150 魔法が身についたんだよ
昼食後、わたしはファビウス先輩と例の「なんでも計測できる部屋」に入った。
「魔力量は、とくに変化はないね。若干、少なめではあるけど……使い切ったあとの回復が追いついてないぶんだろうね。想定内の数値だ、問題ないよ」
いきなり太鼓判を押されてしまい、そうですか、と答えるしかない。そうですか……。
わたしの表情を見てなにか察したらしく、ファビウス先輩は椅子を示した。
「座って。魔力を押し出してみようか。手を膝に置いて、てのひらを上に向けて。それで、やってみて」
「はい」
なにも感じない魔力をプッシュするのは、難しかった。なんか、昨日より難しくなってる気がする……。
でも、わたしのてのひらの中央に、じわっと色が滲んだ。
あの色だ。最近、必要なくなってたけど……練習をはじめた頃によく見た、あのシックなピンク色。
てのひらからあふれそうになって、ぷるんと球形にまとまった。わたしが意識したわけではないのに……なんとなく、こぼれないように動いた感じ。
「できてるね」
「はい……あの、この球形になったのも、先輩が?」
「いや、僕は着色しかしてないよ。つまり――君は意識して魔力をあやつることはできないかもしれないけど、無意識にできてるんだ」
わたしは、自分の手のひらの中の魔力玉を、まじまじと見てしまった。
半透明のゼリーみたいな……魔力。これ、無意識に自分でまとめたってこと? そんなの、あり得るの?
「君の頑張り、だね」
「頑張り……?」
「うん。入学してからずっと、鍛錬してただろう? それがこうして、かたちになってるんだ。意識しなくても、ある程度は扱えるようになってる。魔法が身についたんだよ」
魔法が……身についた。
信じられない思いで、わたしは魔力玉をみつめていた。
特になにもしていないのに、ずっと残っている。残置性が高いんだもんな、と思った。当然だな。ずっと残るのが取り柄だもんな……。
急に胸と喉がぐっと詰まった。あ、やばい。泣いちゃうかも。
上を向かなきゃ。
……当然だけど、わたしを見下ろしているファビウス先輩と視線が合った。
でも、それは一瞬で。先輩は視線を逸らして、小さくつぶやいた。
「当面は、無理をしない方がいいだろうね。染色したら感覚も掴みやすいと思うから、はじめの頃みたいに練習しよう。ゆっくり」
「はい。……あの、ファビウス様。よかったら、浄化もやっちゃいますよ。念のためにやってほしいって、ウィブル先生にもいわれてるので」
「無理をしない方がいい、って。聞こえなかった?」
「全然、無理じゃないです」
「すぐじゃなくていいだろう? それより、シスコ嬢を呼んで来ようか? 彼女も安心するんじゃないかな。それとも、ひとりになりたい?」
「いえ、浄化を試させてもらいたいです。うまくできるか、早く試したいんです。……あっ、わたし、失礼なこといってますね? 人様のお身体で、試したいなんて……すみません」
「僕だって、いっただろう? 実験したい、って」
そういえば、そうだけど。天才の実験と、非才の試行じゃね。比ぶるべくもないじゃん。
ため息を、ひとつ。ファビウス先輩は椅子を持って来ると、わたしの前に座った。そして、ちょっと笑った。
「なんですか?」
「なつかしいなぁ、って思って。まだ、そんなに前のことじゃないのにね。僕がいちいち、胸を押さえて倒れたりしてたの」
「ジェレンス先生の魔力が真っ黒だったのとか、思いだしますね」
「あのひとは、おかしいね。濃度がおかしい」
ふたりで顔を見合わせて笑ったら、少しだけ緊張がとけた。
そうだ、わたしは緊張してるんだよ……だって、魔力が消えてないのも、なんとなく使えてるのも、頭でわかってても実感はできてないもん。それに――。
いやいや、考えちゃ駄目だ! 行動しろ!
「まず、その魔力玉をもらっておこうかな」
ファビウス先輩がそういうと、ぷるぷるピンクの魔力玉は宙に浮かんだ。たぶんファビウス先輩の魔力で操作してるんだろうけど、着色してないから、わからないよね……。
ひゅいっと窓際のチェストの方に飛んで行った魔力玉を見送って、なんとなく、元気で暮らせよ……みたいな気分になる。相手は魔力玉だから、あんまり似合わないな。長持ちしろよ、とかの方がいいのかな。
「動くなぁ」
「……はい?」
「ほら、前に君が作った魔力玉が全然動かなかったこと、あったよね」
「あ、お宅にお邪魔したときですね」
あったな、そんなことも!
「あれ、十日くらい残ってたんだ」
「そんなに!?」
「でも結局、なにもわからなかった。聖属性魔法って、あまり研究されてないんだよね。状況が許さない場合が多いから」
あー……魔王の復活が迫ってる、みたいなタイミングで使い手が出てくるからか。
今も、そうだよな。魔王の眷属がちょっかいかけてきて、落ち着いて研究できるような状況じゃないよな。
「なんか、すみません……。わたしがお世話になっているせいで、ファビウス先輩にもご迷惑をおかけして……骨折とか……」
「骨折なら、ウィブル先生が跡形もなく治してくれたから、気にしないで。僕の方こそごめん」
「いえ――」
「まぁ、一回は謝らせてよ。その方が、気分が軽くなるからさ。僕を助けると思って」
「――はい」
手をつないで、膝を突き合わせて。
ファビウス先輩は、わたしをまっすぐに見た。俯き加減だったから、必然、上目遣いになってるけど……いつもの、ああいうのじゃない感じ。後ろめたさとか、迷いとか……なにかそういう、もやもやを抱えた上目遣いだ。
「僕が、学園内に眷属を招き入れてしまった。謝っても、謝りきれないと思ってる」
「ファビウス様のせいじゃ、ないです」
わたしがそう答えると、ファビウス先輩は眼を伏せた。
「それが、そうでもないんだ。僕が油断したから」
「そんなことは――」
「なくないんだ」
きっぱり否定すると、ファビウス先輩は顔を上げた。
で、説明がスタートしたわけだが……。吸血鬼は、研究者というふれこみで接触してきたそうだ。
「西国に、ロスタルス陛下の書かれた聖属性魔法に関する研究書が残っている、という触れ込みでね」
「初代陛下のご著書……なんて、実在するんですか?」
いったらなんだが、初代陛下は脳筋で有名である。わたしの偏見かもしれないが、聖属性魔法使いとして優秀である上に、護衛の必要性も薄いとまでいわれる筋肉を育てた実績があるとなると……ほかに、なんかやってる暇、なくない?
「共著だっていわれたんだ。実質、書いたのはその共著者の方だ、って。それは陛下とともに魔王封印に赴いた英雄のひとりで、陛下の肉親でもある……と」
そういわれたら、まぁ……ハルちゃん様を連想するよね。でも、ハルちゃん様は歴史から抹消されているはずだ。エルフ校長も、ハルちゃん様本人も、そういう態度だった。
それが、どこからか漏れていた? あるいは、探し当てられた?
「それで、思いだしたちゃったんだよね……。前に君、書いてたでしょ――ロスタルスの姉、ハラルーシュ」
えっ……。えええええ? なんだっけ。たしかにメモはしたと思う。忘れると困るし。エルフの里のエルフの名前も、早急にメモしないと忘れる、いやすでに忘れはじめている……まぁそれはそれとして!
なんでそれをファビウス先輩が知ってるの?
「図書館で、見せてもらったけど。覚えてない?」
「……そんなことが、あったような……なかったような……」
「部外秘かもしれないから、確認して話せるようなら話す、って」
そんなことが……あったような気が! じわじわ! してきた! でも確認なんて完全に忘れてたよね。そもそも、見られたこと自体を忘れてたしね……。
弁解していい? それどころじゃないんだよ、ずっと!
「申しわけありません」
「いや、そんなのはいいよ。僕も教えてもらえるなんて期待してなかったし、そのときまで忘れていたくらいだからね」
だけど、思いだしてしまったわけで。
その結果、素性のさだかならぬ相手のために時間をとって、聖属性魔法の研究書を見せてもらうことになってしまった。すでに判断力に影響が出ていたんだろうね、と。自己分析するファビウス先輩の声は、とても低かった。
「だんだん思考がはっきりしなくなってきて、気がついたら――治療されたあとだったんだ。なにが起きたか、だいたいのことは教えてもらった。でも、僕に用心がたりなかったのは、たしかだよ。いずれ好奇心で身を滅ぼすかもしれないと思ったことはあるけど、ほんとにそうなるとはね」
「まだ滅びてないですよ……」
わたしが否定すると、ファビウス先輩は少し笑った。
「うん。滅びてないね」
「だいじなのは、そこですよ。わたしたちは、誰も失いませんでした」
わたしがそういうと、ファビウス先輩は眼をみはった。すごく思いがけないことを聞いた、って感じで。




