155 覚悟を決めることにした
その日の残りは、そのまま呪符を描きつづけた。
リートは円を描きながら丸暗記に励んでいて口数が少なく、ファビウス先輩も、口を開いたら早口の研究員モード――つまり、一方的にお話を拝聴する構えになりがちなやつだ――で、まぁ平和であった。
夕食前に、ノーランディア侯爵家からの使いが来るまでは。
スタダンス様の謹慎が解けたので、明日にもご挨拶に……との先触れである。
「ルルベル嬢は体調を崩していらっしゃる。来ていただいても、お会いできないかもしれないが、そこはご了承願いたい……と、いっておいた」
ちゃんと逃げ場を用意しておくあたり、さすファビ!
「ご面倒をおかけします」
「君の役に立てるなら、喜んで」
にこやかに、さすファビな返しを決めてから。ファビウス先輩は、つづけてこういった。
「無理をして会うことはないからね。少しでも嫌なら、断ればいいよ」
「はい。ありがとうございます」
「多少は冷たい応対をされた方が、スタダンスも楽になるんじゃないかな」
「そういう……ものですか?」
「彼は、思い詰める方だからね。償いたいという気もちが強いだろうし、君がつれなくすればするほど、感情的な負債は軽くなっていくと感じるんじゃないかな」
……なるほど? わからん。いや、わからなくもないけど。
夕飯のあと、お風呂に行く前。廊下で護衛任務を遂行中のリートにも訊いてみた。
「スタダンス様に冷たくした方がいいと思う? つまり、その方がスタダンス様の気が楽になると思う?」
リートの答えはこうだ。
「俺にわかると思うのか?」
「わかるかもって思ったから訊いてるんだよ……」
めんどくさげに、ため息をついて。それでもリートは律儀に答えてくれた。
「俺が貴族の若様の考えをわかるはずがない。君に迷惑をかけた責任をとるために求婚するという発想から、理解不能だ」
「そっか」
「俺に訊くなら、丸暗記ができることにしたらどうだ。今日読んだ本の呪符はもう万全だ」
「すごい。じゃあ、消火の呪符も描けるの?」
「描けるとはいっていない」
絶妙に使えねぇ! まぁ、わかるけども。
「円は難しいよね。わたしも苦労した」
「過去形か。乗り越えたのか?」
「……苦労してます」
「使えんな」
あんたもやんけー! と思ったが、わたしは我慢した。
率直にいって、リートは使えるやつではあると思う。呪符が描けなかったり、ダンスがうまくなかったりはするが、吸血鬼との戦闘でウィブル先生と連携して戦えるくらいデキるし、王族を追い返せるメンタルの強さもすごい。
むしろ、少し弱点があった方がいいと思う。このまま「円が描けました」とぐらぐらした線で提出するくらいの可愛げをキープしてくれてもかまわない。円は、ほら……コンパス使えば描けるからね!
「で? スタダンスには会うのか」
「うーん、会うと思う。話してみたいし」
「例の宝石を捧げて嫁に来ないかといわれたら、どうするんだ?」
「お断り一択でしょ……」
おかしい。乙女ゲームっぽい世界に転生させてもらったというのに、お断りしか考えていない。
「それが賢明だな。君が侯爵夫人になるなど、考えられん」
まさに。その通り! ムカつくけども。
「そういう話にならないことを祈るしかないね」
「しかし、敵には回さないようにしろよ。侯爵家の財力をあてにできれば、今後、やりやすいだろう」
「……現実つらいわぁ」
「なにをいっているんだ。この程度、つらくもなんともないだろう。今まで、君がいかに甘ったるい環境で生きてきたかがよくわかるな」
ため息をつくのは、わたしの番だった。
「そっちこそ、今さらなに? 知ってるでしょ、わたしはパン屋の娘だったんだから。パン屋の娘的な苦労しか、したことないよ。こんなの手に余るに決まってるじゃない」
「それもそうか。まぁ頑張れ」
心のこもらない、ぞんざいな励ましを受けた!
まぁ。スタダンス様が訪ねてくださるなら、お会いしないわけにはいかないだろうと思うので。わたしは覚悟を決めることにした。
ひとつ、結婚の話は絶対にお断りすること!
ひとつ、贈り物はお断りすること!
ひとつ、魔王との戦いへの支援は前向きにお願いすること!
……すべて、わたしの都合ではある。スタダンス様の都合に関しては、一切、考えていない。
贈り物については譲歩してもいいかもしれないが、また曰く所以のあるものだと困るしなぁ。
スタダンス様もそれなりの決心があって訪ねていらっしゃるのだろうし。互いの考えが一致しない場合は、わたしの覚悟と戦ってもらうしかない。
そういうわけで、翌日。
エルフの里で清めてもらって以来、なんだかキラキラして感じる制服を身につけ――やっぱりエルフって人間が考える「洗濯」とは違う作業をしてるのではという疑惑が深まるわけだが、まぁそれはともかく――わたしはスタダンス様を出迎えた。
ファビウス様は退室したが、リートは部屋の中である。護衛だしな。
「ルルベル嬢……久しぶりです、とても」
「ええ、ほんとうに」
わたしはエーディリア様直伝の扇使いで口を隠した。令嬢っぽくできてるかな? まぁ制服と似合ってるかは疑問だし、そもそもわたしに似合うのかっていうね! 根本的な問題があるよね!
似合わない気はするけども、しかし! 口を隠せるのは便利なのだ。表情がわかりづらくなるからね。
「芳しくないと伺いました、お加減が」
「ご心配いただくほどのことでは……ないのです」
ございませんわを使用してみたいところだったが、やめておいた。ちょっとね、付け焼き刃過ぎるしね。
話の主導権を握るため、わたしは話題を変えることにした。
「それより、スタダンス様はお元気でいらっしゃいましたか? わたし、無茶な量の魔力をスタダンス様にぶつけてしまったのではないかと心配で」
これは、マジ。加減できるような状況じゃなかったとはいえ、ファビウス先輩曰く、他人の魔力を自分の中に入れるのって抵抗あることらしいじゃない? ジェレンス先生にはじめて魔力を流されたときも、たしか、他人の魔力を入れるのが嫌なのは正常な反応だ……みたいなことを教わったはず。
つまり、抵抗があって当然のことを、同意なしに、しかもガツンとやらかしたのである。
状況的に許される場面であったとしても、まぁ、確認はしたいよね。
「とんでもない。ルルベル嬢のおかげです。救われたのは。もし、あれをやってくださらなかったら……どうなっていたでしょう?」
「さぁ……」
我ながら間の抜けた返しではあるが、それしか思いつかなかったのだ。
さぁねぇ、どうなってたんだろうねぇ……あんまり考えたくないな!
「謹慎処分を受けていたとはいえ、こんなに遅くなってしまいました、お詫びとお礼の言葉をお伝えするのが。あのときは、申しわけなかった」
「どうぞ、お気になさらず。責められるべき者がいるとしたら、吸血鬼であって、スタダンス様ではありません」
「ああ、ルルベル嬢。なんとお優しい! まさに聖女」
スタダンス様の眼、うるんでない? なんかこう……もともとスッキリした感じの美貌の持ち主が、少しやつれた感じがあって、妙にあやしい雰囲気を醸し出している。儚げっていうか?
ぶっちゃけ、弱っている男がツボだったら、たまらんと思うね!
それ、わたしのツボじゃないけどね!
「聖女のようなあなたに、お願いがあるのです」
おお。覚悟復唱! 結婚はしない! 贈り物は断る! 魔王討伐は前向きでたのむ! 確認ヨシ! ご安全に!
「……なんでしょう?」
「我がノーランディア家の全面的な協力をお約束するために、どうか、婚約を結んでいただきたい」
頭の中に「キター!」って横断幕がはためいたよね……。
やっぱそれ? そっち行っちゃうの?




