201 魔法使いに必要なもののひとつは、倫理観
楽しいダンスの最中に、ウィブル先生が小さく告げた。
「ごめんね」
「……はい?」
「リートのこと。ルルベルちゃんを怒らせた、って報告を受けたわ」
「報告……」
そういや、ウィブル先生はリートの師匠だったな!
「リートだから、報告って感じよね。でも、義務もないのにリートが報告に来るって、変でしょ? あれは相談の一種だと思うの」
「なるほど」
さすが師匠、弟子を深く理解している!
「それで事情はだいたい聞いたんだけど、まず、記憶操作ができるかできないかでいえば、リートならできると思う。ただ、やっていいことかどうかでいえば、いけないことよ」
「……そうですよね」
「記憶操作を使わなければ、どうしようもない場面っていうのもあるかもしれない。そうだとしても、可能な限りは避けるべきよ。魔法使いに必要なもののひとつは、倫理観なの。倫理がぶっ壊れてたら、どんな大魔法使いでも――いえ、大魔法使いであればあるほど、社会の迷惑にしかなり得ないわ」
ウィブル先生は、まともである。ほんと、この師匠から、なぜあの弟子が……。
「リートは理解してないんですか? そのへんのこと」
「利益があるならやればいい、くらいにしか認識してないでしょうね。だから、なにが利益でなにが不利益かの判断を安易にくだすのはまずい、という方向で禁止しておいたわ。つまり、その場では賢明な判断だと思ってしたことでも、あとで都合が悪かったとわかるかもしれない、って意味ね」
「はい」
「記憶操作は、不可逆なの。つまり、消した記憶は戻らないし、植え付けた記憶は消せないのよ」
……植え付ける方もできるのか。いやまぁ、そりゃそうやろな。そうりゃそうやろけど。
生属性、こっわ!
「知りませんでした」
「記憶って、そんな都合よく部分だけいじれないのよ。魔法の操作としては可能だけど、あとが問題なの」
「あと……?」
「消えた記憶が戻らなくても、その隙間を埋めるための記憶が捏造されたりするのね。無意識の作用だから、記憶が消えたことに気づいていなくても生じるわ。本人はそれが真実の記憶だと信じるし、あらたに生じた記憶がより『不利益』を生む記憶だったらどうするの? って話になるわけ」
「なるほど……」
そっか、安易に都合の悪い記憶を消せばどうにかなる、ってほど単純な話じゃないんだな。
人間の記憶って、あてにならない面もあるもんな。誘導尋問の結果、起きてもいないことが実体験として語られちゃったりする……みたいなことも起きるわけで。これは前世知識だけど。
「この理屈で、リートも納得したはずよ。今後は、そうそう記憶を消すだのなんだのいわなくなると思うわ」
「ありがとうございます」
「お礼をいわれる筋合いじゃないの。予防できてないのが問題なんだから」
「リートだから、しかたないと思います」
ウィブル先生は、くすっと笑った。やだ可愛い。かっこいいのに可愛いなんて反則だ。
「ルルベルちゃんは、リートのこと理解してくれてるのね」
「そりゃ……しょっちゅう一緒にいますし。でも、理解してるかどうかと受け入れてるかどうかは別ですよ?」
「諦めてるみたいね」
ウィブル先生、するどい! たしかになぁ。
「たよりになる場面も多いんですけど」
「倫理観がおかしいから強い、ってことでしょうね。あの子、自分の社会性がちょっと変だということは知ってるのよ。知ってるんだけど、理解はしてないって感じ」
なるほど納得。
「そんな雰囲気ですね、たしかに」
「リートの訓練は、校長からの依頼だったんだけど。引き受けたのは、あやういと感じたから。本人は途轍もなく安定しているつもりだろうし、そう見えもするでしょうね。でも、本質的な部分は違う。あの子は、自分の居場所を把握してないの。立ち位置がわかってない。だから、社会性がおかしなことになってるのよ」
畳み掛けるようなリートへのダメ出し、ありがとうございます!
スッキリするわぁ……そうだそうだ、そういうやつだよリートって。
「ウィブル先生は大人ですねぇ」
「そうでもないわよ。リート相手に本気で怒ったりするし」
「本気で怒ってくれるひとがいるのは、リートにとって、良いことじゃないですか?」
「ルルベルちゃんも、大人ね!」
そういって、ウィブル先生は楽しげに回転した。当然、わたしも回転する。
わぁ!
回転が映えるようにデザインされてるドレスだから、ひらひらが……ひらひらが最高だよ!
ひとしきり回転したところで、ちょうど曲が終わった。
「終わっちゃった……」
このわたしが! ダンスが終わるのを残念に感じる日が来るとはな!
ウィブル先生おそるべし。
「すぐに輪舞がはじまると思うけど、少し休む?」
「そうですね」
ダンスは楽しかったけど、履き慣れていない靴だから、少しつま先が痛いかも。少し痛いかも程度で済んでいるのは、さすが高級品、というべきなのか。
下町では、新しい靴って滅多に買えなかったけど……たまに手に入れたらそれはそれで、馴染ませるの大変だったもんなぁ。靴擦れができまくって。痛くて泣きたくても、営業スマイルで頑張っていたのである。
こんな風に、豪華なシャンデリアの下、お貴族様たちに混ざって綺麗なドレスを着て踊るなんて……想像もしなかった。
ウィブル先生はホールから休憩室の方へ案内してくれた。ホールは広くて複数の出口があるから、休憩室も複数ある。豪華な家具がたくさん置かれてて、いやぁ……すごいわ。
リートがすかさずやって来たのは、見上げたプロ根性としかいえない。ついでに飲み物とか、ちょっとつまむものなんかも調達してきてくれてたら、天才だった。
なお、飲み物は給仕が配って歩いてる。ノン・アルコールが主体らしいよ……生徒が若いからってだけでなく、魔法使いは肝臓がだいじだからね!
ウィブル先生が給仕を呼び止めている横で、わたしは室内を見回した。
「あれ……」
「どうしたの?」
「シスコが、えーっと……アルスルさんと踊ってたはずなんですけど、ここにはいないのかな、って」
「ほかの部屋にいるんじゃない? それか、次の曲も踊ってるのかもよ」
輪舞用の曲が流れはじめたのを聞きながら、なるほど、とわたしは納得した。
早くシスコに、ダンスって意外と楽しかった! といった話をしたいのだが……。いや待てよ。ウィブル先生がいる目の前で、ウィブル先生のリードがすごいって力説するのも、いかがなものか。
帰ってからがいいな。今夜はシスコ、研究室に泊まりに来てくれるって話だったもん。ふたりで枕を並べておしゃべりする予定なんだ。
たっのしみー!
「ルルベル」
声をかけられて顔を上げると、エルフ校長が立っていた。
今日のエルフ校長は、なんていうか……まともモードである。高位貴族男性にふさわしく、手入れの行き届いたつやっつやの髪を肩にたらしているのが、ダークな色味のスーツに映え満点です、ご馳走様です。
「ダンスを楽しんでいたようだったね」
「はい、ウィブル先生が誘ってくださって……」
「僕もルルベルと踊りたいなぁ」
あっそう? そういう話になるの?
「今、曲は輪舞ですけど、それでよろしければ……行きましょうか?」
「輪舞はあんまり好きじゃないんだ」
わがままかよ。
「校長、そんなことよりお仕事がおありでしょ?」
「ああ……まぁ、そのために来たんだけどね」
お仕事? なんじゃそりゃ?
という想いがそのまんま顔に出ていたのだろう。ウィブル先生は苦笑して教えてくれた。
「ほら、ご挨拶して顔をつないでおいた方がよさげな皆様にお会いするためよ。ルルベルちゃんの保護者として、校長がちゃんとやってくださることになってるわ」
「……なるほどぉ」
やりたくないけど、そもそも舞踏会に出席する目的って、それだもんな。
そして、その任務に同行してもらうならエルフ校長一択だろう。リートじゃ、いくら心臓が鉄でも社会的な地位が特にないって問題を乗り越えられないし、ウィブル先生は自己申告で平民だ。その点、エルフ校長はエルフで校長で貴族であり、救世の英雄のひとりでもある。属性盛り過ぎである。
「さっさと終わらせて、曲が変わったら踊ろうね」
駄目人間、いや駄目エルフっぽい発言をするエルフ校長に、わたしはうなずいた。ダンス楽しいの会に入会しちゃったからな……エルフ校長もリードがうまいとは限らないけど、まぁ、期待していいんじゃない?
エルフのダンスがドタドタだとか、あり得ないっしょ!




