207 君がそこにいるだけで〜、僕は強くなれる〜
「おまえら、こんな壁際でなにやってんだ?」
「あら、ジェレンス。ようやく来たの」
急に声をかけてきたのは、ジェレンス先生だった。
今夜はジェレンス先生もシュッとした恰好……というほどでもなく、あまりいつもと変わらない。髪なんか、ボサッとしてるし。でもまぁ、変わらないのは変わらないので、ほっとするかも?
「こんばんは、ジェレンス先生」
「おぅ、うちのクラス全員合格のズルを編み出した生徒じゃねぇか」
魔法の無駄遣い教師! と、返してみたかったが我慢した。同レベルになったら負けだ。
「話し合えるようにしてたのは、ジェレンス先生じゃないですか」
「正解は伝えられないように考えたのになぁ……伝わらない、って歯軋りさせてやりたかったんだが。寝不足だと駄目だな。詰めが甘くなる」
やっぱりそういう意図ですよね、あれ! 絶対そうだと思ってた!
呆れればいいのか怒ればいいのか、態度を決めかねているわたしの隣で、ウィブル先生は真面目に宣言した。
「そういう馬鹿なこと考えるから、足元を掬われるのよ」
「うっせぇな」
「ところで、校長が話しちゃったそうよ、ルルベルちゃんに」
「なにを」
「吸血鬼のこと」
「ぁあ? 職員会議で決めたじゃねぇか……あの野郎、しれっと約束破りやがるな!」
「……ルルベルちゃん、どこまで聞いたか、もう少し教えてもらえる?」
というわけで、わたしはあらためてエルフ校長との会話をざっくり再現することになった。
ついでに、守られているだけでは嫌なんだって話にもふれることになり、教師ふたりに微妙な表情をされた……。
「あー、うーん……」
「そんなつもり、全然なかったんですけど。自己顕示欲が皆無かっていわれると、そうじゃないですよね」
「当然でしょ。自己顕示欲がない人間なんていないわよ。程度の差があるだけ」
「まぁなぁ。俺なんか、振り幅がすげぇぞ」
自己顕示欲の振り幅?
わたしがきょとんとしていると、ジェレンス先生は少し照れたように頭を掻いた。
「ほら、俺こそ世界一だ、誰でもかかってこい、どうだ! って見せびらかしたいときと、もう世界から忘れ去られたい誰にも注目されたくないってときの格差がな……」
「ええっ? 先生、注目されたくないときがあるんですか?」
「注目されたいだけなら、王族の相手が苦手とかいわんだろ?」
「あんたのは、面倒なことから逃げたいだけでしょ」
ズバーン! ……今日は豪速球ストライクをよく見かける日だな……。
しかし、ジェレンス先生はたじろがない。
「面倒なことから逃げたくない人間なんているか? いねぇだろ」
「ほんとに逃げるかどうかは別問題よ」
このあとも、ストライクをファウルで粘る場面がつづいたが、結局、ウィブル先生が諦めたようだった。……大人だからね。
テンポのよいやりとりが途切れたあと、ジェレンス先生はわざとらしく咳払いをした。
「ま、吸血鬼のことは心配いらねぇよ。校長が本気だしな」
「校長先生って、やっぱりお強いんですか?」
「魔王封印に立ち会った人間……いやエルフが、強くないわけねぇだろ」
「そういうこと。しかも今は、ルルベルちゃんが覚醒済みだから」
「覚醒済み……?」
「聖属性魔法使いとしての自覚を持ち、ちゃんと訓練してるって意味よ」
「魔力感知ができなくなってても、役に立つんだよ、おまえ。校長の話は嘘じゃない。精神論とかじゃなく、実効があるってことだ」
……君がそこにいるだけで〜、僕は強くなれる〜……って感じか。すごいな。ラブソングか!
「なんかちょっと、複雑です」
「そうか? 楽して役に立つんだから、いいじゃねぇか」
「そこに、わたしの意志はない……っていうか」
先生たちは顔を見合わせた。先に口を開いたのは、ウィブル先生だ。
「さっきもいったように、ただ信じて待つのって負担だし……ルルベルちゃんも、なにか自発的にできることを探すのがいいかもね? 一緒に探してあげる。明日なら時間がとれるし」
「ありがとうございます」
「リート、ルルベルちゃんの予定ってどうなってるの?」
……おお。ここまで、リートの存在を完全に忘れていた! すごいな、最近のリート。気配消し過ぎでは?
「今のところ、特に予定らしい予定はないです」
「じゃあ、研究室に行くわね」
「ファビウス様の許可は……必要ないですかね?」
「心配なら、今夜帰ったときに許可をもらってちょうだい」
断られる可能性など微塵も考えていない顔で、ウィブル先生はにっこりした。
でも、ファビウス先輩っていえば……見かけてなくない?
「ファビウス様は、いらしてないんでしょうか。あとで来るっておっしゃってたんですけど」
「あの子も忙しいから。なにかで手間取ってるんじゃない?」
忙しいのは知ってるけどな。いつ休んでるんだろうってくらいの雰囲気だし。
「まさか、研究室で倒れてたり……」
「飛躍し過ぎじゃない?」
「そうならいいんですけど、最近、お休みになってるところを見たことがないんです」
「あいつ、完璧主義者のくせに数も撃ちたがるからな。睡眠時間がもったいないとでも思ってそうだ」
不安を煽るようなことをいうジェレンス先生をじろっと睨んでから、ウィブル先生はふたたびリートに尋ねた。
「リート、どう思う?」
「俺の観察では、ほとんど寝てないですね」
「おまえら心配し過ぎだろ」
ジェレンス先生は笑うが、だったら! 煽るな!
はぁ、とウィブル先生がため息をついた。
「ちょっと様子見てくるわ。ジェレンス、いいこと? 次に逃げたらどうするか、わかってるわね?」
「……いや、だったら俺が行く」
「あんたも舞踏会でやることあんでしょ! 顔をつないで! 不義理してる相手に挨拶して、好感度を上げなさい。親が苦手なら、生徒でもいいわ。そのぼさぼさ頭を撫でつけて、愛想ふりまくのよ。でももちろん……最優先すべきがなにかは、わかってるわね?」
ジェレンス先生は、なんともいえない顔をした。
なんていうか、雨に濡れた子犬みたいな? 僕とってもかわいそうなんです、ここはどこ? って顔。
マジレスすると、舞踏会開催中の学園のホールだがね……。
「あの、いいだした責任をとって、わたしが行ってきましょうか」
「いいのいいの、ルルベルちゃんたち一学年は、今夜の主役なんだから! もっと楽しまなきゃ駄目よ。リート、あんたも任務が許す範囲で楽しみなさいよ?」
「はい」
従順に返事をしたリートであるが、楽しむとはどういうことか? くらいは思ってそうである。たぶん、ダンスは好きじゃないだろうし。食事……は、ホールにはないんだよなぁ。
「ジェレンス先生が挨拶に行かれるなら、わたしたちは休憩室に行こうか」
「俺は君に同行するだけだ。君が行きたいところに行けばいい」
「休憩室なら、ちょっと食べるものもあるんじゃない?」
「おい、俺を置いて行くなよ……俺も行く、俺も」
……なぜか見捨てられた子犬モードが抜けないジェレンス先生と鉄仮面リートを引き連れ、わたしはまた休憩室に移動した。
もっとダンスを見物したい気もちもあるけど、さっきからまともに休憩できてないしな……。
「そういえば先生、シスコを見かけませんでした? 別れてから、一回も会えてないんですよね」
「あの過密輪舞の中じゃ、みつからんだろ」
過密輪舞。……まぁ……そうなんだけど、いいかたー!
「組んで踊るときの方が、みつけやすいでしょうか?」
「だろうな。今回、やたら参加者が多いからなぁ……しかし、意外だな」
「はい?」
「おまえなんか、囲まれて身動きできなくなってんじゃねぇかと思ってたら、ウィブルと話し込んでるんだもんな」
「ああ……ウィブル先生の前は、校長先生と踊ってたので……校長先生ってこう、ちょっと声をかけづらいところありません?」
「それでも容赦なく囲んでくるもんだぜ、ふつうはな」
さぞかし囲まれたご経験がおありだとしか思えない反応だ。つまり、かわいそうな子犬になってる。
ジェレンス先生、どこが最強の〈無二〉なのか、わからなくなることあるよなー。
「じゃあ、わたしと一緒にいらっしゃらない方がいいんじゃないですか?」
「さっきウィブルにいわれたろ。逃げたら――」
「逃げるって、挨拶から逃げたらってことじゃないんですか?」
「違う。王侯貴族が来たからって、おまえを置いて逃げたらシメる、って意味だ」
そっちかー!




