124 聖女のドレスを仕立てる機会を逃す馬鹿はいない
翌朝、シスコは元気に研究室を出て行った。必ず今日中に仕立て屋を連れてくる、と断言して。
こんな急な話、応じてくれるの? と、不安を吐露してみたところ。
「聖女のドレスを仕立てる機会を逃す馬鹿はいないわ」
だ、そうである。まぁね……そういうものかもしれんね。
ところで、聖女って肩書き、どうなってるの? つまり、わたしって聖女でございますと名告らないといけないの? それとも、名告ったら駄目なやつ? とくに授けられたりとかそういうの、してないけど。
あと、シスコは学園をサボることにならない? まぁ担任のジェレンス先生が吸血鬼追跡に夢中になってる関係で、自習ばっかりらしいし、いいのかな。……いいのかなぁ!
そんなこんなで落ち着かないまま、午前中は図書館で勉強。
今は、大暗黒期で失われたっぽい魔法の研究書……いや、初心者向け入門書を読んでいる。目次を見てたら「時空」って見出しがあって、おおぅ……ってなったよね。
それ使えるひと、会ったことあるわ。
時空魔法は、意図的に封印されたらしい。大暗黒期の前のことだから、くわしい経緯などは不明だそうだけど……ほとんどの魔法が、暗黒期の混沌で伝承者や継承者、記録が失われてわからなくなりましたって話なのに、時空魔法だけは、意図的に失われてるというね。
……いやでも使えるひと、いたけど?
ちょっと待って。使えちゃいけないから存在ごと抹消なのか、ひょっとして。ハルちゃん様、その力で世界を救ったといっても過言ではないっぽいのに(エルフ校長の証言による)、あってはならないことだったの?
「リート、時空魔法って知ってる?」
「失われた魔法のひとつで、時属性とは別系統に分類されている」
「えっ、別なの?」
「本質が違う。時属性は――詳細は明かされていないが、魔法の対象を特定の個体に限った状態で、時を操作する力だ」
「……わかりやすく」
「たとえば、俺が君を特定して『五十年経過』と念じれば、君の肉体年齢は六十六歳になる」
おぅふ。
「そ、そういうことなんだ。じゃあ、時空属性は?」
「特定の個体に限定せず、世界全体の時を操作する……たとえば『時間を三分戻す』と念じれば、世界全体が三分戻る。使い手対世界の構図をつくるから、自分だけ三分先に飛ぶ、なんてこともできるという話だ。信憑性には大いに疑問があるし、作り話だろうと俺は思っている」
いや……使えるって人物に、会いましたけどね? それも、エルフ校長の保証つき。
でもなるほど、そんな魔法が使えるなら、魔王が強くても戦いようはあるよね。味方が打った手が間違ってたら、戻せばいい。さっきの計画はやってみたけど駄目だったから、あらためて別の作戦を考えよう……って。
えっ、最強じゃん。
「現実にあったとしても、実用性には乏しいだろうな」
「なんで?」
「世界を操作するなんて魔法、魔力量が膨大になければ不可能だろう。時魔法でも、消費魔力は甚大だと聞いている。世界を操作するならば、一分一秒を操作するのでさえ、途方もない魔力が必要なはずだ」
「なるほど……」
そううまくはいかない、ってことかぁ。
「敢えていうなら、自分自身の時を飛ばすなら、対象が限られるから、個人の魔力で可能かもしれない」
「自分だけ五分戻るとかしたら、どうなるのかな? 自分がふたりいることになるの?」
「詳細がわからない魔法だぞ、俺が知るわけがない」
「そこをなんとか、お得意の妥当な推測で……」
「君が勝手に考えればいい」
「わたしの推測、あんまり妥当じゃないことが多いから!」
リートは黙ってしまった。つまり、妥当な推測さえ出てこないレベルで情報が少ないってことだろうな。
わたしもリートには少し詳しくなったぞ。毎日一緒にいるし! べつに一緒にいたくはないが、一緒にいざるを得ないし!
……はぁ。
昼食(今日はエルフ校長の招待であった。例の芸術的な部屋で、もうこのままここに住んじゃお? みたいな勧誘を受けた気がするが、よく覚えていない。リートは、飲むように食べていた。マジで心臓がおかしい)後、研究室に行くと、シスコはもうスタンバっていた。
つまり、お勧めの仕立て屋さんが来ていた。
仕立て屋さんの名前はラズマンド。母と同じか少し若いくらいの年頃の女性である。シンプルながらモードな雰囲気に満ちた服に、凝った髪型。おしゃれ強者感……。
「拝顔の栄に浴することがかない、望外の喜びです。一身を抛つ覚悟で、聖女様のお召し物をご用意いたします」
……抛たんでくれんかな。重いわ!
完全に気圧されてしまったわたしは、口の中でもごもごと、よろしくお願いしますとつぶやいた。褒められた態度ではないが、マジで、圧倒されたのである。圧があるんだ、圧が!
「本日は、生地の見本をいくつかお持ちいたしました。それと、お仕立て上がりましたドレスの方も。ご参考になりますれば、と」
はじめに見せてくれたのは、春の柳の若葉のような薄緑のドレス。これは最新流行(らしい。昨晩、シスコに教わった)の、ストンとした形だ。むっちゃ儚げ!
この世界の上流社会のドレスの流行は、基本的には、ストーン! ってまっすぐ。Iラインってやつだ。ドーン! でバーン! の、いわゆるお姫様ドレスー! ってシルエットではない。
舞踏会用のドレスは、アンダードレス(アンダーといっても下着じゃない、見せるアンダーね)の上に薄い布で作ったオーバードレスを重ねるのが基本。踊ったときに、ひるがえるのが美しいとされるから。重ねの色目で遊ぶとか、オーバードレスにたくさん切り込みを入れてわざとアンダーを見せるとか、ビーズをつらねたフリンジをびっしりつけるとか……デザインの幅は広い。
ドレスの丈はTPOでけっこう変わるんだけど、今回の舞踏会は夜開催なので、基本はロング。ただ、わたしたちのような年代だと、くるぶしは見えないとダサい。変形ヘムで丈に変化を持たせるなら、いちばん短いところは膝下くらいまで大丈夫。膝上は、さすがに常識を疑われるらしい。アンダーが膝下、オーバーがくるぶし丈で足が透けて見えるなんてデザインも、多いらしい。
以上、昨晩シスコに詰め込まれた知識でお送りしました!
参考までに、下層の平民は、まだ広がるロングも着てるよ。古着を直して着回しまくるから、そう簡単には流行に乗れないんだよ……。シュッとしたのが流行らしいって知識はあるので、お裁縫が得意な子はトライしてるけど、生地がねぇ。やわらかいのは、高いのよ。庶民に手が届く生地だと、綺麗なシルエットを出すのは難しいよ!
「もっとこう、引きずるようなのを作るのかと思ってました」
庶民の想像力では、王侯貴族の皆さんとか舞踏会とかいう言葉って、ドーンでバーンって引きずるドレスとセットなのよね……。でも、そうじゃないんだなぁ。
「王宮の行事などでしたら、そういったドレスも必要になるかと存じますが……。もし、そういったものもお仕立てになるようでしたら、別途ご用命くださいませ」
次に出てきたのが、シックなローズピンクのアンダーに、真珠色の透けるオーバーをかさねた、これまたお洒落としかいいようがないドレス。えっすごい可愛い……夢見るような色だ〜!
さらに三着目、今度は艶やかなベージュ色の地にゴールドで刺繍をほどこした、少し大人めのドレス。アンダー気味にマークした腰のベルトは、ブロンズにかがやく鎖に小さな真珠を編み込んだもので、まさに芸術品……。えっ、これお値段聞くのが怖いやつじゃない?
でも、布の質感は二着目のローズピンクがいちばんヤバいな……あれ絶対、ものすごく高いやつよ。わかる。吸い付くような手触りだったもん。
まぁ初手の柳色のドレスも、襟元のレースの繊細さがすごいよね……レースって手作業だから、あのこまかさで、あのサイズ……たぶん、気が遠くなるほど時間かかってる、つまり高いぞ!
「どれも、高級感……」
あっ、感想が思わず口からこぼれてしまった。
仕立て屋のラズマンドさんは、それをきっちり華麗に拾ってみせた。
「高評価をいただき、ありがとうございます。こちらにお持ちしたのは、わたくしどもにご用意できる最善のもの。ですが、聖女様にご用命いただけるのでしたら、その最善をすら超えてみせる覚悟がございます。どうぞ、お好みをお教えくださいませ」
最善を超えちゃうのかぁ……。
わたしはシスコを見た。どうしよう? って顔で。
シスコは、自信ありげにうなずいた。
「まず、どのスタイルが気に入ったか教えて? それを元に、デザインを決めていきましょ! あと、色味も早めに固めたいわ」
シスコが……シスコの眼が、ガチだわぁ……。




