142 可愛らしいとか、やめてほしい
しかし、その場でわたしにできることは特になく……おとなしくお風呂を……お風呂がまたすごかったんだけども、身体を洗わずにエルフの家具にふれるのが無理だったので、なにも考えないようにして済ませた。
着替えとかもなんか……置かれてるけど……抵抗あったが(わたしが、このような衣服にふさわしくないという意味で)、汚れた服でクッションだの布団だのにさわるのと二択だと考えると、用意されたものを着るしかなかった。
全体に生きている心地がしなかったが、天蓋ベッドにおさまったらこれがもう……心地がいいというか、無重力空間というか、想像もできない寝心地で、一瞬で寝てしまった。
「お目覚めですか」
寝起きを、知らないエルフに覗き込まれてる気分……想像してほしい!
存在してごめんなさいって感じ!
「あの、はい……?」
「お食事のご用意がございます、シルルヴェルア」
「や、わたしはルルベルで……」
「存じ上げております、シルルヴェルア。わたくしのことは、ファレーナリリドとお呼びください」
見知らぬエルフはそう答えて、慎ましやかに眼を伏せた。いや……視線をはずしてくれて助かったよね、目が合ってたら、そのまま頭の中身が昇天しそうだったし!
エルフの美しさ、もはや暴力だろ……なんもできなくなるわ。
「ファレーナリリド様」
あと、名前が覚えづらい。ファレーナリリド……忘れないようにしないと。
ハルちゃん様みたいに愛称呼びを要求されるのも困るし、敬称略っていわれるのも困るが。耳馴染みがなくて難しい、長い名前っていうのもなぁ。かなり困るね!
だって一晩寝たら、昨日の〈黄金の夢〉のエルフの名前も覚えてないよね。……えっどうしよう、マジで覚えてない。なんだっけ?
「どうぞ呼び捨てになさってください、シルルヴェルア」
……あっ。このひとも、そっち側かぁぁ! 勘弁してほしい。
ファレーナリリド(覚えたい、この名前!)さんは、淡々と話をつづけた。
「お召し替えが済みましたら、食堂にご案内いたします」
示されたのは予想に違わず、わけのわからん芸術的衣装である……こんなんどうやって着るの? ていうか、わたしに似合うわけなくない?
「あの、制服は。ここに来たとき着ていた服ですけど」
「清めておりますので、今はこちらをお召しになってください」
譲歩なし! 話し合いの余地なし! ていうか、こんな綺麗な生き物と話し合えない! わたしが! 無理!
そういうわけで、お召し替えのお手伝いとやらを断る余裕すらなく――正直、ひとりで着れる気がしなかったので、問答無用で手伝ってもらえて助かった――わたしは食堂に連行された。
食堂には、エルフ校長とリート、そして名前が思い出せない今、謎の二つ名があってほんとによかったと思う〈黄金の夢〉様と、さらに知らないエルフがもうひとりいた。
なお、食堂も例に漏れず猛烈に美しかったが、説明を放棄するしかない。だって、語彙がないのだ。こんなん、本職の詩人でも連れて来ないと無理。
「ルルベル。ああ、とても似合いますね。なんと可愛らしいのでしょう」
エルフ校長が立ち上がり、わたしをエスコートしてくれた。
可愛らしい……とか、やめてほしい。いたたまれない。芸術品のような椅子に腰掛けての感想は、もうマジで無理、である。完成された美の世界に自分という異物が! ってなるのだ。ああ。無理。
「よく眠れましたか?」
「はい、ぐっすり」
「それはよかったです。寝付けないのではと、案じていたのですよ」
「まぁ、エルトゥルーデス。それは、わたくしへの侮辱ですよ。この〈黄金の夢〉が気にかける者が、安らかな眠りを得ないなどということはありません」
さっそく〈黄金の夢〉さんが二つ名を名告り直してくれたが、できればそっちじゃなく……お名前の方をお願いしたい。今度は忘れないように頑張るから!
……待って。さっきのエルフの名前はなんだっけ? リリド……なんとかリリド……ファ……そうだ、ファレーナリリドだ。
やばい。メモがほしい。
なお、朝食のメニューは、エルフ校長曰く「人間向け」に寄せてくれたんだそうで、カリッとしたトーストにクリームと蜂蜜、新鮮なジュース、ソーセージ――エルフはほんとに肉も食べるようだ。校長以外のエルフも同じものを食べていた――あと、グリルしたトマトと豆のサラダって感じだった。
味? 美味しかったよ……。たぶん。気もちがふわふわしてて、味まで気が回らんのだよ。
あらためて書くまでもないとは思うが、この状況でも、リートは飲むように食べていた。ソーセージのおかわりをたのんでさえいた……心臓が強過ぎる!
「エルトゥルーデスよ。今日の予定は?」
そう尋ねたのは、見知らぬエルフ。たぶん男性。エルフ校長より年上じゃないかと思う。なんか落ち着いてるし、上から目線だから。
わたしの記憶が確かならば、エルフ校長は里長の息子である。そのエルフ校長より偉そうにできるのは、それこそ里長本人か、一族の中でも年長者……ってことになるだろう。エルフの常識が人間の常識と同じかどうかは知らんけど。
つまり、〈黄金の夢〉様も年長者に違いない。何百歳って感じだろうな。お肌とか、つやっつやだけど……いやもう全体にまばゆい。発光してないか、このひと?
「そうですね……ルルベルの体調次第ですが、精霊の大樹に案内しようかと。かまいませんか?」
エルフふたりが、まぁぁ、って顔をした。たぶん。
まばゆくてよく見えないというか、見たくないのであんまり見てないんだ……見たいんだけど、見たくないんだ!
今はエルフ校長さえ見づらいよ……どうやら逆魅了の魔法をといちゃったらしくて、もう……ほんと……無理めの無理だよ。昏倒せずに話をするのは難しそうだが、ここは意見をいわざるを得ない。
「先生、わたしは学園に戻りたいです」
「君は勤勉だね、ルルベル。でも、魔法を学ぶことなら、エルフの里でもできるよ。そうだ、それならルールディーユス叔父が遺した蔵書を見せてあげようか?」
ルールディーユス叔父というと、例の。自分が放浪するのに魔王の眷属とか邪魔だからって、すべてを溶かすおそろしい杖を開発して置いてった……という大雑把なエルフか!
えっ、それは気になる。ちょっと見たい。見てみたいけど……。
「エルフ文字は読めませんので」
「そんなこと気にしなくてもいいよ。僕が翻訳してあげるから」
……甘々の笑顔で見ないでくれッ! 脳が溶ける、脳が!
「いえ、それは遠慮しますというか……」
「遠慮しなくていいのですよ、シルルヴェルア。エルトゥルーデスだけではありません。わたくしたちは、あなたを歓迎します」
〈黄金の夢〉様の口調はやわらかく、でも、真剣だ。
「え……でも、なんでですか?」
「……わたくしには、少しばかり先見の力があります。わたくしの夢で、あなたはこのエルフの里に遊び、笑い、幸せに暮らしているのです」
いや。あり得へんわ!
それは〈黄金の夢〉様のただの夢じゃないでしょうか! って失礼じゃなく反論するには、どうすればいいんだ!
助けてエーディリア様!
「わたしのような卑賤な存在が、かくも美しいエルフの里で落ち着くはずもございません」
これどう? 失礼じゃない? ギリギリ? なんか駄目な気もするけど、ほかにどうしろと!
「あなたを迎えて、わたくしたちの幸いも増すでしょう。シルルヴェルアの祝福を受け、この森にもターラレンの歌がよみがえり、レーレドゥーラの――」
わけわかんない固有名詞の羅列がはじまってしまったぞ! どうすればいいんだ……。
パニックに陥りかけたわたしの腕に、エルフ校長がそっと手をかさねた。
「簡単に、そして率直に伝えましょう」
押忍! よろしくお願いします!
うなずいたわたしに、エルフ校長は首肯を返す。そして、告げた。
「僕と結婚してください」
……はぁ?




