2 乙女ゲーム転生といえば、悪役令嬢じゃないの!?
そういうわけで、わたしは現在、絶賛記憶の整理中である。
今のわたし、名前はルルベル。ちょっと「ル」が多過ぎないかと親を問い詰めたいが、親は現在、非常に忙しくはたらいているだろう。我が家はパン屋なのである。貴族令嬢とかを少し期待していた前世のわたしには申しわけないが、とても平民だ。
暮らしぶりは、悪くはないが良くもない。パン屋はとても忙しい。利益率も薄い。それでも、両親はパン作りが好きだし、皆の暮らしに欠かせない仕事だし、天職だといっている。
わたしも昨日までは早起きして親の仕事を手伝っていたが、今日からは違う。だって、王立魔法学園に入学するからね!
はい、リピート・アフター・ミー。
王立魔法学園に入学するからね!
わたしは鏡を見た。見なくても知っていたけれど、確認したかったのだ。
そういえば男性陣の顔面については注文をつけたが、自分の容姿については、なにもいわなかったと思う。当然、顔立ちは地味だ。なんていうかこう……愛嬌はある。でも、美しいといわれるような顔じゃない。
まぁ、それはいい。それはいいんだけど、ピンクがかったブラウン・ヘアといい、パン屋の娘なる境遇といい、特別な魔法の才能がみつかったから王立魔法学園に入学するシチュエーションといい……。
「前世の記憶によれば、これはヒロインというものじゃない?」
無邪気によろこび、希望にふるえていた昨日までのわたしは、もういない。今日のわたしは、不安しかない。
だって!
「乙女ゲーム転生といえば、悪役令嬢じゃないの!?」
特定ゲームの知識がなくても、テンプレート展開の知識なら豊富! まぁけっこう忘れてるけど、なんとかなる! ……と思ったのも、束の間だった。まさか主人公だなんてな!
前世で読んださまざまな転生もの、ほとんどの作品の主役は悪役令嬢である。高位貴族のご令嬢で、メイン・ヒーローとなる王子様の婚約者で、ヒロインに嫌がらせをする……と、死亡フラグなので、なんとか逃げ切ろうと努力するはずなのである。
話が違うと思ったが、乙女ゲーム世界に転生するなら悪役令嬢……なんて条件、たしかに、話し合わなかった。
政情が安定していて生活レベルが前世日本と比べて絶望的なほど低かったりせず、顔面が美しい男性が多い世界に人間の女性として転生する……ということくらいしか、約束していないのだ。
転生コーディネイター? 宇宙意志? なんだか知らんが、あの超絶美声の持ち主と話していた前世の自分……いや前世終了後の自分? とにかく生まれ変わり前の自分を殴りたい。暴力はいけないが、自分にふるうなら許されるのではないか。暴力を我慢するとしても、入れ替わって条件を詰め直したい……。
主人公ちゃんに転生するなんて、聞いてないよ!
「……待って。待って待って、これって、わたしがいじめられる可能性があるんじゃない?」
そこよ。重要なのはそこ。へたに攻略対象に近づけば、悪役令嬢にいじめられる恐れがある。
いかに男子どもの顔面がよくても、いじめられては割に合わない。階級差がある世界で十六年生きて来た身としては、伯爵令嬢はもちろん、男爵令嬢にだって逆らうなんて絶対できっこない。公爵令嬢においては、雲上人である。
そう、乙女ゲーム的な諸々がなく、悪役令嬢が改心していたとしても、わたしは平民だ。王立魔法学園では圧倒的な少数派であり、弱者である。それだけでもう、いじめられる可能性が高い。もちろん、王立魔法学園内では、身分の上下は問わないことになっているが、世の中は嘘と建前でできているのだ。お綺麗な公平さを無邪気に信じるだけでは、足元をすくわれるだろう。
いじめ、ダメ、ゼッタイ。カッコワルイ。啓発ポスターを作って学園内の壁という壁に貼りまくりたい。
「お姉ちゃん、荷物まだ下ろしてないよね?」
「ノックしてから開きなさいっていってるでしょ!」
反射的に答えてしまったが、弟が部屋を覗いたので思いだした。その魔法学園に入学するのは、今日だった。
王立魔法学園は、前世日本とは違って「一定の年齢に達したら入学できる」という謎システムになっている。昨日まではそれが当然で、謎だなどと思ったこともなかったけれど、過去の記憶に照らし合わせた今は、謎だな〜、というしかない。
皆がそれぞれの誕生日、あるいはそれ以降の都合のよい任意の日に入学してくるなんて、学校側の対応、大変過ぎない?
もちろん、入学式もない。卒業式はあるらしいけど、それは「今年度の卒業生」をまとめて扱うかららしい。
まぁ、平民のわたしって、近所の……前世でいうと、寺子屋みたいな? つまり、教養ある個人が近所の子どもを集めて学問の基礎を叩き込んでくれる私塾みたいなもの? しか経験がないし、そこには当然入学式もなかったから、今の今までなんにも疑問を感じたことがなかったのよね。
少なくとも、入学式で王子様とバッタリ! なんてイベントにいきなり巻き込まれることがないのは安心だ……。
「そんなこといってるあいだに、遅刻しちゃうよ」
弟の顔面は並より美しいと思うが、所詮はパン屋の次男だ。手にもエプロンにも小麦粉がついている。鼻先にも。それを指でピッと拭ってやりながら、わたしは答えた。
「入学するの、延ばせないかなぁ」
「なにいってんの。パン屋の手伝いキツいから、さっさと入学したいって主張したの、お姉ちゃんだよね」
デスヨネー……記憶にございます。
実際、パン屋って早起きオブ早起きだし、パン種を捏ねるのって重労働だし、もちろん焼くのも、焼けたのを店に並べるのも、店番するのだって大変だ。わたしは一応、看板娘ということになっているので、店頭での接客がいちばん忙しかった。そして、嫌な客というか、粘着質な客がいて危機感を覚えてもいたので、さっさと入学したかったのだ。
「でも、寮に入るのちょっと寂しいな」
「それも、お姉ちゃんが入りたいっていったんだよ?」
「いいじゃない。直前になって後悔するものなのよ、こういうのって!」
「すぐそうやって、開き直るんだからなー。とにかく、朝ごはんは並べてあるから、さっさと食べて行ってきなよ」
「誰も見送ってくれないのも寂しい」
「店から出て行けばいいよ。窯の前にいる以外の全員で見送るよ」
「いや、それはやめとく」
粘着質の客にも見送られそうな気がする。毎朝いちばんに、パンを買いに来るのだ。昼も。夕方も。
思いだしただけで気もち悪くて、鳥肌がたった。そうだ、わたしは王立魔法学園に入学して、魔法を学ぶのだ。不審者くらい、ちょちょいのちょいと撃退できるようになるのだ!
あ〜でも不審者がいない世界とか指定できるんなら、転生するときにお願いすればよかった! それも生まれ合わせとやらで否定されるのかもしれないけど……。
「裏から出るにしてもさ、声かけなよ。手が空いてれば、誰か見送るからさ」
いいながら、弟は荷物を持った。我が弟ながら、気が利く。わたしの部屋は三階なので、大きな荷物をいくつも抱えて下りるのは大変なのだ。十三歳とはいえ、もう背丈もほとんど変わらないし、力は弟の方が強いし、パン種を捏ねるのもわたしよりうまい。
いつのまにか成長してるんだなぁ、とわたしは感慨深く思いながら、弟につづいて階段を下りた。
「ありがとう」
「どういたしまして。学園に入学するなんて、すごいことだしね。一応、自慢なんだよ」
どんどん大人の男に近づいているんだなと思ったばかりだけど、ちょっと恥ずかしそうにそういう弟は、やっぱり可愛かった。
「一応ってなによ、一応って。もっと自慢に思っていいのよ」
「わかったよ、今日も明日もルルベル入学祝いでたくさんパンを売ってやるよ」
そう……わたしの入学は近所で大評判なので、当然、ご祝儀としてパンを買ってくれる人もいるのである。ならば、ご祝儀分を上乗せしたパンも売ろうと弟がいいだして――ほんとにこの子は、しっかりしてるのだ――今日から、ルルベル入学祝いパンが売り出される。おめでとう、ありがとう、という言葉と一緒に、お金とパンもやりとりする作戦である。試作品を味見させてもらったけど、かなり美味しかった。
「売り上げ伸びるといいねぇ」
「だから、初日から遅刻はやめてね? それも評判になるに決まってるんだから」
「……はい」
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