140 安心という言葉の解釈の幅が広い
「そうですか。君がエルフの里を選んでくれるとは……望外の喜びです」
わたしの失礼きわまりない反応を、エルフ校長は前向きに受け止めたようだった。すごいな。
そして、リートはとてもシンプルに嫌がった。
「エルフの里なら、護衛は不要でしょう。俺は残ってもいいですか」
「駄目です」
依頼主であるエルフ校長は、リートの提案を速攻で却下した。一瞬たりとも考える気配がなかった……。
「リート、ルルベルちゃんがエルフに囲まれて心細くなっちゃわないように、付き添ってあげるのよ」
「俺の任務は護衛であって付き添いではありませんし、彼女の心理的な不安を軽減するための技術は持ち合わせていません。そういう目的であれば、もっと適任がいるでしょう。シスコとか」
エルフ校長は笑い、ウィブル先生は嘆かわしげに額を押さえた。
「シスコちゃんは、ルルベルちゃん以上に繊細でしょ! こういうときは、あんたみたいな図太いのがいいのよ。わかってるわね?」
「わかりません」
わかれよ。
「リート、ごめんね」
謝ってみると、リートはわたしをちらっと見て、わずかに口を曲げた。葉っぱの口というほどではないが、あきらかに、耐え忍んでいる感じだ。そんなに嫌なのか。
「では道をつなぎましょうか」
「校長、ちょっと待ってください。ルルベルちゃんの荷物とか――」
早いよ、と思うだけで反応できなかったわたしに代わって、ウィブル先生が待ったをかけてくれた。が、エルフ校長はこれも意に介さない。
「必要な品はすべて、あちらで用意できますからね。心配しなくていいですよ、ルルベル」
いや、心配だよ……。どうせ芸術的な寝台、芸術的な布団、芸術的な枕、芸術的な室内履き、芸術的な……まぁとにかくなんかすごくて、落ち着かないに決まっている。
でも、部屋ごとエルフの里に持って行くわけにもいかないしな……慣れるだろう。慣れるはずだ。ジャグジーだって、超高級品のバスオイルだって、慣れたもん。
「あの……校長先生」
「なんです?」
「少しでもエルフの里に害をなす可能性が出たら、わたしを追い出すと、約束してくださいますか。そうでなければ、行けません」
わたしがそう告げると、エルフ校長はようやく即決即断モードをとりやめてくれた。ちゃんと考えるだけの時間を置いてから、うなずく。
「いいでしょう。君が案じているのは、魔王の眷属が君を探してエルフの里に来ることですね?」
「……はい」
「そういうことでしたら、あらためて僕が約束するまでもありません。気配を察知し次第、僕ごと追い出されますよ。安心してください」
……思ってたのと、なんか違うけど、まぁ。安心……していいの?
「それは安心とはいいませんね」
ズバーン! と効果音がしそうな感じに、リートが指摘した。
ウィブル先生が、もう少し控えめにつづく。
「追い出されるって……ちゃんと学園に帰還する経路は確保できるんですよね?」
「僕は移動系の魔法が得意ですからね。漂白者ルールディーユスの甥として、叔父に負けない技量があると自負しています。ですから、大丈夫です。安心してください」
安心という言葉の解釈の幅が広過ぎない? エルフ校長と我々人間のあいだで、合意がとれてるかどうか不安じゃない?
まぁ、移動が得意っていうのは、なるほどなと思うよね。瞬間移動系もそうだけど、空の旅なんかも……あれだって、ふつうの魔法使いには難しいはずだ。ジェレンス先生くらいの規格外ならともかく。
たとえば風属性魔法使いなら風を使えるだろうけど、長距離移動には、かなりの持続力が必要になる。魔力量が膨大か、魔力回復力がむちゃくちゃ高いかが必須条件だ。
そんなどうでもいいことを考えているあいだに、エルフ校長は魔法を使いはじめていた。
あの不思議な音楽のような――たぶんそれが精霊に語りかける作法であり文法なんだろうけど、人間には再現しがたい気がする、繊細な歌。その声に応じて保健室の中に大きな卵型の光の枠が浮かび上がる。高さは二メートルに少したりないくらい、幅は広いところで一メートル……いや、それよりちょっと狭いかな? そんなサイズ感。
「できました」
光の枠の中には、ちらちらと光が揺れる夜の森が見えている。
「校長室のを使わないんですか?」
「あれは、あの部屋にしか通じていないから黙認されているのです。里に出るには、あらためて経路を開かねばならないのですよ」
あの部屋にしか……っていうけど、たしか物騒な場所にも通じてたよな?
まぁ、出られるのがエルフの里じゃなければノーカンなのか。そういえば、直接は出られないって話してたような気もする。そっか。そういうことなのか。
「ちょっと、寂しいですね」
「寂しい?」
「……あ、いや、なんとなく思っただけです。すみません」
思ったことが口からぽろっと出ちゃうの、なんとかしないとな!
エルフ校長は聞き流すことにしてくれたらしく、にっこり笑顔で宣言した。
「では行きましょう。ああ、これは僕らが通ったら閉じますからね、ウィブル先生」
「わかりました。お帰りはどちらに?」
「校長室か、図書館の上階かな……校長室に出入口をつくるとなると、安定性が気になりますし……図書館は安全ですが、あの防御に干渉しきれるかには不安が残ります。どちらもうまくいかなければ、保健室を使います」
「司書と交渉して防御を落としておきましょうか?」
「いえ、図書館は本を守るためのものですから」
そこはブレないんだな……。
たしかに、わたしは図書館にいる時間が長いし、それは防御がしっかりしてるからだけど。でもそれ、本来は本を守るための防御なのだ。
図書館まで、わたしのせいでどうにかなっちゃったら……と思うと、ぞっとした。
「わかりました。……ルルベルちゃん、また明日ね」
「はい。ウィブル先生もお疲れでしょう、ゆっくり休んでください。それと、あの……今日は、ありがとうございました」
「なにいってるの。生徒の面倒をみるのは、あたしの仕事なんだから。気にしちゃ駄目よ」
そういって、ウィブル先生はバチンと音がしそうなウィンクをしてくれた。
不意に、ウィブル先生が無事でよかったという安堵感があふれてきて、胸が詰まった。だってほんとに……あのとき、もう駄目だと思ったんだもの。それにしても、時差! 今頃過ぎるだろ!
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ、ルルベル。リートもね」
リートはフンと鼻息を荒くして、返事に代えた。
そうして、我々は光のゲートをくぐり、エルフの里に瞬間移動した。
窓から眺めたことはあっても、足を踏み入れるのは、これがはじめてだ。
「ひとつだけ、あらかじめ謝っておくことがあります。一族の者がなにか不愉快なことをいうかもしれません。申しわけないですが、聞き流してください」
「いえ、そんな。受け入れてくださるだけでもありがたいです」
エルフ校長は微笑んだ。
わたしたちが立っているのは、ちょっと異常なほどの巨樹が並ぶ森の中だった。樹皮はつややかで、枝や葉もちょっとした角度の違いでプリズムみたいに光っている。透明感があるというか……夜なのに、なんだかきらきらしているのだ。
木々だけではない。草もだし……空気も、光の粒子を含んでるみたい。
わたしは眼をしばたたき、自分が見ているものがなんなのか知ろうとした。
空中をただよう、なんらかの成分が原因なのかな? なんらかって、なんだろう……魔力のはずはない。今、なにも感知できなくなってるんだし。
「ルルベル、どうしました?」
「あ、えっと……きらきらして綺麗なので、なんなんだろうと思って」
「ああ、それは精霊の歌ですよ」
精霊の? 歌? 歌が見えるの? 見えるっていうか、光るの?
わたしがぽかんとしていると、エルフ校長は微笑んで告げた。
「エルフの里は、精霊の祝福でなりたっているのです。精霊はエルフが好きですからね、つねに言祝いでくれるのです。エルフが幸せであるように、いつまでも美しくいられるように」
「それが、きらきらに見えるってことですか?」
「人間にはそう見えるのでしょう。エルフには、空気に祝福が満ちているのが感じられるのですよ」
ほう……。なるほど、わからん。
すると、それまで黙っていたリートが口を開いた。
「精霊はエルフのことは好きだが人間はそうじゃない。だから、俺たちが出現したことは、すぐに伝わる」
「伝わるって……誰に?」
「里のエルフたちにだ。もう見られてるぞ」




