145 シルルヴェルアとは〈聖なる乙女〉の意である
置き去りにされたわたしは、リートを見た。
リートは眉根を寄せ、エルフ校長がさっきまで存在していた空間を眺めていたが、やがてわたしに気づき、はぁ、と息を吐いた。ものすごく、面倒くさそうに。
「帰るぞ」
「え、あの……学園に?」
「ここに残りたいのか」
「まさか! でも、まず制服に着替えたい」
エルフの芸術的な衣装のまま帰還するのは、ちょっとね……。リートもかなりアレな服を身につけていることを思いだしたらしく、顔をしかめた。
「自分で部屋に戻れるか」
「無理」
「では、これからの行動予定だ。まず君を与えられた部屋に連れて行く。そののち、俺は制服を取り戻す。君がやるべきは、『俺が制服を持って戻るまで、おとなしく部屋にいる』ことだ。簡単だな? よし、ついて来い」
恭しくエスコートされてたどり着いた場所だったが、戻るときは、こっちの速度を顧慮しないリートと全力早歩きである。部屋にたどり着く頃には息が切れていた。
「リート、すごいね……よくわかるね、場所」
「理解不能なのは、現在地も把握せずに、のこのこと出歩く君の方だ」
ぐはぁ。そういわれたら……そうなんだけども!
「とにかく、いてくれて助かった」
「いいか、絶対にこの部屋から出るなよ。なにがあってもだ」
「なにがあっても?」
里長ご夫妻に招かれでもしたら、そういうわけにはいかないんじゃないか……と思ったのが、顔に出たのだろうか。リートはガチめの声で念を押してきた。
「絶対にだぞ。いいな。部屋にいなかったら、見捨てる」
「わかった、出ない」
うなずいて、リートはドアを閉めた。
わたしはベッドに腰掛け、リート以外の誰が来ても気がつかないふりで過ごそう、と決意した。ここに置いて行かれるのは、絶対に嫌だ。疎外感がすごそうだから。
エルフと人間、なまじ見た目に共通点が多いから交流できるみたいな気がするけど、本質的に違うんだろうなぁ、って思う。
そう考えてみると、初代国王陛下とエルフ校長のあいだに友情が芽生えたのは、奇跡みたいなものだったんじゃないだろうか。ハルちゃん様も含めて……当時の魔王封印に参加したメンバーが全員、逸材だったのか。それとも、同じ目的を追う中で、徐々に結束が高まっていったのか。
まぁ……どっちも、なんだろうなぁ。
「今の魔法学園だって、けっこう戦力的には充実してそうな気がするけどな」
たしかに、わたしは駄目だ。ただでさえ駄目なのが、さらに駄目になったところだし。
でも、五属性持ちの〈無二〉の魔法使いジェレンス先生や、国一番っていってるけど他国にもあのレベルのひとがいるのか不安になるウィブル先生とか……。
ウィブル先生はマジで予想外だったよな〜、癒し系かと思ってたら武闘派だったとは。転生コーディネイターが、味方にすると死にづらくなりますよっていってたけど、そりゃそうだなって納得したわ。
財力担当のスタダンス様だって、ご本人も立派なマップ兵器なわけだし……王子もおのれを鍛えつつあるし。忍者は……実力不明だけど、あの光学迷彩は、いろんな場面で使えそうだ。
そうだよ。今回のメンバーだって、捨てたものではないのだ……わたしが駄目なだけで。
当然ながら、万象の杖なるチート武器を使えれば、さらに楽勝にはなるだろう。
でも、だからって、いきなり結婚はないんじゃないだろうか。
「お邪魔しますよ」
突然、ドアが開いた。わたしの口も、ぽっかり開いてしまった。
そのパターンは考えてなかったわ……いきなり来ちゃうか、そっかー!
「〈黄金の夢〉様……」
わたしがきちんとエルフを見分けられているなら、流れるように美しい歩みを見せているのは、名前を思いだせないあのかたである。つまり、エルフ校長が母上って呼んでた、あのエルフだ。
蜂蜜みたいな色の眼は、よく見ると少しだけ緑がかって……いや駄目だ駄目だ、エルフをよく見たら駄目だ! 意識をしっかり持て、ルルベル!
「わたくしの息子は、ほんとうに気が利かないわね。シルルヴェルアを放り出して行ってしまうなんて」
「あの……いえ、それは、わたしがお願いしたので」
反射的にエルフ校長を弁護したわたしに、〈黄金の夢〉様は、とろけるような笑みを向けた。
「やさしいのね、シルルヴェルア」
「あの、その……それって、どういう意味ですか? その……シルルヴェルア」
「あなたにもわかる言葉に置き換えると、〈聖なる乙女〉といったところかしら?」
ああ! エルフ語? でいう、聖女みたいなものか!
「なるほど。わたしが聖属性だからなんですね」
「ええ。それだけでもないのだけれど」
「ほかにもなにか、意味があるのですか?」
思わず問い返してから、いや、会話をはずませたら駄目だろ、と思った。
部屋から出てはいないが、この状況はなんとなくリートに嫌がられそうな気がする。現状、〈黄金の夢〉様を穏便に追い出す方法は思いつかないが、少なくともこちらから話題をふり、円滑に会話がつづくようにしたらいけないだろう。
いけないだろうが、勝手に口が……口が!
「そうね。説明すると長くなるのだけど」
「でしたら、どうぞお気遣いなく」
じゃあいいです、とはいえなかったので迂遠な表現をしたところ、誤解された。
「そう? それならお話ししましょう」
違うんだ! お気遣いなくっていうのは、説明しなくていいですよって意味で……時間がかかってもいいですよって意味じゃないんだよぉ!
しかし、エルフの貴婦人に嬉しそうに微笑まれたら、もう反論不能である。無理。無理ってば無理。ああ、なんて……美しいの!
「わたくしには、少しばかり先見の才がある……これは、もうお話ししましたね? 幻視がいつ実現するのか、特定するのは困難なのですけれど――この里はいつも同じ景色、住まう者もほとんど変わらずですもの。手がかりに乏しいのです」
なるほど。
考えたことなかったけど、エルフの里って変化が少ないんだな。出産や死亡での入れ替わりも、人間社会のようなスピード感はないだろうから……そりゃ、いつ現実になるのかわからなくても無理はない。
「ある頃から。わたくしは、人の娘があの子と手を繋いで里を歩く光景を、視るようになったのです。わたくしは、その娘から聖なる光を感じました。その聖なる光は里を覆い、精霊たちは歓喜にふるえました。それこそ〈聖なる乙女〉以外の名が思い浮かばないほど。それに、あの子――エルトゥルーデスも、それは幸せそうでした。愛する者とともに生きる悦びに満ちていたのです」
そうでしょうか? と、いいたかったが我慢した。
だってね、エルフ校長は、わたしに恋はしてないと思う。
いやたしかにね、ちょっと雰囲気には飲まれかけたけども。わたしの方は完全に、エルフの美貌にやられただけだし。エルフ校長の方は、なんだろうな……なんかわかんないけど、あれも違うと思うんだ。違うんだよ。
「わたくしたちエルフは、聖なる魔力に惹かれるのです」
……あっ。それが答えなんじゃないの? わたしが聖属性だから。エルフ校長の気遣いとかも、それが原因なんじゃないの? もっといえば、初代陛下への執着も、一部はそこから来ているのかも。
納得したー! 腑に落ちた!
〈黄金の夢〉様は小首をかしげ――そんなポーズをすると、少女のように愛らしいのだが――少し困ったように微笑んだ。
「でも、勘違いなさらないでくださいね?」
「え、はい? なにをでしょう」
「エルトゥルーデスは、聖属性魔法使いなら誰でもいい、なんて子ではありません。長きに亘り、何人もの聖属性魔法使いを、あの子は救ったはずです。でも、こんな風にわたくしたちに紹介してくれたのは、あなただけ。それに、わたくしが幻視したのも、あなただけです」
貴婦人の手が、わたしの頬にふれる。さっき、エルフ校長がしたみたいに。
この世のすべての光を集めたみたいな顔が近づいて、わたしの視界は美で満たされた。
耳元に、ささやきが届く。
「あなたは特別なのです、シルルヴェルア」




