったんだろう……。
ドレスをひらめかせて踊る女の子は、とても幸せそうだ。小さいし、そもそも半透明だから、表情なんてよく見えないけど。でも、踊る姿があんまり楽しげで。
「……ルルベル?」
ファビウス先輩が戻ったときには、小さな女の子はもう消えていて……そして、わたしは泣いてしまっていた。
「どうして……なんか……とまら、なくて」
足つきトレイ――小さなテーブルになる仕掛けだ。もちろん、綺麗な細工の逸品である――を静かに置いて、ファビウス先輩はポットからカップにお茶をそそいだ。ふんわりと香るのは、爽快感のあるハーブ。
「はい、どうぞ」
カップを受け取りながら、鼻をすすり上げる。……美しい対応とはいえないが、そのままだと鼻水がたれて、さらに美しくなくなるからね。しかたないね。
「ごめんなさい、ほんとに」
ファビウス先輩は答えず、自分もカップを持つと、わたしの隣に座った。ふたり並んで座るの、はじめてじゃないけど。前回はもっと緊張した気がするし、べつに慣れちゃったりもしてないんだけど、でも……今夜は、ありがたいなって思った。
ひとりでいると、寒々しい気分になるから。
「いいよ」
「……なにがですか?」
「君なら、なにをしても許すよ。だから、なんで謝ってるのかはわからないけど、気にしないで」
ね? と小首をかしげたファビウス先輩は、凶悪なまでの可愛らしさであった……。この期に及んで、可愛らしいなどというカードを切ってくるか! おそろしい子!
「わたしを甘やかし過ぎです」
「もっとうまく甘やかせればよかったんだけど、なかなか難しくてね」
そういって、優雅にお茶を飲む。
なんかズルいなぁって感じた。なんでだろう。欠点がほとんど見当たらないからかな。
「とてもお上手だと思います。甘やかすの」
「このお茶はどう? 君が好きそうだなって思って、取り寄せておいたんだ」
「香りがいいですね」
「うん。すっきりするよね」
ふたり並んでお茶を飲みながら、わたしは考える。
すっきりさせたいなぁ、この現実。
「いろんなことが、ぐちゃぐちゃに絡んでて……今夜だけじゃなくて。ずっと、わたしの考えが及ばないようなことが、たくさんあって……。なんだかもう、疲れちゃいました」
「そうだね」
「ごめんなさい、ファビウス様の方がわたしなんかより、ずっと、その……お生まれとか、いろいろ複雑なのに」
「なにも複雑なことなんてないよ。生まれについて悩んだことはないし、まぁ……これからは、ちょっとそうなるかな。王族という立場を捨てたことで、生活にどんな影響が出るのか計算しきれているわけじゃないし。君も、いるし」
「……ほんと、ご迷惑をおかけして――」
「だから」
ファビウス先輩は、わたしの言葉をさえぎった。
苦笑気味に、こちらを見る。あっ近い。キラッキラしてる!
「迷惑なんかじゃないし、たよってもらえたら嬉しいって。何回いえば、わかってもらえるのかな」
「……何回いわれても、わからなさそうですね。わたし、飲み込みが悪くて」
「飲み込みが悪いとは思わないよ。君に魔法を教えるとき、そういう面で困ったことはない。断言できる」
「それは、ファビウス様の教えかたが、お上手だからだと思います」
「君の教わりかたが、いいんだよ」
教わりかたがいい……。新しい概念だな! まぁたしかに、教わるのにも上手い下手があるのかもしれないけども。
「謝らせてくれないんですね」
「謝りたいなら謝ってもいいよ。でもルルベル、君はべつに悪いことなんてしてないよね?」
「……もっと、シスコのこと、気をつけてなきゃいけなかったんです」
実際、リートは気がついていたんだから。アルスル青年のふるまいが不自然だった、って。
そういえば、彼はどうしてるんだろう。リートじゃなくて、アルスル青年の方。いやまぁリート本体も、少しは心配してやってもいいが……どうせ無用だとかいわれそうだし。
「気をつけるにも、限界があるからね。そうやって責めていくなら、先生たちだって、リートだって――もちろん僕も含めて、皆がもっと気をつける必要があったんだ。シスコ嬢本人も含めてね」
「でも、シスコは関係ありません!」
「関係あるよ」
「だって」
「関係ないなんて君がいったら、彼女はきっと憤慨するし、悲しむだろう」
そういわれては、わたしも口をつぐまざるを得ない。
……でも、やっぱり我慢ができなくて。
「そうかもですけど、わたし、思ったんです。シスコに、わざと嫌われてでも……友だちをやめるべきじゃないかって」
「駄目だよ、ルルベル。彼女の覚悟を甘く見ないで。たぶん、シスコ嬢は考えてるよ。聖女の友人になることの意味をね。考えた上で、彼女は選んだんだ。……もちろん、今後も彼女の人生はつづく。今夜の経験を経て、考えを変える可能性だって皆無じゃない。だけど、君が知ってるシスコ嬢って、そう簡単に友だちをやめようなんて思う?」
「……だから、わたしの方からなんとかして」
「彼女には、選ばせてあげないの?」
トレイにカップを戻して、ファビウス先輩は座り直した。
まっすぐに、わたしをみつめて問う。
「君は、まわりの皆の人生を、自分が決められると思ってるの?」
喉に固いものが詰まったような気がした。違う、と答えたかったけど、うまく声にならない。
「そんなわけじゃ……ないです」
否定はしてみたけど、本心では認めるしかない。今のわたしが考えてるのって、たしかに、そういうことだ。誰にも死んでほしくない。皆に幸せになってほしい。それだけなんだけど……そう希う気もちが強過ぎて、自分を止められない。
「……ごめん、今のは僕が悪かったね。君が心からシスコ嬢を案じていることは、理解してる。でも、切り捨てられる側のことも考えてほしいんだ。僕だって、迷惑をかけられないなんて理由で君に去られたら――」




