157 せぇので思っている名前を口にした
「それで?」
スタダンス様がお帰りになったあと、ちょっと部屋にたてこもっていたら、シスコが来た。気を利かせたファビウス先輩が呼んだらしい……さすファビ!
「すぐにはお答えできません、とお返事して帰っていただいたの」
わりと常識的な返しだと思うよ!
「形だけの婚約でいいから、とりあえず……っておっしゃるのね?」
「そう。実際に結婚までいかなくていいけど、魔王復活の脅威に対処するために、って」
スタダンス様の理屈はわかる。
王家やほかの貴族家の横槍を防ぎつつ、侯爵家の豊富な財力で、全面的に支援したい……そのためには、婚約してしまうのが近道であり、それは名目上のものでかまわない。
……って、いわれてもさぁ!
「順番がおかしいと思うのよ……。まず結婚。そして婚約の申し込み」
「そういう問題じゃないわ、ルルベル。相手が違うんだし」
「もう、どういう問題かわからなくなってきたよ……」
「エルフの里相手には校長と結婚することにしておいて、国内的にはスタダンスと婚約を発表すればいいだろう。エルフはどうせ、人間の世界の情勢なんて気にし――おい」
余分なことをいったリートは、シスコに追い出されてしまった。シスコ、強し。
「でもさぁ……」
わたしは頭を抱える。リートの意見も、まぁまぁ正しい気がしてしまう自分が怖い。
「ルルベルは、スタダンス様に、その……好意はあるの?」
「嫌いじゃないし、手を握られてもぞわっとはしないけど……」
「ぞわっと……」
スタダンス様、ごめんなさい。頭の中で、粘着質な客と比較してしまったことを、お許しください……。あのお客さんに手を握られるの、ガチのマジでぞわっとしたんだよな。
「好きになろうとすれば、好きになれるとは思うよ。ほら、なんていうかこう……運命の恋みたいなのじゃなくても、寄り添って生きられそうなイメージはできるよね。スタダンス様って、誠実そうだし」
「うん」
「でもさぁ、わたしの方はともかく……これ、わたしの勘なんだけどさぁ。スタダンス様って、お好きなかたがいらっしゃるんじゃない?」
「……ルルベルもそう思う?」
「シスコも?」
「実はそうなの」
我々は顔を見合わせ、せぇので思っている相手の名前を口にした。
「エーディリア様」
はい、完全に一致。
「だよね」
「やっぱりそうよねぇ……」
実をいうと、わたしに礼儀作法を教える役にエーディリア様を推薦したの、スタダンス様なんだよね。手紙に書いてあったのよ。エーディリア様はローデンス殿下に常時付き添う必要が薄れてお時間があるし、とても真面目な努力家であり、ひとたび心を開いた相手を裏切るようなことはしないかただ……って。
それってさ。
心を開いてもらった経験があるからこそ、書けることじゃないですか? ねぇ?
詳しい話が聞きたいよね! 他人の恋バナでしか得られない栄養をギュッと絞ってお届けしてほしいよ!
……と思っていた相手から、名目上とはいえ婚約を迫られるこの展開。
つっら!
「エーディリア様も、わかってるよね、あれ」
わたしが訊いてみると、シスコは深くうなずいた。
「わかってらっしゃると思うわ。それに、エーディリア様も惹かれてはいらっしゃるんじゃないかしら。食堂で、目で追ってらしたもの」
「それは気がつかなかったなー」
でも、行儀作法の稽古に関して、誰かが推薦したんでしょ? って確認されたとき。あっ、これスタダンス様だってバレてるな、と思ったんだよね。
ただの直感である。根拠などない。
「でも……こういうこと、いいたくないけど……お血筋を考えると、エーディリア様がノーランディア侯爵家に入るのは、難しいんじゃないかしら。もちろん、結婚ができないってわけじゃないわ。だけど、結婚したあとが問題よ。社交界で、ずっと陰口を叩かれる覚悟が必要だと思う……いろんな場面で孤立するだろうし」
スタダンス様のご家族が好意的に受け入れてくれたとしても、庇ってくれるのはそこだけってことか。ウフィネージュ様が話していたことが事実なら、義理の家族は頼りにならないだろう。
家系ロンダリングで貴族になった彼女が、今後どう生きていくかは難しい問題だ――王子にフォローたのめるかなぁ。
「血筋っていったら、わたしの方が間違いなく平民だけどな」
「ルルベルはまた別よ。これもいいたくないけど……聖女様だもの」
「あはは、実感ないけどね」
それでも陰口はすごくなりそうな予感しかしないわぁ……。
まぁ、エーディリア様の覚悟が決まってて、ふたりが困難に立ち向かう気概があるのなら――あのふたりなら、ありそうな気はするが――結ばれてほしいところではある。そして、できれば恋バナを聞かせてほしい。
「あっ、思いついちゃった! わたしが婚約して世間の注目を集めておいて、ふたりには、こっそりつきあってもらうの! どう?」
「スタダンス様って、そういう器用なことできないと思うわ」
あー……。そうかも。そうだな。無理そう!
うまくいかないものね、とシスコが残念そうにつぶやいた。
「とてもお似合いではあるのに」
「つきあっちゃえよ、ってわたしは思ってる! ふたりで並んでるところを鑑賞させていただきたい!」
「わかるわ……。そうね、ダンスの教師役として、組んで踊るのを見せてもらうのはどうかしら?」
「シスコ軍師! 冴えてる!」
黒髪のスタダンス様と、銀髪のエーディリア様。ドレスをひるがえして踊る場面を想像するだけでも、美しくてうっとりする。例のダイヤモンドの宝飾品だって、エーディリア様ならお似合いだろう。推定ピーコック・グリーンのドレスにも映えるはずだ。
「……つい盛り上がっちゃったけど、そっちの話は後回しよ。ねぇ、ファビウス様には相談したの?」
「まだ。でも察してはいらっしゃるんじゃないかな。宝飾品は、金庫に入れてもらってるし」
「やっぱり持っていらしたの?」
「うん。持ち帰るのは否定の返事をもらったとき、って置いてかれちゃった……」
例のおそろしく高価に違いない宝飾品、やっぱり持参してたんだよねぇ。
「大変だったねぇ、ルルベル」
「過去形ならいいんだけど」
これ、どうすればいいのかね?
たしかに、なにをやるにもお金は必要だ。金さえあれば解決する事案って、山のようにあるのだ。
金だけじゃ解決しないことは、もちろんあるよ? 心の問題とかさ。
それはそれとして、魔王や眷属との戦いに必要なものはなにかっていったら、人材や資材だし、それを調達するための金なのである。
同時に、ノーランディア侯爵家を取り込めれば、あやうくなっている(らしい)我が国と西国との関係も強化できる上に、たぶん東国ともうまくバランスがとれるんじゃないかと思う。
なんで東国も行けると踏んでるかっていうと、例の眼鏡だ。スタダンス様の、あの眼鏡。東国産の最新の合金を調達できるってことは、それなりのツテがあり、信頼関係があることを意味している。金だけで解決できない部分も掌握できている、少なくとも糸口は掴んでいるってことなのだ。
さすが世界的大富豪。
「理屈で考えれば、お受けしてもかまわないんだけど、これさぁ……何年かかるか、わからないよね」
その間、エーディリア様とスタダンス様の関係はどうなるのか? って思うと、もうほんと、嫌だーって叫びたくなる。
嫌だよぅ、初々しい恋人未満の男女のあいだになんて、挟まりたくない! わたしはピンク髪の主人公ちゃんだろ! 悪役令嬢じゃないんだぞ!
「そうね……。でもね、ルルベル」
「うん?」
「わたしは怒ってもいい?」
「……シスコ」
シスコは、わたしをまっすぐに見て告げた。
「そんな理由でルルベルに婚約を申し込むなんて、って。理屈で考えるのもたいせつだけど、わたしは、理屈じゃないところで怒ってもいい?」
「……シスコの怒りをわたしのために使わせるなんて、もったいないな」
「いいのよ。その代わり、ルルベルも……必要なときが来たら、わたしのために怒ってくれる?」
「もちろんだよ!」
ふふ、とシスコは笑った。可愛い! 額に入れて飾っておきたい!
「とりあえず一回、スタダンス様の馬鹿〜! って叫んでみない?」
「いいね。叫ぼう!」
本日二回めの、せぇの、である。
「スタダンス様の馬鹿〜!」




