170 謎の光は、やめておいた方がいい
翌朝。軽めの朝食をとってから、わたしはジェレンス先生のもとに出頭した。出頭という表現を選んだのは、気分の問題である。深い意味はない。
おはようございますと挨拶すると、ジェレンス先生は眉をひそめた。
……え、なんで? 心当たりがないんじゃが?
「リート」
「はい」
「おまえのズボン、ルルベルに貸してやれ」
はぃい!?
「嫌です」
ズバーン! って効果音を追加したくなる勢いで、リートが否定した。
そりゃそうだよね。わたしだって、嫌だよ。
「じゃ、どっかそのへんから借りてこい。制服のままだと、まずいだろ」
「なにがですか?」
わたしが尋ねると、ジェレンス先生はますます眉根を寄せた。
「飛んでるときに、下から見られたら困るだろ」
……。
えっそういう……そういうこと? ぎゃー!
そうか、どうせジェレンス先生の移動手段って、空中ふわーっでビューッだからか! ……気がついたけど、初日の毛布もその対策か! 高空で寒いからかと思ってたけど、きっとそうじゃない。そうじゃなかったんだ。
「たしかに……謎の光で見えないことにしたり、超摩擦力でスカートがくっついたりしないですしね……」
思わず口走ってしまったわたしに、ジェレンス先生が不思議そうに尋ねた。
「なんの話だ? 謎の光?」
「いや、えっと……光属性魔法が使えれば、見えてはいけないところが見えないように光らせるとかですね……できるのでは……と……」
我ながら厳しい! 厳しい弁明だが、まぁ筋は通っている!
「なんで突然光属性だよ。ま、たしかに可能は可能だろうが、聖女様のスカートの中が光ってる! なんて現象起こしてみろ。あとが大変だ。へたすると拝まれるぜ」
「……それはちょっと」
たしかに、よくわからんことになりそうだ。謎の光は、やめておいた方がいい。
わたしとジェレンス先生がそんな会話をしているあいだに、リートは軍服らしいものを一揃い、調達してきた。仕事が早い。おそらく、自分のズボンを貸し出すのが嫌だったのだろう。かさねて主張するが、わたしも嫌だ。
天幕に戻って軍服のズボンを穿く。意外と、制服の上着と軍服のズボンが似合っている気がしたので、上着はそのままにした。
なんかさ……上下とも他国の軍服を着るのって、変な感じしない? って思っちゃったのもある。
そんなこんなで出発は少し遅れた。リートが義務として同行したいと主張し、ジェレンス先生に却下されるという一幕も挟まざるを得なかったし。
「あのな、左手でこいつを抱えるだろ? 右手でおまえを抱えるだろ? じゃ、俺はなにができるんだって話だよ」
「ジェレンス先生ほどの達人なら、手の所作抜きでも魔法を発動できますよね?」
魔法はイメージなので、発動のために動作を使う方がうまくいく。つまり、特定の方向へ手をふるとか、そういうのだ。
頭の中で想像するだけでも発動はできるけど、タイミングが遅れたり対象が絞りきれなかったりで、事故が起きやすいのだ。
「安全性を高めたければ、片手は空けておくのが鉄則だ。俺について来たいなら、自力で飛べるようになるんだな」
「では、ハーペンス師にたのんできます」
「おい待――て、ってもういねぇ。行動力が人間の形をして服着てるみたいなやつだな」
はぁ、と息を吐いてから、ジェレンス先生はおもむろにわたしの腰に手を回した。
「えっ」
「今のうちだ、行くぞ」
「わっ!」
ふわーっ、などという悠長な表現が間に合う勢いではなく。まばたきひとつのあいだに、ジェレンス先生――と、先生に抱えられたわたし――は、野営地を一望できるほどの高さに上がっていた。
ここからだと、峡谷の向こうにもやもやとしたものが見える……。
まさか。
「先生、なんかもやが見えます」
「あっちか?」
「はい」
「あれがなにかは、わかるだろ? おまえに見えるくらい濃いってことだよ」
巨人の魔力かぁ……! ええー、わたしに見えちゃうって、相当じゃない?
「あれ、魔力のないひとにも見えちゃうんですかね?」
「見えるだろうな。今日は、やりやすいぞ」
「はい? なにがです?」
「浄化だよ。おまえの乏しい魔力感知能力でも、きっちり見えてんだから。見えなくなるように頑張ってくれ」
なるほど……。
そうか、自分の魔力の扱いも、見えないと難しいけど。巨人の魔力を浄化するのだって、見えないと常時誰かに教えてもらう必要があるもんな。今日はジェレンス先生がいるから心配ないとは思ってたけど……でもやっぱり、自分で見える方がいい。
「はい、頑張ります」
「ほどほどにな。また魔力を使い切らせたら、ウィブルに殺される」
「あはは、大袈裟な」
「いや、あいつはやる。ほれ、おまえを放置したことがあったろう。スタダンスが魅了されたときに」
たしかに、あったなぁ。あとから来たファビウス先輩が怒ってたのも覚えてる。
そういえば、ウィブル先生も怒ってたという話を聞いたような……。
「あのとき、脅されたんだ。次にルルベルの面倒みるのを怠ったら、自分が死ぬまで許さないっつってな。そんなもん、あいつが老衰で死ぬまで狙われつづけるってことだろ……つきあえねぇよ」
「老衰……」
わたしはこっそり、脅されたのが自分でなくてよかった、と思った。
そんなことを話しているあいだにも、もやもやの領域は近づいて来ている。高度を上げるのは早かったものの、移動はゆっくりめだ。
空間酔い対策かな。前回、大変だったからな。あのリートが立てなくなるレベルで!
「でも……どうしましょう。今のわたし、自分の魔力量もよくわからないです」
「それは大丈夫だ。測定用の呪符が送られて来た」
「呪符ですか」
ていうか、送られて来たって、どこから?
「おぅ。ファビウス謹製だから信頼が置けるぜ。東国の王都とここのあいだは、〈矢継ぎ早〉の直送便が使えるだろ。さっそく状況把握して、送って寄越したらしい。今朝、ハーペンスに渡された」
「ファビウス様も王都に着いたってことですか? ずいぶん早くないですか?」
感謝する場面だろうが、そっちが気になる。だって、ジェレンス特急便で到着した我々はともかく、ファビウス先輩は常識的な手段で……移動してないんだな! じゃないと不可能だもん。
「急ぐって話してたし、転移陣でも使ったんだろうよ」
「転移陣? えっ、でも国をまたぐのって、法律で禁止されてるのでは……」
「あるんじゃねぇか? 緊急用のが。ま、そこはあんま気にせんでやれ」
なるほど……そっか。ファビウス先輩は、なんといっても王族だしな。それも外国の……。いろんな意味で緊急退避が必要になる場面が想定されてるってことか。
「はい……。でも、転移陣ならもっと早いんじゃ?」
「隠密行動しなきゃなんねぇから、その手間だろ。宮廷にだって、そんなにパッとあらわれたらまずい。今のところは、帰国も内密にしてるんじゃねぇかな。ってわけで、この話は黙ってろよ」
「あ、はい。わかりました」
こういうの、秘密にしなきゃいけないのかどうか悩むことが最近増えたから、明確な指示は助かる。
いやしかしなんか……キモチワル……。
「そろそろ飛ばした方がいいな」
「これ、巨人の魔力なんですよね? この不快な感じの……」
「そうだ。いわゆる『穢れ』ってやつだな」
ジェレンス先生が魔法を使うと、息苦しさは消えた。けど、なんかこう……変な感じは残ってる。
「魔力を飛ばす……って、物理干渉できるんですか」
物理干渉っていうのはね、魔力ってこう……存在が薄いの。敢えていえば気体に近いけど、たとえば扇でぱたぱたやっても簡単には散らない。実体のあるモノに直接干渉したりされたりの効果が弱い。だから、魔力で実体のあるモノを動かすには、魔力を染み込ませたりとか、そういう小細工をする必要がある――ウィブル先生の出血を利用した鞭なんか、まさにそういうやつだろう。
要するに、魔力を直接「物理で動かす」のは難しい。だから、物理干渉はきわめて困難、実用レベルでは無理なのが、ふつう。
ふつうがあるなら、例外もある。わたしの魔力なんかも例外寄りだよね。残置性が高いのも含めて。
「そうだ」
「ジェレンス先生なら、魔力で防壁を維持することも可能ですよね?」
つまりね、ジェレンス先生が巨人の魔力をシャットアウトできるなら、魔力を除いた空気だけを障壁内に取り込めるんじゃないかって話なんだけど。
「それも使ってるぜ。物理干渉で空気を動かして循環させつつ、魔力の壁で濾過してるんだ。それこそ、ファビウスあたりなら自動で動く呪符を描きそうな単純作業だが、さっきも話したように量が量だからな。この量を処理しきるとなると、いろいろ難しい」
「なるほど……」
「ちょっとは魔法使いらしい話ができるようになったじゃねぇか」
にやり、とされて。なんとなく仲間として認められたような気がして、少し嬉しかった……のは、内緒だ。口にすれば、却下されるに決まってるし!




