136 あれは化け物だと思え
結局、わたしの火事場の馬鹿好奇心も、そこまでだった。
あとでウィブル先生に聞いたところによると、「だめぇ……」という声をあげて倒れたらしい。
そのままにはしておけないということになって、わたしは保健室へ運ばれたそうだ。
「……先生が無事で、よかったです」
意識が戻ったときはもう夜だったけど、ウィブル先生は付き添ってくれていた。
「びっくりさせちゃって、ごめんなさいねぇ」
そりゃもうびっくりしたよね……だってどう見ても、喉がその……。思わず視線がウィブル先生の首元を彷徨ってしまったけど、羽毛ストールで鉄壁のガードがなされている。
「失血が……ひどかったので……ほんとに、もう……」
あのときは、びっくりが過ぎて泣いたりもできなかったけど。今になって、泣きたくなった。
でも、ウィブル先生は微笑んで答える。なんてことない、って感じで。
「そりゃね、あんまり失血し過ぎるとまずいけど、造血も補助できるから。あたしぐらいになると、血も武器にできるのよ」
わたしは眼をしばたたいた。
武器? 血が? えっ、どういうこと?
「それは……吸血鬼が飲んだら身体の内側からパーンみたいな?」
わたしの発言に、ウィブル先生は面食らった顔をして、それから笑いだした。
……違ったんだな? 違ったみたいだ。
「その発想はなかったわー! 試してみたいものね。でも、今回はそうじゃないの。凝縮した魔法使いの血って、それ自体が魔力を帯びた魔道具みたいなものなのよ。だから、血をうまいこと練って鞭に仕立てて、それをリートに使わせたの」
あー……。あの黒い紐みたいなの、鞭だったのか。ていうか、血なのか!
背徳的なのは絵面だけじゃなかった! 本質的にアウトじゃん、そんなの!
「吸血鬼にとって、血って特別なものなのね。糧であり、生命のみなもとであり、どうしても惹きつけられるものなの。だから、とっさの対処ができないのよ。無意識に惹かれちゃうから」
「じゃあ、はじめから狙って負傷を……?」
「そういうこと。絞め技とかだと出血しなくて困るから、いい感じに深手を負いたかったのよね。できれば、再起不能って印象も与えたかった。油断してくれるから。まぁ、うまくいったんだけど」
肉を切らせて骨を断つ作戦なんだろうが、なんという過激さだ。
「怖かったです」
「ごめんね、事前に説明する余裕なくて」
そういう問題だろうか? そういう問題なのかな、だってそうでもしなきゃ吸血鬼とは互角に戦えないもんな。できればあんな……出血大サービスはしてほしくないけど、それが必要な相手ってことなんだろうなぁ……。
守ってもらったんだから、意見できる立場じゃないとは思うけど。
でも、いわせてほしい。捨て身過ぎる!
「……それで、ファビウス様は大丈夫なんですか?」
「あ、もう憑依状態ではなくなってるはずよ。本体を、ジェレンスが確保したから」
そういや、本体のところにも誰かいるってエルフ校長いってたな。ジェレンス先生だったのか……。
「よかったです」
「そうね。ルルベルちゃんが元気になったら、一応、浄化してあげてね?」
「今じゃなくてもいいんですか?」
「まだ無理でしょ、魔力たりてる感じじゃないわよ。計測器なんてないけど、見ればわかるわ。まったく……馬鹿弟子が調子に乗ったせいで、大変なことになったわよ」
「すみません」
ウィブル先生はリートを叱るけど、本来、魔力量の管理は本人のつとめである。わたしが自分の魔力量をちゃんと把握していれば、吸血鬼とあんな戦いかたをせずに済んだはずだ。
「謝らないでよ。ルルベルちゃんがいてくれたおかげで成功したともいえるのよ」
「え? でも、わたしはなにも……」
「吸血鬼と、やりとりしてた時間があったでしょ? あの時間がないと、鞭が間に合わなかったかもしれないわ」
吸血鬼がわたしを舐めくさって弄んでいたからこそ、捕縛のための魔法が間に合ったのか。……怪我の功名っていうか、なんていうか。
「間に合いましたよ」
なぜかリートの声がした。いやまぁ? いるだろうとは思ってたけど? せっかくウィブル先生が励ましてくれてるとこに、それか!
本物だな、おまえ!
「なんで断言できるの」
「もう少し早く出ることもできた。相手が完全に気を抜いた瞬間を狙ったから、少し時間がかかった」
そうかよ。もうどうでもいいよ……。
「リート、あんたはちょっと黙ってなさい」
「はい、先生」
「あとルルベルちゃんは、休んでて。もっと寝てなさい」
「でも、魔力切れの気もち悪さは、もうないですよ」
倦怠感は少しあるけど、それだけだ。
だけど、わたしの言葉を聞いたウィブル先生は、ととのえた眉をくいっと上げた。
「気もち悪くない?」
「はい」
「でもまだ魔力は戻ってないわ」
「そうですね……なにも感じないです」
ウィブル先生は、じっとわたしを見た。なんだか魂まで覗かれるような、するどい目つきだ。
「……とにかく、今は休んでいてちょうだい。絶対安静よ、いいわね。あたしはちょっと行くところがあるから……リート、まかせたわ」
「先生は、休んでらっしゃらなくていいんですか?」
「だ・か・ら」
一音ずつ切って発音すると、ウィブル先生はにっこりと、それは綺麗な笑顔でつづけた。
「国一番の生属性魔法使い、これしきのことはなんでもないの。ルルベルちゃんが平気なら、ほかにもやることがたくさんあるのよ。おとなしくしててね? ほんとに」
「はい、わかりました」
「リート、返事」
「了解。全力でルルベルと外部を遮断します」
ため息をついて、ウィブル先生は立ち上がった。そして、ひらひらっと手をふると、足取りもかろやかに出て行ってしまった。
リートがわたしを見下ろして尋ねる。
「カーテン引いて寝るか?」
「ねぇ、ウィブル先生が平気って、ほんとに?」
「疑うのか。あのひとの『国一番の生属性魔法使い』ってのは、嘘じゃないぞ」
「いや疑ってはないけど……」
「あの程度の傷なら、本来はまばたきひとつのあいだに治療できる。今回は、一定量の出血が必要だったから、多少は負担になったはずだ。が、それだけの話でしかない。あれは化け物だと思え」
「化け物……」
師匠を捕まえて化け物呼ばわりとは、いい根性である。……まぁ、リートだしな。いい根性だなんて評価、今さら過ぎる。
「簡単には死なないから、安心しろ」
「リートは?」
「残念ながら、俺は一般人とそう変わらん。重傷を負えば、簡単に死ぬ。あんな化け物じゃない」
「嘘」
「嘘じゃないから、丁重に扱ってくれ」
「……じゃあ、リートも休んでよ。わたし、勝手に出歩いたりしないし……」
「君が勝手に出歩かなくても、招かれざる客が来る可能性があるからな。護衛はそう簡単には休めない」
ふん、と鼻で笑って、リートはグラスを差し出した。
「なに?」
「水だ、水。水分を補給しておけ。それから寝ろ」
真っ当な助言だったので、わたしはおとなしくグラスを受け取り、水を飲んだ。
カーテンを引いてもらって、では寝ようか……と布団に潜り込んだとき、ドアがノックされる音がした。
リートが応じる。
「誰だ」
「あの……」
シスコだ!
わたしはリートに声をかけた。
「リート、入れてあげて」
「駄目だ」
なんでだよ! カーテンを開けると、リートは一瞬、こちらを見た。そして、くり返した。
「駄目だ」
「わたしがいいっていってる――」
「開けなさい」
「――の」
……かぶせるように誰かが割って入って、わたしの声から元気が抜けた。
えっ、外にいるのシスコだけじゃないの? 誰?
リートは無表情に告げた。
「先生から、誰も入れないように申しつかっております」
「まぁ、このウフィネージュが命じているのですよ?」
……正体がわかってしまった。
わかりたくなかったーっ!
どうしよう。今、ウフィネージュ様と対面する元気なんてないよぉ。




