17 悪役令嬢ポジではなくヒロインちゃんなのでは?
いきなり王子なんだ……いや、いきなりじゃなければ順番的にどこに入れればいいのかは、わからないけど。
かかわりを持ちたくなくて、できるだけ見ないようにしていた王子なので、まじまじと見るのはこれがはじめてかも。
ものすごく姿勢がいい。どんな角度からでも肖像画にできそうな、きれいな立ち姿だ。ふわふわの金髪が風になびいている。この距離では顔立ちはよくわからないけど、まぁそれは肖像で知ってるからな。イケメンですよ、イケメン!
「殿下は、たしか十日ちょっと前のご入学なの。だから、これがはじめての総演会」
「そうなんですか。それなのに、ひとりめって……大変そうです」
「総演会の実施順は担任が決めるんだけど、まぁジェレンスのことだから……眠気覚まし、くらいの感じかしら」
王子の実技が眠気覚まし。それはどういう――と訊く間もなく、中央で王子が左手を肩の高さに上げ、前に突き出した。
すると、そのてのひらの前に火球が生じた。おお! 魔法だ! すっごい魔法っぽい魔法! すごいすごい! いやすごいけど……どんどん大きくなってない?
「これは噂以上ねぇ」
王子が浮かべた火球はどんどん大きくなって、そろそろ下部は地面に着きそうだ。つまり、王子の身長より大きくなってる!
「噂って……」
「ん? ああ、ルルベルちゃんは王宮の噂なんて知らないわよね」
そりゃ下町のパン屋の娘なんで……。
ごめんごめん、とウィブル先生が謝っているあいだも、火球は大きくなりつづけている。下は地面に着いてしまったので、だんだんこう……スライムみたいな謎の形状になってきたけど、とにかく大きくなっている。
「殿下の魔力は凄まじいけど、凄まじ過ぎて制御できないって」
「えっ、大丈夫なんですか」
「大丈夫よ。そのためにジェレンスがいるし、ほら、エーディリアちゃんも待機してるでしょ」
火球はまだ大きくなりつづけている。ええええ……って感じだ。人間、びっくりし過ぎると笑っちゃうもんなんだな、って思う。だってわたし、笑っちゃったから。
アハハ、と声まで出てしまって、ごまかしようもない。
「す、すごいですね」
「ね? 最前列にいなくてよかったと思うでしょ」
「はい」
それはもう、心の底から!
「これ、途中で止めたりはしない……んですよね?」
「原則としてはね。自分の限界を確認するためにやってるんだから。殿下にとっても、はじめてのご経験じゃないかしら」
「そりゃ……危ないですものね」
「ええ。魔法学園なら出し切っても問題ないはずよ。逆にいえば、ここで駄目なら、もう地上のどこでも駄目ってことよ」
わたしは笑いをおさめた。殿下の前の火球はまだ大きくなりつづけてるけど、どんどん球体っぽくはなくなっている。つまりなんというか……暴れている? 輪郭がこう、今にもはじけそうだ。
「怖そうです」
「大丈夫よ、ジェレンスがいるから」
「いえ、そうじゃなくて――」
不敬にあたると気がついて、わたしは途中から小声に切り替えた。
「――殿下が」
「ああ、そうね。これまで試したことがなかったなら、そりゃあ……怖いわよね。でも、それが魔法使いの第一歩よ。自分がもつ力は怖いものだって認識は、とても重要なことだから」
ウィブル先生が口にしたのは、とても先生らしい台詞だった。
そっか、とわたしは思った。魔法使いの第一歩は、自分を恐れることなのか。そっか……魔法使いって、魔法って、怖いものなんだな。
「でも大丈夫。思いっきりやって失敗しても致命的なことにはならないように、アタシたち教師がいるんだから。むしろ、学園にいるあいだに、すべての間違いをしでかして、なにが起きるかを知っておくべきなのよ。だから、失敗は恥じゃない。失敗は糧なのよ」
「はい、先生」
ウィブル先生は、にっこりした。華やかだけど、強さも見える笑顔だ。一回はわたしの視線をとらえた琥珀色の眼が、すっと下方を見遣る。
「ご覧なさい。そろそろ崩れるわよ」
いわれてフィールドに注意を戻せば、まさに、巨大な火球……いやもう球じゃないけど、なんていえばいいのかわからないものが爆発しようとするところだった。
はじけた――と思ったところで、びしゃっと大きな音がした。……水?
「え、火だったのに……」
「消火したのよ」
王子は水浸しである。王子の手をとっているエーディリア嬢も同じく。ジェレンス先生だけは、乾いていた。水浸しのふたりに向かって、なにか話している。
「なにがあったんでしょう……」
「いつもならジェレンスがやるんだろうけど、今回はエーディリアちゃんの本気全力も見たかっただろうから、そっちじゃないかしらね」
「エーディリア様って、水と……木でしたっけ?」
「表向きはそうね」
表向き?
どういうことだろうと思ったわたしに、ウィブル先生はまた華やかな笑顔を見せた。うっ、まぶしい。
「エーディリアは、他人の魔法を使えるの。簡単にいうと、王子の火球を自分の属性、つまり水か木に置き換えることができるの」
「えええ……」
そんな魔法があるなんて、初耳だ。……まぁ、まだ二日しか学んでない上に本も二冊めに入ったばかりだから当然だけど!
「殿下が力の制御ができなくても、まぁ火がまずい場面なら水に置き換えれば、あるいは木でなんとかすればいいってことで、エーディリアは常時殿下の近くにいるわけ。そういうお役目なのよ」
「ジェレンス先生は、婚約秒読みっておっしゃってました」
禁断の話題かもだけど、今しかない! と思ってぶっこんでみると、ウィブル先生は声をあげて笑った。
「短絡ねぇ。ジェレンスらしいわ。でも、エーディリアに王子妃は難しいんじゃないかしら。あの子、平民だし」
「えっ」
「元はね。今は男爵家の養女だけど」
わたしは頭をガーンと殴られたくらいの衝撃を受けた。
元平民で特別な魔法の才能があって王子の近くにいて男爵家の養女。それは……悪役令嬢ポジではなく! ヒロインちゃんなのでは!?
いや待て、待て待て待て。ヒロインちゃんはわたしだ。落ち着け。これはきっとアレだ、転生コーディネイターが乙女ゲームっぽい世界を頑張って探し過ぎた結果、いろいろアレしてるだけだ。アレがなにかはわからんけど、アレなだけだ。
「知りませんでした。教室で拝見した感じ、すごく……貴族のかたって印象だったので」
「そりゃそうよ。エーディリアは努力してるんだもの。それっぽくなるためにね」
「貴族令嬢っぽく、ってことですか?」
「ええ。偽物だからこそ、本物っぽさを求めるわけ。形をととのえないと、どうしようもないでしょ」
「それは、まぁ……そういうもの……なのかな」
「形から入るのって、意外と重要よ。だって中身って変えたくても簡単には変えられないじゃない? 形は努力で変えられるもの」
それを聞いて、なんとなく思い浮かんだことを、わたしは軽率に口にしてしまった。
「先生も、そうなんですか?」




