154 朝ごはんの卵は二個にしてみたんだ、みたいな
シスコは三泊して寮に戻った。また来るね、と約束して。
寮の方も、寮母さんにガードをお願いしてある。王宮からなにかいってきても、鉄壁の追い返しを約束してもらった。エルフ校長の認可ありで。
こうなると、シスコも狙われる可能性があるからね……。リートが指摘して、ファビウス先輩も同意して、わたしも納得した。
ずっと研究室にいた方がいいのではという話も出たものの、シスコ自身が、
「学園の空気感がわからなくなるから、誰かはふつうに教室にいる方がいいはずよ」
と提案したんだよね。誰かっていっても、シスコ一択なんだけど。リートはエルフ校長の命令で、わたしから離れられないし……空気感とか理解しなさそうだしな!
「気をつけてね、シスコ」
「大丈夫。ジェレンス先生やウィブル先生も味方してくれるそうだし」
「校長先生も」
ふん、とシスコは鼻息を荒くした。おお、シスコよ……そんなことをしてさえ、可愛いなんて!
「校長先生には、たよりたくないわね。でも、安心して。必要なら利用するわ」
シスコが行ってしまうと、わたしは魔法の勉強をした。おもに呪符魔法だ。
一定量の魔力がつたわるようにできる魔道具というのをファビウス先輩が貸してくれてね……魔力の制御が不能でも支障なく呪符を描けるんだよね。すげー……。
「聖属性の呪符をいくつか開発してみたんだけど、聖属性魔力を浸透させたら、効果が変わるかどうか試してみたいんだ。何枚か描いてもらえるかな?」
なんて、相変わらずの天才発言ももらった。前に、できそうだ……っていってたやつでしょ? いくつか開発してみた、っておかしくない? 今日の朝ごはんの卵は二個にしてみたんだ、みたいな気軽さで、なにやってんの。
もちろん喜んで協力した。お手本図面と練習用の紙をもらって、まず魔力を通さずに描く練習からスタートしたけど、曲線が多くて難易度高い! 練習に時間をとられ、ちゃんと魔力をこめたものは枚数が描けなかった……。
わたしが描いてみた紙束を回収に来たファビウス先輩に、あのぅ、とわたしは持ち出してみる。
「一緒に作業してもいいですか?」
そうなのである。男と一緒にいたくないんだろうと気を遣ったファビウス先輩、ほぼ同じ部屋に存在しないのだ。連絡や会話なんかも、戸口に立って済ませてしまい、部屋には絶対に入って来ない。
気配りあり過ぎである。
「君がいいなら、僕はもちろん大歓迎だよ。でも、無理はしてない?」
「してません」
「疲れたら、すぐに教えてくれるね?」
「はい」
ファビウス先輩は、にっこりした。ただの笑顔なのに、魔性みが深い……。
「約束だよ? リート、君も来ないか」
廊下で暇そうにしていたリートも交え、呪符作りがスタートした。
その作業中に聞いたんだけど、捕縛された吸血鬼は、研究所の地下にある研究施設にいるそうだ。で、研究員が日夜、研究を進めているらしい。生きてる(?)吸血鬼を研究できる機会など滅多にないので、順番待ちですごいことになっているとか。
ちょっと吸血鬼が気の毒になるよね……人権は守られてるの? いや待て、そもそも人権あるのかな、吸血鬼。なさそう。
……とにかく、その吸血鬼が人間に害をなさないよう、聖属性の呪符がさっそく活用されているとのこと。
「実用に供し得るところまで完成したのは、ごく単純な、魔力貯蓄用の呪符だけなんだ。魔力を聖属性に転換できるから、まぁ便利ではあるけど……もう一手、ほしいところだね」
魔王の眷属は、とにかく聖属性魔力に弱いので、素の魔力だけでも役に立つのだそうだけど。
「魔力の属性を変更する呪符って、すごくないですか?」
「いや、それ自体はそうでもないよ。たとえば……民間でも使うような着火の呪符だって、火属性を持たない者のために開発されたものだからね」
「あ……そうか。そうですね」
属性一致どころか、魔力がなくても使える。それが一般的な魔道具だもんな。
「聖属性は、それをあらわす呪符自体がこれまでなかったから、そこが便利になっただけだよ」
……だけ? またさらっと気軽におっしゃいましたけど、すごくね? この世界にノーベル賞があったら、ファビウス先輩は間違いなく受賞するのでは?
なんてことを思ってると、リートが尋ねた。
「これが一般化できれば、聖属性魔法使いの重要性は薄くなりますか? つまり、使い捨ての呪符で純粋に魔力のみを提供するのではなく、魔法が発動するところまで昇華できれば?」
「そうできればいいけどね。どうしても、象徴としての聖属性魔法使いは望まれる気がするから……」
「なるほど。ありそうですね、そういうの」
ありそうなのか!
というか、新しく開発された呪符から一気にそこまで考えるものなのか。
君ら、ほんとに十六歳? わたし、ちょっとアレよ……前世の記憶ブーストまでもらってるのに、全然アレ……なんか自信がなくなってくるわ。
「これを隠蔽されたり独占されたりするのも避けねばならないね」
「えっ? 隠蔽って、なんでですか?」
わたしが訊くと、ファビウス先輩は順を追って教えてくれた。
「独占はわかるよね? 聖属性の呪符がほしければ、って交渉に使われるような状況にはしたくないから、製法は広く流布させたい」
「はい」
「隠蔽の方は、独占のさらに上の段階って考えるといいかな。呪符の存在自体を秘匿すれば、たとえば――こんな表現はどうかと思うけど、聖属性魔法使いの重要性を上げることができる。今、リートがいったことの逆だね。あるいは、都合のいい人物に呪符を与えて、偽の聖属性魔法使いとしてふるまわせることも可能だろうね」
……たしかに。そこまで考えなきゃいけないのかと思うと同時に、それはそれで、とも思ってしまう。
「偽でもなんでも、それで魔王を封印できるなら……いいのかな」
ファビウス先輩は微笑んだだけで、なにも答えなかった。まだ無理とか、絶対無理とか……まぁ、無理寄りの答えだから言葉にしないって感じかな……と、わたしは想像したのであるが。
リートが、スパーンと斬り込んできた。
「危機意識が薄いな。権力者に都合のいい偽物を立てられたら、君は始末される恐れがあるぞ」
「し……」
「大丈夫だよ、そんなことはさせない」
即座にファビウス先輩がフォローに入ってくれたが、リート! リートよ……おお。なるほど。無理寄りの答えとかそういうほんわかした想像をしている場合じゃないことは、理解できた!
なんかムカつくけど、ありがとう! なんかムカつくけど!
「隠蔽がまずいのは、よくわかりました」
「うん。ただ、検証はまだまだ必要なんだ。ちょっとした間違いで大惨事、なんてことになったら困るだろう? だから、すぐに公開はできないんだよ」
今やってるのも、その検証の一環らしい。
わたしは呪符を描くのがうまいわけではない。急ぐとすぐに線が歪んでしまうのだが、その歪みがどの程度許容されるかの試験に使うからと、失敗したのもファビウス先輩に回収されてしまう。
……まぁ、わたしのことはともかく。
意外なことに、リートが呪符魔法未経験者だったのだ。自信を持って間違えるダンスにつづき、呪符も確信を持って変な線を引くことがわかった。
少し描かせてすぐに察したファビウス先輩が、まず円の練習をしようか、と練習用紙を持って来て、円は爆発事故の原因第一位だとか、描くのはラスト一筆とかいう基礎を叩き込むことになった。
本人曰く、魔法の師はウィブル先生だけで、ウィブル先生が教えられるのは生属性だけ。それゆえに、ほかの魔法はまったく知らないか独学だそうだ。
独学は危険だから注意して、とファビウス先輩がすかさず釘を刺してた。気配り!
「なんか意外。リートって、なんでもできるような気がしてた」
「君は俺をなんだと思ってるんだ」
「……リートだと思ってる」
「リートの定義は」
「……乙女心がわからない上に、鋼鉄の心臓の持ち主で、学園のことに詳しい。あっ、うちのパン屋にも詳しかった」
「どこにも『なんでもできる』が入っていないな」
「あれっ、そうだね。じゃあ、つけたしといて」
やりとりを聞いていたファビウス先輩が、苦笑混じりに指摘した。
「リートは直線はうまいから、円を習得したらすぐに実践に移れると思うよ。なんでも……かどうかはともかく、呪符魔法も使えるリートになるまで、さほど時間はかからないかもね」
「大量の呪符を暗記する必要もありますよね?」
まさにそこで苦労しているわたしがツッコミを入れると、リートはさらっと答えた。
「丸暗記か。俺の得意分野だ」
さすリート! ……って語呂悪くない?




