115 王子は才気煥発じゃない方が平和かも
「じゃあ……僕は、どうしたらいいんだ」
知るかーッ!
……とは思ったが、相手は王子だ。
プライドもかなり高そうなのに、ド平民のわたし風情に泣きつくなど、異常事態であろう。メンタルが逝ってるせいだと思えば、まぁ気の毒ではある。
自己保身全開の考えかたをするならば、今ここで強気にシッシッと追い払った場合、王子の恨みを買いかねない。全然、得策ではない。むしろ下策である。
めんどくさい相手としか思えないが、王子を無情に切り捨ててしまえば、いずれわたしが切り捨てられる側になったとき、文句もいえない。
情けは人の為ならず――人に親切にし過ぎるのはよくない、って意味の言葉ではない。他者への施しは、よい報いとなっていずれ自分に返ってくる、って意味だ。
母もいっていた。失敗には寛容であれ、と。失敗を叱られれば隠してしまう、成功することしかやらなくなる、成功する者を妬む――などなどが生じる。本人のためにならないのである。実をいうと、父が叱りつけるタイプで、兄が一時期パン職人の道から遠ざかっていたのは、これが原因だ。あのときは、大変だった……。
本人のためにならないことは、だいたい周りにも迷惑をかけるのである。
「先生がたに、ご相談なさっては?」
「教師に? かれらが役に立つのか?」
あんたよりは役に立つと思うよ! とは、いえない。
「わたくしどもより長く生きていらっしゃるのですから、よい知恵もおありなのでは?」
「……なるほど」
あっ、納得した? 納得したな、これ。王子チョロい……チョロ過ぎる。
ていうか、この王子、吸血鬼とか吸血鬼に魅了されたなにかっていうことは、なさそうだなぁ。スタダンス様っぽくふるまっていたアレと、印象が違い過ぎる。
そりゃ別人のふりをしてたら違っても無理はないだろうけど、吸血鬼は、こんなチョロい役をやりたがらないのでは? それこそプライドが邪魔しそう。もうちょっと抜け目のない王子を演じそうだよなぁ。
ま、だからって扉を開けたりはしないけどね!
「誰がいいだろう」
「担任のジェレンス先生か、養護教諭のウィブル先生はどうでしょう? スタダンス様とも、おつきあいが深くていらっしゃるようですし」
「……そうか。そうだな。そうしよう」
本来は校長先生を勧めたいところなんだけど、今のエルフ校長、王族に友好的にふるまうとは思えないからなぁ。
長い沈黙のあと、王子の声がした。
「礼をいうぞ、ルルベル」
……偉そう!
いやまぁ、ご身分はね。お偉いから。偉そうどころか、シンプルに偉いのだ。
この世界で生きてきたルルベルにとっては、まさに雲の上の存在……生き物としての種類が違う、くらいの認識なんだけどさぁ。前世の感覚的には、王族も貴族も平民も、結局、人間じゃん? ってなっちゃうからな!
いやでも、郷に入っては郷に従え、転生したからには転生先の常識がすべてである。
「どういたしまして」
ぶっちゃけ、この返事だって王族相手には偉そうきわまりない気がするが、じゃあどう答えればいいか……わからんのだよ!
ひょっとして「礼をいうぞ、ルルベル」に対しても「はい、殿下」が最適解だったりするのだろうか?
ともあれ、王子は満足して立ち去ったようだった。少なくとも、扉の向こうから情けない声で語りかけられるという現象は終了した。よかった。
……勉強しよ。
しかし。
そんなこといってる場合ではないのはわかっているが、王子のせいで本に集中するどころではない。
王位を継ぐのがローデンス様ではなく、ウフィネージュ様でよかったんじゃないの? と思ってしまう。
だって、こんなチョロい王様、ヤバ過ぎるじゃん。コロッコロ転がされるに決まってるじゃん。臣下はもちろん、他国との交渉ごとでも、あるいは商売ごとでも、なんでもヤバい。
その点、ウフィネージュ様は専制君主向きでしょ。民主的ではないだろうけど、この国は今のところ絶対王政だからね。トップに立つ王様は有能じゃないと困る。
王女と王子のどっちに国を治めてほしいかって二択なら、現時点では圧倒的に王女の方だわー。チョロくないもん、全然。
……まぁ、庶民には選択権ないから、二択を選ぶ立場にはなれないんだけど! そう考えると、民主主義……選択権があったんだなぁ、一応。懐かしいな……。
それにしても、王子の教育、手を抜かれてない?
いやでもそうか、もともとご長男が王位を継がれるご予定だったわけで、予備として優秀なウフィネージュ様もいらしたわけだからなぁ。第三子のローデンス様は、逆に、あんまり才気煥発だと困るわけよね……クーデターとか起こしかねないし。
王子は駄目な子であるべきなんだ。これが王室の、平和なありかたなのか。えぐい。
「なにをボケッとしてるんだ」
お昼に迎えに来たのは、リートだった。わざわざ書類を書いて閲覧室まで入って来たのは偉いと思うが、開口一番それかい。
「王子は末っ子だから、無駄に賢いと王家の安寧を揺るがすことになるんだな、って考えてた」
「不敬だな」
一刀両断! まぁその通りだけども!
「だって、扉の前に来て泣きつかれたんだよ」
「なにをだ」
王子よ、口止めさえしなかった自分を呪うがよい! ……というわけで、わたしは一連の話をリートに教えた。
だが、リートの反応は、とても淡々としたものだった。
「既知の情報ばかりだな」
「えっ。嘘、なんで?」
「俺は君の護衛だ。職務に必要な情報は、与えられている」
と、いうことはですよ? エルフ校長はこのへんすべてご存じ……なのに王子は放置なんだな。よかった、王子にジェレンス先生かウィブル先生って勧めておいて。エルフ校長に相談したら、っていわなくてよかった!
いやしかし、それにしても。
「いつの間に!」
「君がここに籠っていたあいだに」
「えー、なんか不公平!」
「なにが不公平だ。君だって情報を得ているんだから、公平だろう」
「……絶対、リートの方がいろいろ詳しい。わたしより情報量が多いに決まってる」
わたしが文句をいうと、リートは根性悪そうな笑顔を見せた。久しぶりに見た気がするが、べつに見たいものではない。
「それはそうだが、俺が知っていることを、君が知りたいとも限らないぞ」
「なんでよ。知りたいよ」
「そうか? では、吸血鬼がこの学園に入り込むため、魔力を増強すべく吸血行為をおこなった結果、犠牲者がかなり出ている話について、詳しく聞きたいか?」
「……犠牲者?」
「そうだ。ジェレンス先生が吸血鬼の魔力の痕跡を追って、遺体を確認した。男女合わせて十数名の、乾涸びた遺体だ。場所は、平民の居住区。君の家から、さほど遠くない」
ショックのあまり、視界が暗くなった。えっこれなに、わたし気が遠くなりかかってるんじゃない? 気絶するの?
リートの話はつづく。
「吸血鬼は、十日ほど前にその部屋を借りた。大家は魅了されただけで済んだが、ほかの間借り人は全員、失血死だ。間借り人に限らない。何名かは行方知れずになっていた近所の住人のようだったが、身元不明の者もいる。なにしろ、顔が変わっているから確認が難しい。水分を失った人体は、あまり見目の良いものではないぞ。もっとも、乾燥しているせいで腐敗などは進みづらい。それでも臭かったがな」
「み……皆は……」
「皆? ああ、君の家族は無事だ」
それを早くいってよ!
……と思うと同時に、でも、と考える。でも……うちの家族ではなくても、多くの人が亡くなったのだ。吸血鬼のせいで。
事態の重大さに、身体がふるえた。
「どうしよう」
「どうもできん。今のところ、吸血鬼は行方をくらましている。今回発見した塒は、はじめから使い捨てるつもりだったのだろう。痕跡は掴めないが、まだ王都に潜伏している可能性が高い」
……王子はちょっとお馬鹿な方が、家督争いが起きなくていいんだわ〜、みたいな平和なこと考えてる場合じゃなかった。
もっとマジにならなければ。
魔王の眷属と戦えるのは――間違いなく優位に立てるのは、わたしなんだから。
「どうだ、べつに知りたくはなかっただろう?」
わたしはリートを見返した。
「なんでそう思うの?」
「なんで?」
「そう。なんで? それは、わたしが知るべきことだよ」
「知るべき、って……」
知って、正しく恐怖し、そなえるべきだ。
「もっと詳しく教えて。わたしは、吸血鬼を怖がるだけじゃいけないの」
必要なのは、冷たい怒りだ。




