169 ただの呪符より使える生徒
一週間の休みを経て、帰って参りました!
やるべきことが思ったほど進まなくて泣いてますが、まぁなんとかなる! なんとかなってほしい!
「先生、いつ学園に帰れるんでしょう。試験勉強を進めたいのですが」
なんとか早く帰りたいと思ってジェレンス先生に話を向けた。すると先生はそれをハーペンス師にパスしてしまった。
「そうだな……どう思う、〈矢継ぎ早〉?」
「逆に訊いていいかい? 何日いられる?」
なんなんだ、この会話のパス回し。
「俺としては、明日にはもう帰りてぇな。これでも本職は教師なんだぜ」
「明日はさすがに……まだ記録装置も着けていないし、あれは君にしかたのめない」
ふん、とジェレンス先生は鼻を鳴らした。お下品だが、文句は出ない。銀爵さんは、すっかりおとなしくなってしまったな……そんなにすごかったのか、ジェレンス先生対巨人。
「なんだよ、がっちがちに拘束してやったんだから、もう平気だろ?」
「馬鹿をいわないでくれ。あの魔力の中に平気で入れるのは、君だけだ」
「いやいや……ここにいるだろ、もうひとり。いかにも平気そうなやつが」
ひと呼吸置いて、大人三人の視線が集まった。わたしに。
……えっ? なに?
ジェレンス先生が、にっこりする。
「こいつが自分でいったんだ、役に立つから連れて行け、と」
「しかし――そんなわけにはいかんだろう」
「こいつになにができるか、できないか、決めるのは俺だ。教師だからな。……ってわけでルルベル、明日は巨人に会わせてやる」
「はい?」
あわてて、ハーペンス師がフォローに入った。
「ルルベル嬢、無理はしなくていい。この男は無茶しかいわんのだ」
まぁ……巨人止めのところで暇してるよりは、刺激的な体験になりそうだけども。刺激がほしいとは、べつに思っていないのだ。
わたしはリートを見た。こいつは巨人を間近で見たいだろうなぁ。
……嫌がらせもほどほどにしておくか。人を呪わば穴ふたつである。呪わない方が、いいことが起きそうな気がするしね! 自分にも!
「わたしが皆様に特別扱いをしていただけるのは、聖属性の魔力があるからです。であれば、それを必要とされる場でふるうことに、なんら問題はありません」
ここに来てからいちばん、控えめでもなんでもない発言をしたと思う。
正直、すっとするね!
「ま、安心してろ。俺がいるからな」
「はい、先生。よろしくお願いします。ですが、巨人を見に行くだけではないのですよね?」
「そうだな。ざっくり説明しとこう。まず、巨人の魔力は濃い」
「はい」
「で、やつは魔王の眷属だから、魔王の魔力を纏うも同然だ」
「……はい」
「常時風で吹きとばすとか、自分の魔力で防壁を維持するとか、そういう芸当ができる者でないと近寄れない」
不意にリートが口を挟んだ。
「それができずに近寄った場合は、どうなりますか」
「昏倒する。そのまま巨人の、つまり高濃度の魔王の魔力に晒されつづければ、命を落とす」
えっ、と声が出そうになったよね。なにそれ急に難易度爆上げじゃない? 吸血鬼だって、そこまで直接的じゃなかったぞ。
「本で読んだ巨人の項では、そこまでの描写はありませんでした」
「ああ、空気が悪くなるとか、衛生上の問題が生じるとか、そのへん止まりだってんだろ?」
「はい」
「それはな、巨人がどんどん移動してたからだ。基本、巨人の足止めは不可能なもんだった。なんでも叩き潰して通ってくのが巨人ってもんだからな」
一旦言葉を切って、ジェレンス先生はワインを飲んだ。肝臓は大丈夫なのか?
……ジェレンス先生の肝臓って、ものすっごく過剰労働してそう。
「ところが、だ。ここでファビウスという天才が巨人の足止め法を編み出してしまった。巨人は一箇所に留まり、魔力はどんどん蓄積した。結果、大変なことになっている」
ほんとですか、という顔で思わずハーペンス師を見てしまったわたしを、許してほしい。いや、ジェレンス先生を信じないわけじゃないよ? 信じないわけじゃないけどさ、発言内容が信じたくない感じっていうか……。
ハーペンス師もワインを飲んで、せつなげに息を吐いた。イケオジの無駄遣いである……かっこよ!
「我々も、多少は問題が生じるかもとは想定していたが、近寄れなくなるほどとは予測していなかった」
「ま、それも例の呪符である程度、緩和できてはいるんだ。聖属性魔力の放出で、多少は相殺されるからな。だが、なんといっても量が違う。このままだとジリ貧だ。観測のためとはいっても、長期に亘って生かしておくわけにもいくまい……って状況だが、ここにいるよな。ただの呪符より使える生徒が」
呪符より使える生徒……。使えねぇと評されるよりは百倍マシなのだが、呪符より、って。その表現は、いかがなものか。
「先生、わたしは巨人と張り合えるほどの魔力は持ち合わせてないです」
「だからさ。おまえの力で、呪符を強化すんだよ。今日もずっとやってたんだろ?」
あー。なるほど。
「じゃあ、巨人の近くに巨人止めを設置し直すんですか?」
「そうなるな。ただ、近寄れば近寄るほど設置作業自体が困難になるから、それこそ壁役が必要になる。ハーペンス、王都から風属性の強いやつを何人か引っ張って来いよ」
「君のいう『強い』の範疇に入る人材がそもそも存在するのかという懸念はあるが、まぁ、それは引き受けよう。ただし、集められる戦力で満足してくれたまえ」
「期待してるぜ。……で、ルルベル」
「はい」
名前を呼ばれて、わたしは少し緊張した。
今まで、聖女らしい行為――つまり、控えめに微笑む以外のって意味だけど――を要求されたことって、ないんだよね。
吸血鬼の魅了を浄化したくらいしか実際に聖属性魔法で魔王の眷属と戦ったことなんてなくて、しかもあれって突発的な事件だったから。心の準備もなかったし、誰かに依頼されたりもしなかった。
でも、今回のこれは。
「おまえは、巨人周りの浄化をたのむ。設置部隊が近寄れるよう、少しでも濃度を下げるためにな。もちろん、おまえの身は俺が守るから安心しろ」
「はい。呪符は、巨人止めで使っているものを剥がすということですか?」
「いいや、予備がある。出発前に、ファビウスから譲り受けた」
……いつのまに!
「それをジェレンス先生が使えば、わたしより効率がよい……なんてことはないんですか?」
「俺がやると、性能が上がるより先に過負荷で焼き切れる」
おおぅ。魔力が濃過ぎて着色すると真っ黒になっちゃう最強魔法使いに、まさかの弱点発覚。
呪符って魔道具へ応用されることが多いし、基本的には魔力がないとか少ないとかいう状況での使用が前提だからなぁ。そっちには対応できても、高濃度高出力の魔力に対応するには、別の技術が必要なのかもしれないな。
帰ったらファビウス先輩にそのへん教わろう。……試験勉強が優先だけど。
「呪符単体でも空中から魔力を取り出して聖属性に変換できるが、聖属性魔法使いのおまえが魔力を流せば、元の何倍にもなるって計算だ。あと、巨人本体が魔力を生成するのはどうにもならんが、排泄物は浄化して無力化できる」
ここで、ジェレンス先生はわたしを見て、笑った。
……さては覚えてるな? 出発前、わたしが巨人の穢れも処理できるはずだけど、したくない……と口走ったことを!
「できるんだろ? 穢れの浄化」
「やったことはありませんが、できない理由はないと思います」
「嫌なんじゃねぇのか?」
嫌ですよ! 決まってんだろ!
大量の排泄物の相手をするのが嫌じゃないひとがいたら、相当な変わり者だと思うよ! わたしはべつに変わり者じゃないもん、ふつうのパン屋の娘だもん!
でも、これこそ聖属性の魔力が必要な場面でもあるので。
「必要なことですから」
「おまえが力を流しながら、巨人止めを少しずつ前進させるって作戦でもいいんだがな……それより、元を叩いた方がたぶん効率がいい」
「はい」
「ルルベル嬢、ほんとうに無理はしていないね?」
心配そうなハーペンス師がまた、くっそかっこよくてな……。一億点くらいポイントをつけたいところだったが、まぁ。
わたしは聖女スマイルより少し看板娘寄りの笑顔で答えた。
「人生には、無理をしなければならない場面があると思います」
かくして。
新米聖女のはじめての聖女らしい仕事は、巨人の排泄物の浄化という……なんかこう……記録に残されるの微妙だなって感じのものになってしまったのである。




