186 そういうの三流っていうのよ
わたしは怒っていた。
……控えめな表現をすると、機嫌をそこねていた。
とはいえ、この世界で十六歳っていったら、一端の大人なのでね? 我慢はするし、表面は取り繕うよ。泣こうがわめこうが、床にころがってジタバタしようが、現実はどうにもならないって知ってるからね。
平気なふりはする。少なくとも、そう努力する。
「ルルベル、無事に帰って来てくれてよかった!」
「シスコぉ!」
……ちょっとシスコと抱き合ったくらいで消えちゃう怒りじゃない。
シスコは悪くないので、怒ってる件については後回しにしようね。うん。
なお、場所はファビウス先輩の研究室である。研究室の主は、まだ用があるからと離宮に残っている――これも怒りポイントなのではあるが。
「お土産とか買う暇なかったんだ……ごめんね」
「そんなの気にしないで。ルルベルが帰って来てくれただけで、わたしは嬉しいんだから」
安定の……シスコが天使!
「心配かけちゃったね」
「もちろん、わかってるの。ジェレンス先生やリートが一緒なら、ルルベルは安全だって」
そうでもなかったけどね……おもに政治的な面で。
「ジェレンス先生がほんとに強いってことは、よくわかったよ……ひとりでも巨人くらいなら倒せそうだったもん」
「……えっ、巨人?」
手紙には詳しいことは書いていなかったんだと思いだし、さて、どこまで話してもいいのかと考える。巨人については、もう話してしまったからな……。
「ちょっと待って、なんらかの機密かもしれないから……」
「あ、うん」
わたしは我関せずという顔でお菓子をぱくついているリートに訊いてみた。
「ねぇリート、なにをどこまで喋っても平気なのか、わかる?」
「だいたいなんにも喋らない方が安全だろうな」
即答かよ!
「真面目に考えてから回答してくれない?」
「真面目に考えることで、俺にどんな利益があるんだ? 報酬でもくれるというなら、考えるが」
「わたしが失敗しない方が、リートの任務だってやりやすくなるでしょ! それが報酬よ」
少し考えてから、リートはこう答えた。
「君らは、俺に要求し過ぎだ」
「シスコはなにも要求してないよ。なにいってんの」
「シスコの話はしていない。……君の申し出は報酬とはいえないが、主旨はわかった。だが、真面目に考えても答えは同じだ。できるだけ、なにも喋らない方がいい。ああいったことは、誰が、いつ、どのように、どんな内容で告知するかに意義がある」
「現場で対応したのが、わたしでも?」
「現場ではたらいた本人かどうかは問題ではないし、君だってそう思うから俺に訊いたんだろう? わざわざ確認する意義がわからん」
「ああーもう、鬱陶しい!」
「ルルベル……リートも、ねぇ、喧嘩しないで。わたしは、なにも聞かないことにするから」
鬱憤を晴らすべく叫んだせいで、シスコをおろおろさせてしまった。
わぁごめん、シスコに罪はないんだ、ほんとごめん……と、謝ろうとしたその瞬間。
「べつに、すべて話してもかまわん。必要なら、俺が記憶を消す」
自分の顔がこわばったのが、わかった。
「……なにをするって?」
「記憶を消す」
「許さない」
「君が許すかどうかは問題ではない」
「あっそう、じゃあ魔王が復活したらジェレンス先生が倒してくれるのを祈るのね! そんなことするなら、わたしはもう絶対、絶対に、ほんとの本気で絶対に、リートに利益を生みそうなことに関しては指一本だって動かさない」
「……なら、今の記憶を消すだけだが」
「やってみなよ」
もう、控えめに表現する必要はないだろう。
わたしは怒っていた。ほんとに、ほんっとぉおーに、怒っていた。いや怒っている。現在進行形で、激怒している。怒髪天である。アニメだったら髪の毛がぶわーって逆立ってるやつだ。効果音なんかも鳴るかもしれないな!
「ルルベル、どうしたんだ」
鉄の心臓の持ち主であるリートなので、わたしが怒っても動揺はしない。が、変だとは感じたようだ。
リートにも! この程度の情緒はあったんだな、くそぅ! 逆に腹立たしいじゃないか!
「他人の都合で好きなようにされることに、うんざりしてるの! 勝手にああだこうだ都合つけられて、知らないあいだに利用されるのは嫌なの! 自分のやることに、自分で納得したいのよ。それを、記憶を消すだ? わたしはね……ううん、わたしに限らず誰だって、あんたの都合で生きてるわけじゃないんだよ。絶対許さないからね、そんなの!」
「許さないと考えたことも、俺は消せるという話をしているんだが」
睨みあうリートとわたしのあいだに、シスコが割って入った。
「ルルベル、疲れてるのよ。少し横になろう? リートも、論理的に間違ってないからって、なんでも主張すればいいってもんじゃないわ。記憶を消せば解決するなんて、対応が雑過ぎる。そういうの、三流っていうのよ。ほんものの魔法使いは、魔法を使わざるを得ない状況をできるだけ避けるものよ。魔法は、あなたが力をふりかざして、強者になったと満足するための道具じゃないわ」
……シスコが天使を通り越して女神になってる!
この正論の前には、わたしもおとなしくならざるを得ない……記憶を消せるなら消してみなよ、ってやつもね。雑過ぎるもんな。どう考えても。
しょぼくれたわたしを、シスコは寝室になっている部屋に連れて行ってくれた。
「寝られそうなら、ちょっと寝るといいわ。わたし、部屋にいる? それともリートに説教をたれてこようか?」
「……どっちも」
わたしが無茶をいうと、シスコはくすっと笑った。……ああ、シスコが可愛い! イケおじ、イケ爺も目の保養ではあったけど、シスコに優るものなどない!
「じゃあ、まず満足いくまでルルベルと一緒にいるね」
すかさず、一生お願いします! と叫ばなかった自分を褒めたい。
わたしがベッドに入ると、シスコは枕元に椅子を寄せ、手を握ってくれた。……マジ女神。
「シスコ」
「なあに?」
「わたしね……パン屋の娘じゃない?」
「うん」
「でも、パンを焼く才能はそんなになかったんだよね……。売る方は得意だけど、それは、わたしが若い女の子だからだと思うんだ」
看板娘って言葉は、若いあいだしか使えない、って。わたしは、知っていた。
「そう? ルルベルが売るなら、皆が楽しくパンを買いに来ると思うわ。年齢なんて関係ないわよ」
「どうだろうね。でもね……ずっと思ってたの。これからどうするのかな、って。自分にできることは、なんだろう……って」
前世の記憶が戻る前の。聖属性魔法の素質がありますって神殿でいわれる前のルルベルは、いつも不安だった。
だから、聖属性魔法が使えるのは特別なことだって、その意味をほんとうに理解しはじめたときは、嬉しかったんだ。自分の価値を示せる、って。そう思って。
「わたしね、聖属性魔法が使えるなら、自分は世の中のためになれるって思ったんだ。さっき話したからいっちゃうけど、巨人対策でも、ちゃんと役に立ったと思うの」
「聞かなかったことにするけど、すごいね。尊敬するわ、ルルベル」
「でも……なんかもう駄目。そういうことができるからこそ、わたしに、わたし自身とは関係のない価値がついちゃうの。利用されちゃうの。全然気がつかないところで……知らないところで。わたしにはわからないところで、勝手になにかがはじまって、終わってるかもしれないの」
わたしはシスコの手をぎゅっと握った。
今のわたしは、あの頃よりもずっと不安だ。だって、わからないのは自分の未来だけじゃないから。
「わたし、怖いの。どうしよう。わたしのせいで、なにが起きるかわからない」
聖属性魔法使いは、存在するだけで多くの人を巻き込んでしまう。そのシンプルな事実を、わたしはわかっていなかった。
あれほど、大暗黒期の再来は避けたいと考えていたのに、ちっとも理解してなかった。あれは、起こるべくして起きたことだ。避けられないのだ。避けられない中で、最善を選びつづける必要があるのだ。
魔王に抗うことができる力は、世界を救える。と同時に、人々を破滅にみちびくこともできてしまうのだ。
「心配し過ぎよ。きっと大丈夫よ、ルルベル」
「大丈夫じゃないの……なにも、大丈夫じゃないの。それが怖いの」
怒りは、怖さの裏返しだ。それも、わたしは知っていた……十六歳は、一端の大人だからね。




