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211 ジェレンス先生は化け物かーッ!

「もう一回、確認する」

「はい」

「おまえは考えるな。俺の道具になりきれ」

「……はい?」

「ここ、って場所に移動したら、すぐさま呪符に魔力をこめろ。それ以外のことは、するな」


 道具になれ、って……すごいインパクトのある台詞だな!

 そうすべきなんだろうな。魅了された生徒は誰なのかとか、エルフ校長がどんな魔法使ってるのかみたいな余分なことを考えたら、それだけ動きが遅れる。ほんの一瞬であっても、遅延が不利を招くかもしれない。

 ただ円をつないで、呪符を発動させる。それだけに徹するのが最善なんだろう。

 ウィブル先生は、感情を切り離せっていってた。邪魔にならないように。

 わたしはシスコを救うんだ。絶対に。

 泣きたい気もちで、わたしは唱える――シスコ、無事でいて。わたしの天使!


「わかりました、肝に銘じます!」

「声がでけぇよ」

「……はい」


 ジェレンス先生は、わたしの頭をくしゃっとした……。

 ああーっ! 誰か! 誰かこの教師に、乙女の髪型を乱すのがどれだけ罪深い行為であるかを……殊に今日みたいにお洒落にキメてるときにやらかすのは絶対アウトってことを、教えてほしい!

 なんなら今、この瞬間、わたしが教えたいくらいだが……喋り声で吸血鬼に気づかれても困るので。

 感情は切り離せ、感情は切り離せ、感情は切り離せ!

 せっかく綺麗に結い上げた髪をくっしゃりされた恨みについては、保留にせよ!

 ……ウィブル先生、絶対、自分の助言がこんな風に役立つとは思ってなかっただろうけどね! でも役立ってます、先生ありがとう!


「行くぞ」


 ひゅんっ!


          ってこれまた、虚無の


                              うわぁ!


 世界が出現した。心臓が飛び出した。身体の内外がひっくり返った――くらいの感覚があるが、錯覚だとわかっている。だって、そんなことになったら死んでるはずだしな!


「貼れ」


 耳元でささやかれ、わたしは持っていた呪符を前に突き出した。

 視界は真っ暗。音もしない。

 ほんとに虚無から抜けたのか、それともまだ虚無ってるのか?

 なにに貼っているのかさえわからないが、……人間? いやでも人間だったら、なんで動いてないんだろ……いやいやいや、考えるな! わたしは道具!

 魔力を……なにも感じない魔力を指先に集め……集めたつもりで、欠けた円を結ぶ。

 全力でぶっぱするならともかく、こんなの……こんなの無理!

 前世の記憶が叫んだ――全集中! 長男じゃないけど、できる!


「よし」


 不意に声がして、跳び上がらんばかりにおどろいた。

 ……と思うと同時にまた、ひゅっ!


          これって


                    慣れることあんの?


 ジェレンス先生は化け物かーッ!


「貼れ」


 化け物の道具となったわたしは、次の呪符に集中した。

 フォーカスすべきは今、ここ。

 ついさっきまで自分がどこにいたのかとか、なんだったのかとか、考えるな。無駄だ。

 わたしは道具、わたしは道具、シスコを救いたいだけの道具……指先に魔力を集めるんだ、あんなにやったんだからできる、できる、できる!

 思いだせ、ひっくり返ってばかりだった頃の魔性先輩との訓練を!

 ……あ、いや、そこまでさかのぼらなくていいな。もうちょっと、うまくできてた頃にしよう。

 バイト代に目が眩んだリートと、研究室で練習したよね。呪符十枚、ちょいっと欠けたところをつなぐ程度、あの頃のわたしならできる!

 今のわたしは、あの頃のわたしの延長線上にいるんだから……できる!


「もっと、魔力をこめろ」


 量の加減なんて、わっかんねぇよ!

 それでも、やるしかない。

 爆発したら責任とってもらうからな! どう責任とるかは知らんけど!

 せめてシスコは――救われろぉっ! むんっ!


「よし、次だ」


 ひゅんっ!


 ……まぁ割愛するけど、これを六回やったと思う。たぶん六回。ひょっとすると七回。いや五回だったかもしれない。

 くらくらするし、できるだけ考えないようにしてたし。数は、あやしいけど、まぁ……だいたいそれくらいだよ!


「限界だな」

「え?」


 気がつくと、わたしはふかふかの草の上に座っていた。

 さっき呪符を貼って力を流したばかりのなにかが……ゆっくり、膝の上に倒れてくる。綺麗なドレスの……。


「シスコ!」

「ここで、そいつを守ってろ。なにか来たら魔力放出だ。できるな?」

「……はい」

「まかせたぞ」


 ひゅんっ……と消えたのは、ジェレンス先生だけで。

 真っ暗な中、わたしは意識を失ったシスコと、とり残された。

 ……寒い。

 いや、起きてるわたしが寒いんだったら、シスコはどうなのよ。風邪引いちゃう!


「シスコ……」


 わたしはぐったりしたシスコの上半身を苦労して起こし、冷え切った肩に腕をまわして、抱きしめた。

 冷たくなったシスコの頬が、わたしの首筋に当たる。呼気も感じる……そう、ちゃんと呼吸してる。生きてる。それだけで感謝すべきなのかもしれないと思って、ぞっとする。

 それだけ? それだけでいいの?

 そんなのおかしい。新しく仕立てたドレスを着て、シスコは舞踏会を楽しむはずだったんだ。なのに、なんで?

 ……ねぇシスコ、なにがあったの? どうして、こうなっちゃったの?

 もう道具を辞めていいのかな。考えたり感じたりしていいのかな? まだ早いのかな……どうしよう、もう無理なんだけど。涙があふれて止まらない。

 シスコ、目を覚まして。わたしの顔を見て、化粧が溶けちゃったって叱って。せっかく頑張ったのに駄目じゃない、って困ったように笑ってよ。髪が崩れてるのはジェレンス先生の責任なんだって、いいわけさせてよ。

 どうして。どうしてこんなことになるの。


「なにが間違ってたんだろうね……どうすればよかったんだろう」


 舞踏会なんかに出なきゃよかった?

 それとも、シスコと友だちにならなければよかったの? 同じ平民だからって近づいて。都合よく、力になってもらって。シスコの友情に甘えなければよかった?

 エルフ校長がいうように、エルフの里に隠してもらうべきだったのか。


 聖属性の持ち主は大変だって、それ、わたしだけの話じゃない。わかったつもりで、わかってない。何回でも、実感し直さなきゃならない。

 狙いやすい相手から崩されるんだ。わたし自身じゃなくて。

 今回の吸血鬼が前回のそれより脅威であるなら、もっと強い相手でも狙えただろう。でも、相手はそうしなかった。わたしと行動をともにする、名の知れた人間――スタダンス様や、ファビウス先輩は有名人だ――を安易に取り込まず、シスコを狙った。

 年を経た吸血鬼は、人間のことも、よく知っている――エルフ校長は、そういっていた。なにもかも利用してくる、って。政治、経済、軍事、宗教――きっと、友情や愛情も。


「ん……」


 耳元で声がして、わたしははっとした。

 シスコの肩を掴んで、顔を覗き込む。


「シスコ?」


 ここは暗くて、あまりよくは見えないけど。

 でも、シスコの長い睫毛がふるえているのがわかる。少しずつ、目蓋が上がって――ああ、大きくて綺麗な眼が、わたしを見る。


「……」

「シスコ……シスコ!」


 抑えようとしても、声が大きくなってしまう。ふるえてしまう。


「ルルベル……」


 少しかすれた声。かすかな笑み。

 ゆっくりと、シスコの頭がわたしの方に倒れてくる。さっきまでそうしていたように、肩に頬を預ける。

 吐息のようなささやきが、耳に届いた。


「よかった……」


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