161 空白をお楽しみください
「ありがとうございます。気をつけます。……ファビウス様もすぐにおいでになるんですよね?」
「戸締まりをしたら、すぐに発つよ。でも、君たちより到着は遅くなると思う。できるだけ急ぐけど……。じゃあ、無事を祈ってるから」
「おい、いつまで待たせるんだ、ほんとに置いてくぞ」
外から聞こえるジェレンス先生の声に、わたしはあわてて返事をした。
「今行きます!」
駆け出したわたしを、研究室を出たところで待っていたジェレンス先生は、さっと毛布でくるんだ。鞄ごと。
「は?」
って声をあげたときにはもう、お姫様抱っこである。鞄ごと、さらに毛布ごと。
「リートは、俺の肩に手を当てろ」
「はい」
「じゃあな、ファビウス。宮廷の調整はたのんだぞ」
「おまかせを。そちらこそ、ルルベルをお願いしますよ」
……ねぇ。びっくりして思考停止してたけど、なんか嫌な予感がす――
景色がすべて、吹っ飛んだ!
(空白をお楽しみください)
こういうときって、悲鳴もあげられないんだね……。
気がついたら、我々は着地していた。というか、ジェレンス先生が着地し、さしものリートもふらついて地面に膝を突き、さらに手も突いていた。
わたしが倒れていないのは、お姫様抱っこされているからであり、それ以外の理由はなにもない。
ていうか、なにが起きたし!
ウィブル先生にぶん投げられて、エルフ校長の魔法の蔦で籠を編まれたときよりひどい体験だったぞ。
「せ……先生」
「着いたぞ。立てるか?」
一応、そこは気にしてくれるんだな……。気配りゼロではないのは、ありがたいですね……ありがたい……ありがたいけど、もっとこうさぁ! 心構えとかさせてくれないかなぁ!
ていうか、意識戻ったせいで、なんか……目眩がするぞ……。いやこれ頭痛もしてない?
「おい、リート。吐くならちょっと距離置け」
ひぃいいい!
やめてやめてやめて!
「先生、やめ……考えるだけで、気……気もちが……」
「おまえ、もらいゲロするタイプか。おいリート、やっぱり吐くな」
無茶ぶり!
リートの背中があきらかに緊張し、永遠かと思われるほどの一瞬、また一瞬が過ぎていく……。
そして、ふうっと大きな息を吐くと、リートは立ち上がった。はじめは少し足元がおぼつかないように見えたが、すぐに、ビシッと姿勢を正してこちらを向いた。
「もう大丈夫です。お騒がせしました」
「え……ほんとに?」
「生属性持ちを舐めるな」
……そうか、魔法でなんとかしたのか! 生属性、強い。
ていうか、リートやっぱりすごいな。気分悪かっただろうに、魔法を使える自制心。集中力。そして知識! 尊敬するわ。そういうところは。
「リートってもう魔法使いの国家資格持ってたりするの? 持ってないの?」
「なんだ急に」
めんどくさー、って顔をしたリートに代わって、ジェレンス先生が応えてくれた。
「央国で国家資格を取るには、王立魔法学園の卒業か、卒業相当の実力を実証する試験の合格が必須だぞ。だから、リートはまだ無理だ」
「卒業が条件だとは知りませんでした」
「呑気だな」
うん、リートはもう大丈夫だね! 全然平気だね!
「だから、真面目に勉強しろよ? ……まぁ、おまえは勉強してるか。頑張ってるよな」
いやぁ、そういわれると自信がなくなるのは、なぜなのか。できる範囲で勉強はしてると思うけど……かなり変則的な勉強にはなってるよな。
「国家資格、とれますかね?」
「それ以前の問題として、卒業できるのかを心配しとけ。……で、どうだ? もう立てるか?」
「あ、はい……大丈夫と思います」
ほんとのところをいえば、やや不安ではあった。不安ではあったが……いつまでもお姫様抱っこはどうかと思うし! ね!
地面に立たされたわたしは、さっきのリートを笑えないよろめき具合だった。ジェレンス先生の腕に掴まっていないと、倒れてしまいそうである。
「やっぱり運んでくか? さっさと指揮官に話を通したいんだが」
運んでく……。いや、べつにね、お姫様抱っこするか? と訊かれたいわけじゃないけどね、運ばれるってのもね……人間としてどうなんだろう!
「先生、向こうから来そうです」
「お、そうだな。よく気づいたな、リート」
「生属性なので」
「視覚強化か。それ、けっこう応用が必要だろう? あと、使い過ぎるとよくないぞ」
「わかってます」
向こうから来るって……。どこ? 誰?
きょろきょろと見回してみても、人影はない。
わたしたちが立っているのは、岩場だ。ところどころに灌木が生え、草も少しはあるけど……季節が季節なので、冬枯れの褪せた黄色に染まっているものが多い。
ええと……ここは岩山? どこの?
「ここ、どこなんですか?」
「東国っていっただろ」
「いや、だからその東国の……」
「地名を聞いたら、わかるのか?」
わたしは口を閉じた。うん、わからん。ジェレンス先生は、にやりとした。
「巨人は、この斜面の向こうだ。見てみるか?」
「えっ……」
「先生、ルルベルの足を見てください。がくがくしてます。この斜面は登れないでしょう」
まさしく! いや、それで「えっ」っていったわけじゃないけども……。この斜面の向こうに魔王の眷属がいるのかと思うと、こう。
ね?
わたしのこの「ね?」って感じ、このふたりはどっちも理解してくれなさそうだけども!
「やっぱり運ぶか?」
「見るのはいつでも見れるでしょう。本人が動けるようになってからでいいんじゃないですか?」
「それもそうか。じゃあリート、こいつたのんだ」
「え」
この「え」は、ふたりぶんである。つまり、リートとわたし。
「俺は見たいから、ちょっと見てくるわ」
リートにわたしを押しつけると、ジェレンス先生はさっさと岩場を登りはじめてしまった。……身軽! ていうか、だいたい魔法で動いてるのでは? これから眷属と戦わなきゃいけないかもしれないのに、こんなに魔法使って大丈夫なの?
いやいや……そもそも、ここに来るのも、あんな無茶に魔法を使う必要はあったのか?
「指揮官が来そうだってのに、なにやってんだ、あのひと。俺に交渉させる気か」
「指揮官って……どこにいるの?」
「ああ、あっちの山道を登って来てる。見えないか?」
リートが示したのは、はるか下の方である……てか斜面すごっ! えっ、これ放置されたら自力で登攀するのはもちろん、下山も無理では? 前にハルちゃん様のところに連れて行かれたとき以上のピンチだぞ。
「見えない。ていうか、どこに道があるの……」
「まぁ、じきに来るから見えなくても問題ないだろう。俺としては、ジェレンス先生がいつ戻って来るかの方が気になる」
「いきなり攻撃されたりは、ないんだよね?」
「攻撃する気があったら、もっと早くなにか起きてるだろうな」
「でもさ……我々、めっちゃ不審人物なのでは?」
東国の立場で考えると、突然あらわれた謎の三人組なのだ。それも、眷属が出現中の現場近くに。絶対、あやしいよね?
「ファビウスが、事前にある程度の話は通してあるだろう。もし通してなくても、あんな登場のしかたをすれば、名のある魔法使いだとわかる。まぁつまり……」
「〈無二〉?」
「そうだな。俺が知る限り、あんな速度で移動できる魔法使いは、ほかにいない」
「あのさ、一応確認するけど……空を飛んで来たってことかな?」
リートは、心底馬鹿にしたような表情でわたしを見た。そんなとこだけ表情豊かにならなくていいんだよ! わかったよ! 愚問だったよ!
「そうじゃなければ、どうやって来たというんだ?」
「いや、わかんないけど……なんか、わたしの知らない種類の転移陣があるとか……」
「君の足元に、転移陣は描かれているか?」
「だから、わたしの知らない種類ってば。使い捨てで、通ったら消えるのかもだし! ……もういいよ、その顔で見るのやめて」
「生まれつき、この顔だ。護衛のためには、君を見ずに済ませるのは難しいな。諦めろ」
そういう問題じゃないんだよ!




