111 ウィブル先生は怒ると怖いらしい
たいへん結構な昼食をいただいたあと(デザートも超☆充実していた)、ファビウス先輩が手配していたらしい替えの制服が届いた。
なんでも、生徒が魔法を失敗して大変なことになったとき用に、いくつかスペアが用意されているのだそうだ。保健室に。なので、ウィブル先生に連絡して、わたしを研究室で保護していることも含めて報告し、替えの制服を貸してもらえるように頼んでくれたらしい。
ファビウス先輩の話によれば、ウィブル先生は、たいへん、ものすっごく、怒っていらっしゃるとのこと。エルフ校長とジェレンス先生に、である。わたしを放置してたから。
「ウィブル先生のお説教が終わるまで、学園側が君を呼び出すことはないと思うから、お風呂でも使う? ゆっくり身体をあたためると、気分もよくなると思うよ。僕は……そうだな、あの葡萄色の扉の部屋にいる」
と説明しながら示した先の扉の色が、みるみる変わっていく……。色属性魔法、便利だな!
「支度が終わったら、あの部屋に来てくれてもいいし、さっきの部屋で過ごしてくれても、もちろん、問題ない。扉は……君の魔力を染めたのと同じ色にしておくね」
「ほんとにもう、お気遣いなく……」
「なにもできなかったぶん、なんでもさせてほしいんだ。今、君が快適に過ごせるようにね。それに、ちゃんと気を遣わないと、ウィブル先生に締め上げられちゃうよ」
あのひと、怒ると怖いからねぇ……と、ファビウス先輩はそこだけ真顔になった。
よっぽどなんだな、と察するものがある。
「それでは、お世話になります」
で、案内されたお風呂がね。すごかった。
実は、彼シャツ(べつに「彼」じゃないけど「師匠シャツ」ってなんか違うじゃん……)も難易度高いけど、彼研究室風呂で入浴もけっこう難易度高くない? と、こっそり思っていたのだが。それどころではない。
風呂が豪華過ぎて。
シャワーがあるんだ、シャワーが! 前世ではあって当然だったシャワーだが、この世界では平民の家庭には存在しない代物である。魔法学園の個室には一応あるが、湯量も、温度調整のきめこまかさも、段違い。魔道具として、なんかこう……強い。強いとしか表現しようがない!
もちろん、バスタブも最高。シンプルなデザインだけど、さりげなく装飾がなされていて、その加減が心地よい。デカいし。
その上……なんということでしょう。ジャグジーがある!
この世界にジャグジーがあったとは知らなかったよ……なんか別の呼び名があるんだろうな。ていうか、素のルルベルだったら理解できなかったぞ、これ。
バスオイルも複数種あって、もちろん自由に使うようにいわれてたけど、いやぁ……これ一滴で我が家の年収くらいするんじゃない? くり返すようだが、我が国は冷涼な気候だ。南国の花や果物から抽出してそうなもの、無理。無理無理無理っ!
入浴中は、生きてる世界が違う、ってことしか考えられなかったよ。
身体をあたためて清潔な制服に着替えると、さっぱりした気分になった。
吸血鬼に遭遇して感じた、漠然とした不安とか、おそろしさとか。そういうものを、心の片隅にしまっておけるようになった、っていうか?
廊下に立って、わたしは中庭を眺めた。
植生のおかげで、異国情緒たっぷりの景色。惜しむらくは、日差しが弱いことだろうか。南国の雰囲気には、ほど遠い。でも、ほんとに残念に感じてるのは植物の方だろうなぁ。もっと強い陽光をくれ! って思ってるかも。
「ルルベル、どうかした?」
紫の扉から出現したファビウス先輩は、わたしの様子を確認しに来たっぽい。忙しいだろうに、えらい迷惑かけちゃってるなぁ。
「お庭を拝見してました。これ、南方の植物なんですよね?」
「うん。庭に出てみる?」
「いいんですか?」
「もちろん」
ファビウス先輩は、手近な硝子扉を開いて先に外に出ると、どうぞ、と手をさしのべてくれた。その手をとりながら、そういえば偽スタダンスは手を出さなかったな、と思う。
「図書館で……スタダンス様が迎えに来てくださったとき、エスコートがなかったんですよね」
「……ホールにも入らなかったんじゃない?」
「あ、そういえばそうです。扉のところで立ち止まってました」
「あそこは護りが固いからね。入らなかったんじゃなく、入れなかったんだろう。入口に立つだけでも、負担だったんじゃないかな」
なるほど……。図書館ハンパねぇな!
今後は、困ったら図書館に逃げ込もう。……今回もそうできればよかったけど、無理そうだったんだよなぁ。
「さっき連絡が来たんだけど、校長とジェレンス先生は事情説明のため、王宮に行くそうだから。ルルベルがかまわなければ、このまま僕の研究室にいるといいよ」
「そこまでご迷惑をおかけするわけには――」
「校長が王宮に行くってことは、王族やらなにやらが君に連絡をとってきたとき、跳ね除ける係が必要になるってことなんだ。だから、ここにいるのが最善だろうって話になったんだよ」
おおぅ。そういう事情か!
「わかりました。よろしくお願いします。ずっとお世話になりっぱなしで、申しわけないです」
「そんなの気にしないで。リートも来ることになってるから安心してね」
なにが安心かはわからないが、まぁ……たしかに、リートがいると安心なのかな。心臓が鉄だから、なにが起きても動じなさそうっていうか。
「そういえば、リートが王家に雇われてるって……おっしゃってましたけど」
ファビウス先輩は、困ったように微笑んだ。
「やっぱり、僕のことは信じない方がいいかもね?」
「なんで嘘をついたんですか?」
「適当にいったんだよ。君を動揺させたくて。校長先生の依頼だったって、さっきウィブル先生に聞くまで知らなかったよ。……これも、信じる?」
「信じますけど」
そう、とファビウス先輩はつぶやいた。気のせいかもと疑うくらいの小声で。
会話が途切れたので、わたしは話題を変えることにした。
「この樹、さわってもいいですか? 見たことがないです」
「央国には自生してないからね。気温が維持できないと、難しいんだ。これは実から育てた樹だから、それなりには寒さや日照の少なさにも順応してる。それでも、覆いがないと冬は無理だと思うけど」
「へぇ……。あれ、ファビウス先輩はお引越しなさったばかりなんですよね?」
「前にここを使っていたひとの、受け売りだよ。そのひとは、植物が専門だったんだ」
「そうなんですね。この中庭で昼寝したら、いい夢みられそうですね。南国の景色、とか」
ファビウス先輩は少し考えるようにした。まじめに検討しているらしい。
「これからの季節だと、風邪をひきかねないけど。でもそうだな、気分転換にはよさそうだね――今の君に、必要なものだ」
そういわれて、ちょっとびっくりした。
「え、わたしにですか?」
「うん、君に」
ファビウス先輩は、なにも説明しなかった。だから、わたしは勝手に考えた。
気分転換。吸血鬼と偽スタダンスのことなら、もう始末はついてる。心の片隅に、名札をつけて並べてあるイメージだ。終わったこと、として。
でも、それは間違ってるんだ。
王室嫌いのエルフ校長が、わざわざ王宮に出向く。それだけ大きな問題ということだ。
……当然だよね。魔王の眷属が出現した。しかも高位貴族の子息を魅了し、修行中の聖属性魔法使いに接触した――そりゃ、詳しく説明せよ! ってなるよ。
わたしは、魔力を押し込むという雑な仕事でスタダンス様を浄化した(らしい)けど、吸血鬼本体は無傷だろう。いや、なにかダメージあるのかな……あったとしても、些細なものに違いない。
脅威は去っていない。幕開けが宣言されただけ。終わっていないのだ、なにも。
「……大丈夫ですよ、わたし、頑張れます」
「ルルベル……」
頑張らなくてもいいんだよ、と。ファビウス先輩の表情が、語っている。
それはそれで、とてもありがたい。今だって、甘えさせてもらってる。だけど。
「ウフィネージュ様に、えーっと……身の程をわきまえろ、的なお話をいただいたときにですね、気がついたんです」
「なにを?」
「こうなる前から、校長先生はおっしゃってたんです。いろいろ大変だから、姿を隠した方がいい、って。だから、ウフィネージュ様のことをお話ししたら、ますますそうなるだろうなって思ったんですよね」
「うん」
「でも……校長先生が、そうおっしゃるだろうって考えたとき、わたしが思ったのって――それは嫌だ、だったんです」
誰が逃げるもんか、って。




