135 宝飾品の半返しより無理
精一杯の力で魔力を押し出す。
行け、行け、頑張れわたしの魔力! ここで使えなきゃ、意味がない。
なんにも、意味がないんだ!
「うっ……」
ファビウス先輩が呻き、顔を歪めた。
わたしを抱える腕の力がわずかに緩んで……でも、わたしはさらに相手にしがみついた。逃すまいと、必死だった。髪を握っていない方の手で服を掴み、念じた。
届け、届け、届け! 自分の中にある、ほんの少しの力も余さず使え!
効果はあるはずだ、だってほら、こんなに表情が――
「……なぁんてね」
艶やかな笑みを浮かべて。ファビウス先輩は――先輩を乗っ取った吸血鬼は、わたしを抱きしめ直した。
「嘘……」
「可愛いねぇ、ルルベル。そんな搾りかすみたいな力で、なんとかできると思っちゃったの? 馬鹿だねぇ、とても愚かだねぇ……でも、人間ってそういうところがいいよね。やわらかくて……あたたかくて」
掴んだままの髪を、わたしは引っ張った。まだ、負けを認めるわけにはいかない。わたしの魔力、頑張れ。肝臓、頑張れ! 飲酒で酷使されてない若者の肝臓だぞ、頑張れ!
でも、魔力を押し出せてる感覚がない。正直いって、自分の魔力がなにも感じられない……。
長い指が、わたしの背中を撫でるように這う。耳元で、声がする。
「聖属性魔法使いの血は、どんな味がするのかな」
全身が、ぞわわーっとした。総毛立つとはこのことか。こんな現象、ほんとにあるんだな。
わたしの腰をしっかり抱いたまま、吸血鬼は耳にくちびるを寄せ、ついばむようにしながらささやいた。
「血を吸われるのって、とても気もちがいいらしいよ? 試してみない?」
選択肢があるなら、「試さない」を選ぶがな!
「選ばせる気、なんて、ないくせに」
「おっと、そこは賢いんだねぇ、ルルベル」
ムカつく台詞に、わたしは胸についた手に力を入れた。来い、火事場の馬鹿力よ来い! 火事じゃないけど、火事くらい破滅的な事件だぞ、魔力がないなら筋力だけでも、たのむ!
少しだけ身体がはなれたが、どうせ吸血鬼が面白がって力をゆるめたのだろう……くらいのことは、考えられる。たぶん、火事場の馬鹿想像力である……だってさっきまで、それどころじゃなかったからな。
きっと、いろいろ考えられる状態は長持ちしない。ただでさえ魔力切れを起こしてたのに、全力でまた魔力を出そうとしたわけで……いつまたぶっ倒れても不思議じゃないのだ。
もちろん、今は倒れるわけにはいかないけど……これ、無理じゃない? 侯爵家に宝飾品の半返しをする以上に無理じゃないかな?
……と、思ったとき。
「ふぎゃ」
腰のところを強烈な力で後ろに引かれたせいで、変な声が出た。
えっ、なに? ……って!
「ウィブル先生!」
ファビウス先輩っていうか吸血鬼って呼ぶべきか、とにかくあいつからわたしを奪い返したのは、ウィブル先生だった。
えっ……先生……えっ、どうしよう。生きてる! どうして? 嬉しい!
「生きてる!」
「だから、いったでしょ。国一番の生属性魔法使い――」
そこでウィブル先生は溜めをつくり、わたしを抱えていない方の手で、ぐっと拳を握りこんだ。
腰を落とし、完全に戦闘モードで。
「――舐めてんじゃねぇぞ」
あっ……また格ゲー世界になる予感が……。
同じことを予測したのだろう、吸血鬼が尊大に微笑む。
「懲りないねぇ、君も。無駄だとわからないの?」
「懲りる? 笑わせんじゃねぇ!」
「はっ! あれだけ血を失っておいて、強がりもたいがいに――」
そのとき、玄関ホールを黒いものが駆け抜けた。リートだ。
えっ、いたの?
まずそう思って、次に心の中で叫んだ。
なにやってたのーっ!
だが、わたしの心の声など届くはずもない。リートは手にしていた黒い紐状のものを、吸血鬼に投げつけた。
吸血鬼はいつものようにそれを避けようとしたが、微妙に間に合わなかった。たちまち、紐が首にからみつく。
えっ……ちょっ、……ちょっと待って、それ中身は吸血鬼だけど身体は! 身体はファビウス先輩だから気をつけて! すでに骨折とかいろいろしてるっぽいし!
なんて口を挟む暇もなく。
ウィブル先生が、わたしを抱えたまま吸血鬼の横を突破して、外に出た。
「校長!」
そして、投げられた。
わたしが。
えっ……宝飾品を投げるのもたいがいだと思いますが人間を投げるのもどうかしているのではないでしょうかぁぁぁぁ! と思いながら空を飛んだ経験はあるだろうか?
あまり楽しくはない。
しかも、着地するどころか植物の蔓に受け止められて周囲に籠を編まれた挙句、二階建て住居より高そうな位置に固定されるんだぞ……怖いって。怖いって! エルフが三階の住人だからって、なんでこんな高いとこに……。
とはいえ籠なので、網み目の隙間から外を覗けるのは便利である。もはや息も絶え絶えだが、火事場の馬鹿好奇心がものをいい、下を見た。
わたしを固定している蔓植物の足元には、エルフ校長が立っていた。
「二回も。……二回も、僕の土地に入り込みましたね」
「校長、それ、身体はファビウスです」
リートが律儀に報告しているが……大丈夫かな。エルフ校長、ちゃんと理性残ってる?
「入り込んだというなら、入り込ませてしまった自分の無能を思い知るがいい」
わたしが投げられたり蔓の中に編み込まれたりしているあいだに、戦闘は終了したらしい。
吸血鬼は偉そうにしてるが、地面に膝をつかされている。負けポーズであろう。
「わかっていませんね。もちろん、入り込ませてあげたんです、今回は。魅了魔法で人間をあやつるとき、吸血鬼本体はどうしているのか、興味があったんですよ」
吸血鬼は、はっとして顔を上げた。
エルフ校長は、わたしの位置からでは頭のてっぺんしか見えないが……たぶん今、笑顔だと思うね! この上なく清々しい感じの。そして、口にした台詞はこうだ。
「次に君が侵入したらすぐにわかるよう、準備していなかったとでも? 君の血の魔法の痕跡を、僕や僕の優秀な教師たちが辿れないとでも? ルルベルには用心していたようですが、吸血鬼と戦う力をそなえているのは、聖属性魔法使いだけじゃないんですよ」
吸血鬼の背後には、紐を持ったリートが立っている。ウィブル先生は油断なくその反対側に。正面はエルフ校長。
いや〜、絵面がひどいんだけど……紐のせいで。あれも魔道具なのか、繋いでるだけで吸血鬼がおとなしくなってるけど……つまりその、人間の首に紐をつけ、膝をつかせてる状況なのだ。なんかこう……人権侵害っぽい!
しかも。見た目がファビウス先輩だから、妙に禁断の魔性感が……。
「これを外せ。でないと、この男の舌を噛み切るぞ」
「おやおや。過激な要求ですね」
エルフ校長、なんで声が楽しそうなの!
そのままウィブル先生に、やっぱり楽しそうに語りかける。
「うまくいったね、ウィブル。研究予算を割いた甲斐があった」
「成功する自信はありましたけど、ルルベルが出て来たときには、びっくりしました。リート、なんで止めなかったの」
「撹乱にちょうどいいと判断しました。こいつの注意が完全に逸れますから。思惑通りにいきました」
……あっそう。あっそう。あっそう!
「護衛対象の安全が第一だよ」
「そのためにも、こいつを確実に無力化する必要があったので」
「……おい、無視するな」
吸血鬼の気もちがわかるよ……そうだよ、無視しないでちゃんと対応して!
わたしの願いが届いたのか、エルフ校長はきちんと吸血鬼に向き直った。
「言動から察するに、君は魅了魔法を使ってその子に憑依してるんだろう? どうしても、ルルベルの反応を直接確かめたかったんだねぇ……最低だねぇ」
まぁ、それはいい。とつぶやきながら、エルフ校長は長い髪をさら〜っとかき上げた。意味はないが、むっちゃ美しい。髪だけしか見えないのに!
「魔法で捕らえられた今、君の意識は本体に戻れない。でも、舌を噛み切ったら、君の意識はその身体にも宿っていられないはずだ。魅了魔法は、相手が生きてる状態じゃないと使えないからね。つまり、君の意識って消えちゃうんじゃないかな?」
やっぱりあの背徳的な感じの紐、魔道具なのか……いや、それはともかく。
舌を噛み切った場合のシミュレーションを、エルフ校長はつづける。
「すると、残った吸血鬼本体ってどうなるんだろう。意志なき屍体になり果てるのかな? ちょっと興味があるね。実験してみようか。ちょうど、本体の方にもうちの教師が行ってるはずだから観察はできるし……僕はべつにいいよ。その子、東国の人間だし」
いやいやいやいやいやいや、待って待って待って待って!




