192 恐怖! 担任が機嫌が悪いことを隠さない件について!
試験の日、久しぶりに教室に行ったわたしを待っていたのは、ほとんど見知らぬクラスメイトたちであった。
……どうしようもない事情があって、ずーっと特別行動だったわけだけど……この溶け込めなさ! 浮いてるし! クラスメイトが増えたり減ったりしててもわからないレベルで、誰も見覚えがない!
「ルルベル嬢、おはよう」
挨拶してくれるのは、侯爵家のご子息だったり。
「ようやく来たか。どうだ、自信のほどは? 先日の雪辱を果たせそうか?」
この国の王子様だったりするわけで、なんかこう……。視線が痛い。
それはそれとして雪辱って……早押しゲームで負けたのは単純に反射神経の問題であり、筆記なら勝てる自信しかないからな! 王子! わかってんのか、そのへん!
「おはよう、ルルベル」
「おはようございます、エーディリア様」
エーディリア様もクラスからは孤立しやすいお立場だけど、王子殿下に常時付き添う必要がなくなってるなら、前とは違ってお友だちもできてたり……するのかな。
「ルルベル!」
「シスコ!」
ああ、シスコ!
わたしたちは手を取り合い、ひそひそとささやいた。
「顔色がよくないようだけど……大丈夫?」
「ちょっと、神経戦を戦い抜いたものでね……」
すなわち、ファビウス先輩とのマンツーマン指導、容赦ナシ! ってやつね。
自分からお願いしている以上、弱音は吐けなかったわけよ。それがつらかった。
「でも大丈夫。もう、なにも、怖くない!」
「それならいいけど……もし気分が悪くなったりしたら、すぐいってね?」
「うん。ありがとう、シスコ。シスコはどう?」
「出題範囲が広過ぎて、不安しかないわ」
それな! ファビウス先輩プロデュースの集中学習が効果を上げなかったとは、いわないが。入学まで一切魔法学なんてものも知らず、基礎教養ゼロっていうスタートがねー。下層の平民というハンディキャップを抱えて魔法学園に入学するのは、いやもう、大変なことだよ? これ、聖属性じゃなくて皆に放っておかれてたら……絶対、どうにもならなかっただろうな。
それを思えば、聖属性でよかった! と、いえなくもない。ただ、聖属性持ちってサイテーだな、ってデメリットがてんこ盛りあるのでなぁ。素直によかったとは思えないのが難点ではある。
いやもうほんと、大変過ぎだろ聖属性……。
と、ドアが開いて、ジェレンス先生が入って来た。
……あっ。
今この瞬間まで、きれいさっぱり忘れていたのだが。わたしとリートは、ジェレンス先生を置き去りにして勝手に帰国したのである。まぁ、ハーペンス師から事情は聞いてるだろうけども! 逃亡せざるを得ない状況だった、ってのも伝わってるはずだけど!
でも、視線が合ったときに理解したよね。
……これは、根に持ってるやつだ。そういう顔だ!
ひいい、どうしよう、ひとりだけ難しい問題とかだったら!
「生徒ども、元気にしてたか? 俺は忙しい現場から帰還したばかりで機嫌が悪い。試験問題は徹夜で作って来たが、睡眠不足は機嫌の悪さに拍車をかけるからな。機嫌がよくなったりはしない。むしろ最悪だ」
恐怖! 担任が機嫌が悪いことを隠さない件について!
教室は完全な静寂に支配されている……えっ、ここでもまた神経戦になるの? もう無理なんだけど……マジで無理なんだけど!
「機嫌が最悪なのには理由がある。詳しく話してやろうか?」
聞きたくない!
……と思っていると、ジェレンス先生がバサッと紙束を教壇の上に置いた。次の瞬間、その紙はそれぞれの生徒のもとへ、シューッと飛んで行くではないか。
魔法すげぇ! でも怖い! 紙の端でスパッと首を刈られるのではっていう種類の怖さ!
「問題用紙は、まだ開くな」
ジェレンス先生が、きれいさっぱり紙がなくなった教壇の上で手をひらめかせると、黒い砂時計があらわれた。えっ、なんだアレ。なんか……魔力っぽいものを感じるぞ。
今のわたしが魔力を感じるということは、相当なアレなんじゃないのか? つまりその……すごい魔力を放出しているのでは?
「今回、俺は画期的な試験方法を編み出した。これは時間を操作する魔法で、おまえらの解答用紙を読み取って動作する。解答用紙に正解が書き込まれるまで、試験時間が尽きることはない」
……は?
なんか今、すんげぇ雑に、強烈な魔法を提示された気がするんだけど。気のせいじゃないよな? 気のせいであってほしいが!
皆、いろいろ疑問は尽きないはずだが、教室はやはり静まり返っている。誰も、機嫌が悪いジェレンス先生を刺激したくはないだろう。わたしだってそうだ。いやしかし……。
「質問してもかまいませんか?」
声を発したのは誰あろう、エーディリア様だった! さすが!
「なんの質問かによるな」
「正解が書き込まれるまで試験時間が尽きないということは、全問正解するまで拘束されたまま、ということでしょうか」
「そうだ。外部との時間の連続性を断つから、おまえらが解答欄を正しく埋めるのに百日かかろうが千日かかろうが、外では今日のままだ。喜べ」
……えーっ!
さすがに教室がざわめいた。そりゃ、ざわめくよな。わたしだって、思わず声をあげちゃったもん。
「全問正解は無理……」
「ルルベル、諦めちゃ駄目よ」
すかさずシスコが励ましてくれたが、よく見ればシスコの顔も青ざめている。
そりゃそうだよな、ちょっとこれはひどいだろ。
……と思ったら、わたしは立ち上がっていた。
「先生、いくらなんでも横暴だと思います!」
「おうおう、俺の不機嫌の原因が、よくいうじゃねぇか」
……あっ。教室内の全員が敵になった気がするぞ! シスコは除く。除いていいよね? シスコ、信じてるよ!
「では申し上げますが、先生の不機嫌の原因をつくられたのは、先生ご自身ですよ」
「なんだと?」
「静音魔法をお使いになるなら、展開してください。たぶん、話してはいけないことを話しますので」
キリッ! とした顔を心がけているつもりだが、実は心臓ばくばくである。だってジェレンス先生の顔が、マジでマジなんだもん……。
「……いいぞ、話せ」
「わたしとリートが無断で先に帰国したことについて、お怒りなのかと思います。その認識で間違いありませんか?」
「雑にいえば、そうだな。こまかくいやぁ、あの王子を俺に押し付けたことに怒ってる」
「それはおかしいです。そもそも、先生が王子の対処をわたしたちに押し付けたことからはじまってるんですよ? 違いますか?」
ハーペンス師は、第二王子が来るとジェレンス先生に伝えてあったのに、逃げやがったなぁ……という態度だった。つまり、本来はジェレンス先生もあの場に留まり、わたしの保護者としてふるまうべきだったのだ。
それがなんだ、いい年の大人が! 子どもを守りもせず、自分が先に逃げ出すとか!
「あいつは聖女に会いに来たんだろ」
「その聖女の保護者は? あの場では、ジェレンス先生だったのではないですか?」
「俺は――前にもいっただろ、王侯貴族の相手は無理だって」
「ジェレンス先生に無理なことを、わたしができるはずないでしょう」
「いや、人間相手の交渉なら、俺よりおまえの方が上だ」
……なぜ、そんな情けないことを! ドヤ顔で主張するのかッ!
「第二王子の相手をするのが大変だったのは、わかります。ですが、だったら逃げずにあの場に同席してくだされば、ふたりで力を合わせることもできたじゃないですか。先生がさっさと姿を消してしまわれたから、大変だったんですよ? 手とか握られるし……気もちわるかったです。先生は、あの王子様に手を握られました? いや〜な感じの眼で見られました?」
ジェレンス先生は口を引き結び――葉っぱの口である。おそらく、なにかを我慢しているのだろう。よし、その調子だ、我慢を覚えてくれ!――暫し、天井を眺めていたが。
やがて、大きく息を吐いて。
「……よし、わかった。全員聞け、ルルベルの嘆願により、この魔法の効力はおまえらの体感で本日の夕方には切れるものとする」
……勝った! ジェレンス先生に勝ったーっ!




