143 これは照れであり、好きとかそういうのじゃない
えっ、ちょっと待って、いやいや、さすがにこれは聞き間違いだろ?
「すみません、もう一回」
「結婚してください」
「……結婚してくださいって聞こえましたけど、おかしいですよね?」
「おかしくないですよ、ルルベル。僕は、そういいました」
なんでそうなるのー!
「いや……えっ? 無理です」
わたしの反応に、〈黄金の夢〉様がおかしそうに笑った。
「ほら、わたくしの思った通り! 彼女は理解していないに違いない、と。そういったわよね?」
「うるさいな、黙っててください母上」
エルフ校長が、ため息をつく。
……いや待って、母上? 母上ぇ? すると〈黄金の夢〉様は里長夫人か……ってことは隣の見知らぬエルフが里長の可能性高くない? しかも、ご両親に話を通してあるっぽくない?
待って!なんで当事者であるわたしが置き去りなの!
「以前から、エルフの里に来てはどうかというお話は伺っておりましたが……結婚、というのは初耳です」
「そうですね」
よかった、自覚があった! よくないけど!
「いくらなんでも、唐突です」
そういう問題じゃないというか、そういう問題だけじゃないとは思うけど、とりあえずここを攻めよう! いや待てよ、自覚があるってことは、そこを攻めても「そうですね」で終わるのか?
「そうですね。わかっています」
ほんとに「そうですね」っていわれたー! どう返せばいいんだこれ。
「ひ……開き直らないでください、校長先生」
「開き直ってはいませんよ。自分の不手際を認めただけです」
それを開き直りっていうんじゃないだろーか。わたしが口を開いたり閉じたりしていると、思わぬところから援護された。エルフ校長の母君である。
「まぁ、口説いてもいなかったの、エルトゥルーデス? 不肖の弟でさえ、あのハクナマララに愛の言葉をささやいたというのに」
よかった、いきなり結婚を申し込むの、エルフ的にも非常識らしい。
……これは「よかった」にカウントしていいと思うんだよね。だって、非常識って皆が、特に同席してるエルフ校長のご両親っぽいかたがたが認めてくだされば、結婚も却下されるじゃん! たぶん。……だよね?
「では、今から口説きましょうか」
「なんてことなの、エルトゥルーデス。気が利かない子だとは知っていたけれど、仮にもこれから口説こうという相手に、『では今から口説きましょうか』ですって?」
母君の発言に完全に同意だが、エルフ校長はそれを無視して立ち上がり、わたしに手をさしのべた。
「おいで、ルルベル」
「え……でも……」
「僕の故郷を見せてあげたいんだ」
援護してくれないかと母君の方をちらりと見たら、思いっきりわくわくした視線を返されてしまった。エルフにも……恋バナでしか補給できない栄養っていうのがあるのかな……。
期待されても無理なものは無理だが、わたしはエルフ校長の手をとって立ち上がった。
正直、ここではやりづらいので、場所を変えるのは大歓迎だ。エルフ校長相手なら、多少の非礼は承知で立ち向かえるけど、さすがにその……エルフの里長ご夫妻もまとめてお相手するのはね? 無理だから。
という流れで、我々は朝食のテーブルをはなれた。
今までの空中散歩で、腰を抱かれたりとか、そういう距離感には慣れていたけど。こうやって正統派のエスコートをされるのは、逆に落ち着かない。
……ま、求婚効果もあるよね! どう考えても!
わたしも一応、うら若い乙女なのである。結婚にも夢があるし、恋愛にも夢がある。したことないから、余計にドリームを抱いているわけよ。
理想のシチュエーションを具体的に思い描いているわけではないが、はじめての求婚体験として、コレジャナイ感がすごい。
「……考えてたら、腹が立ってきました」
わたしが口を開いたのは、建物を出て、きらきらした森の中に入ってからだ。
夜の森もきらきらしていたが、朝の森はもうほんとすごい。心が洗われそうな清浄そのものの光に満ちているが、それでも……わたしはムカついていた。
それを聞いた、エルフ校長の反応がまた。
「ごめんなさい」
……素直に謝らないでほしい。発散しづらいじゃない!
エルフ校長は足を止め、必然、わたしも立ち止まることになった。
木漏れ日が、あたりをまだらに染めている。白や金色、それから緑。明るいのから暗いの、黄色っぽいのから青みがかったのまで、緑のヴァリエーションのすべてがそこにある。
「前に話したことがあるでしょう。僕が結婚して里を継ぐ資格を得れば、万象の杖も使えます」
わたしは眼をしばたたいた。
そうだ、たしかに聞いた――前回の魔王封印時に、エルフ校長はそれを持ち出すことができなかった。万象の杖は、里のエルフを守るためのものだから。
ふらりと里を出て人間に助太刀するようでは、認められないのだ。伴侶を得、学園を辞め、公爵位も返上して――人間界とのかかわりを断てば、万象の杖を自由に使えるだろう、と。
だから――結婚?
エルフ校長は、わたしを見下ろしている。胸が痛くなるほど美しい笑顔。慈しむような眼差し。右手が、わたしの左頬をそっと撫でる。
「もう、君を危険な目に遭わせたくない。悲しませたくもない。だったらこれが、いちばんです。万象の杖さえあれば、魔王だろうが眷属だろうが、どうとでもなります」
それはそうかもだが……そうかもだが!
「校長先生は、ほんとうにそれでいいんですか?」
「もちろんです」
なんてやさしい声で、嘘をつくんだろう。
いいはずがない。
「信じません」
「なぜ?」
「校長先生は――」
わたしは、ちょっと躊躇した。思ってることをいうのは、さすがに失礼な気がしたから。
でも、エルフ校長は黙って待っている。
だから、まぁいいか、って思ってしまった。もともとそういうタイプだしな! 思ったことは、口から出る。どんどん出る。
「――縛られるのがお嫌いだと思うからです。校長先生は、安定を選ばないひとです。自由を選びます。ここはとても綺麗ですけど、世界はもっと広くて……里を継いでしまえば、もう自由を選べないから。だから、危険な冒険にも、万象の杖を持たずに参加なさった。そうでしょう?」
わたしの問いかけに、エルフ校長は、夢みるように微笑んだ。
「君には僕がそう見えるんですね。でも、違うかもしれませんよ。今の君たちに比べ、前回の仲間は頼もしかった。だから、万象の杖など必要なかったとは考えられませんか?」
「それは……」
たしかに、わたしは初代国王陛下に比べると、こう……全然たよりないだろう。初代陛下は、筋肉馬鹿で護衛不要の聖属性魔法使いだものな。それに、ハルちゃん様という秘密兵器も強い。時空属性の天才魔法使い。
「ルルベル、僕が嫌いですか?」
呼吸がしづらい。エルフの暴力的美貌で懇願するように問われて、平静をたもてる人類がいようか? 無理無理!
「……そういう訊きかた、ずるいです」
「僕はルルベルが好きですよ。この数百年で出会った人間で、いちばん好きです。どこまでもまっすぐ言葉を届けてくれる君に、愛おしさを感じています」
わたしは視線を合わせていられず、俯いた。顔が熱くなるのがわかる。
今の今まで恋愛対象として意識したことがなかった相手だが、こんな風にいわれたら照れるしかないだろ!
そう、これは照れだ! 好きとかじゃない、好きとかそういうんじゃ絶対ない!
「ルルベル……」
頬にあてられた手が顎へとすべり、わたしは顔を上げさせられた。おお、なんと流れるような顎クイッでしょう……すげぇ。
もはや、されるがままとなったその瞬間。
「校長先生、早く戻らないと学園を乗っ取られますよ」
ズバーン! と、相変わらずものすごいぶった斬り力で発言したのは、もちろんリートである。
……おまえ、いたのか!




