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109 間に合ったけど、ギリギリだった

 後ずさっても無駄だといわれても、もう足が勝手に後退している。ほんとは駆け出したいけど、背を向けるのが怖過ぎて無理。


「ス……」


 喉が嗄れて、声がうまく出なかった。

 偽スタダンスは、微笑んでいる。好きにしていいですよ、って顔だ。なにをしようと無駄だから、いくらでもどうぞ、ってやつだ。


「……スタダンス様を、どうしたの!」

「なにをいうんです。僕ですよ、スタダンスは」

「嘘!」

「嘘つき扱いですか? ひどい仕打ちですね」

「だって、スタダンス様は、あなたみたいな赤い眼じゃない!」


 わたしの指摘に、偽スタダンスはわずかに動きを止めた。そして、すうっと目をほそめる。


「ここまで保ったのは眼鏡のおかげか。これだから、君みたいなのは困る」


 その口調に、なぜか背筋がぞっとした。気温がぐっと下がったような感覚。


「あなたは……誰なの」

「誰? もちろん、あなたのスタダンスですよ」


 真紅の瞳が、わたしを見る。魅入られたように、わたしは動けなくなる――なにこれ。息ができない。

 偽スタダンスの手が、伸びてくる。こちらへ。ゆっくりと。

 ……ルルベル、気を確かに持て! 呼吸はできる、意識しろ! 吸って……吐いて。大丈夫だ、大丈夫だけど……。

 こうなったらもう、賭けるしかない。王立魔法学園に入学してからつちかった知識と技術、そしてパン屋の看板娘として鍛えた度胸でなんとかしろ! やれ、ルルベル!

 偽スタダンスの手が、わたしの手を掴んだ。

 と同時に、わたしは偽スタダンスの手を掴み返した。


「……んっ!」


 偽スタダンスの眼に宿った真紅の光が、揺らいだ。

 瞬間、周囲を覆っていた圧力のようなものが、すっと消えた。

 そして、一瞬で。偽スタダンスの全身が緑になった! えっなにこれ、なにこれ……!

 動揺したわたしの背に、ジェレンス先生の声。


「ルルベル、いいぞ、そのまま押し込め!」

「はい! ……え、押し……? 押し込むって?」

「魔力だ、押し込め!」

「えっ、無理です」

「やってみる前から無理っていうな。思い込みを捨てろ。できると信じるんだ」


 そのときにはもう、ジェレンス先生は隣にいた。間近から聞こえる声は、まるっきり、いつもの調子だ。


「はい、先生」


 やればできる、やればできる! やらなきゃできない、ってファビウス先輩もいってた!

 握った手に力をこめて、わたしは偽スタダンスに自分の魔力を押し込んだ。かけ声が必要じゃないかと思い、気がつくと叫んでいた。


「悪霊退散っ!」


 ……我ながら、このセンスはないんじゃない? と思ったが、口走ってしまったものはどうしようもない。まぁ、うまくいったっぽいし、不問に処してほしい。

 動きが止まった偽スタダンス、全身緑になったように見えたのは、植物の蔓に巻きつかれていたからのようだ。むちゃくちゃ巻きついてるけど、だ……大丈夫なの?


「……僕の土地に入り込むなんて」


 もちろん、エルフ校長の仕業だろう。なにやら衝撃を受けておいでのようだ。

 まぁわかる。それに、衝撃を受けたことに関しては、わたしも負けない自信がある。


「よし、うまくいったな」

「これって、その……スタダンス様は、どうなっちゃったんですか?」

「吸血鬼にあやつられていたようだ。おまえの浄化で今は気配が消えてるが、今後は要注意だな……一回でも魅了されると、影響を受けやすくなる」


 ジェレンス先生の答えは、ある程度は想定内だった。

 吸血鬼の魅了かもしれないと思ったからこそ、聖属性魔法を巡らせて防御したのだ。

 聖属性魔法、物理には無力だけど、相手が魔王やその眷属だった場合! 絶大な威力を発揮するらしいじゃん……いやもう、今まさに、すごかったわけだけど。ただの魔力覆いだけで、吸血鬼が展開していた(と思われる)魔法が全部チャラになったんだから。

 魔法ですらない。ただの魔力で、だよ。

 なんという雑な強さ!


「……先生のおかげで、助かりました」

「おう、自分で戦えるようになっててよかったな」


 ギリギリ、間に合った……ってところだ。

 吸血鬼のしわざかもしれないと思ったのは、事前にあの本を……なんだっけ、題名ちゃんと覚えてないけど、課題図書を読んでたからだし。だったら、聖属性魔法で対抗できるかもって思えたのも、基礎知識あればこそだし。とっさに魔力覆いを展開できたのも、特訓の成果である。

 ほんと、ギリギリだけど、間に合った。間に合ったけど……ギリギリだなぁ、これ……。

 ジェレンス先生は、エルフ校長に向き直った。


「校長、拘束をといてください」

「許せませんよ、僕は、こんな……」

「スタダンスはただの駒です。ルルベルが浄化したばかりですし、当分は動けませんよ。ウィブルのとこに運んで、治療させないと。……校長?」

「僕の土地に眷属の手が及ぶなど、許せませんよ」

「許さなくていいですから、スタダンスを締め付けないでくださいよ、校長、もうほんっと……正気に戻らねぇと、わからせるぞ!」

「だって許せないです、こんなこと」

「許さなくていいっつってんだろ。いいから聞けよ!」


 ジェレンス先生とエルフ校長の会話が、不穏なのに平和に思えてしまう。

 だって、今の今まで、わたしは危険に晒されていたのだ。吸血鬼のもとに連れ去られるか、あるいはここで……即、殺されるか。どっちにせよ、ろくでもない運命が用意されていたはずなのだ。

 足に力が入らず、わたしはその場に座り込んでまった。

 おお……これがアレか。立っていられない、ってやつか! マジだわ〜、立ってられないわほんと。


「なにがあった」


 声の主はリートだ。いつのまにか、来ていたらしい。護衛、仕事してくれ。


「スタダンス様が、吸血鬼に……あやつられてたの」

「ああ、それで浄化って話か。なるほどな」

「……あの身体は、スタダンス様ご本人なのよね?」

「そうだな。俺が見たところ、治療済み骨折の痕跡が複数あるし、本人だろう」


 さすが生属性……なんて思えるかい! 骨折の痕跡で本人確認しないでほしい。

 ていうか、スタダンス様もスタダンス様じゃない? 寝起きの悪さでシャレにならない負傷するの、対策すべきだよ。どうにかならんのか。なんか方法あるだろう、なんか!


「で、君はなぜ、座り込んでるんだ」

「立ってられなかったから」

「ああ、魔力を出し切ったのか」


 わたしは首を左右にふった。たしかに、一時的に全力を出しはしたけど、使い切るにはほど遠い。すごいぞ、わたしったら魔力の制御ができているのである! 誰か褒めて!


「それほどじゃないけど」

「怪我はしていないようだな。……よし、ではスタダンスは俺が引き受けよう。ウィブル先生のところに連れて行く」

「治療が必要なの?」

「校長が勢いよく締め上げたせいで、骨をやられている」

「ああ……そういう」


 まぁな。急に全身緑色になりましたけどナニコレ! って勢いあったからな。


「君は、立てるようになったら、かれらを宥めてくれ」


 一切の同情も気遣いもないリート、実に本物。

 躊躇なく、スタダンス様を包んだ緑の繭に近寄り、どんどん話がずれていっているエルフ校長とジェレンス先生に「俺が預かりますね」と声をかけ、勝手に蔓をほどいて――リートは豆を育てる実技を実施していたくらいだから、植物の操作もある程度はできるのだろう――意識を失ったままのスタダンス様を背負うなり、ちょっと信じがたい速度で駆け去ってしまった。

 忍者か。忍者はもう間に合っている。


「ルルベル」


 こういうタイミングで来るの、ほんと、このひとは「持ってる」よなぁ、って思うよね。

 どこかに隠れて見計らってました、っていわれても信じちゃうかもしれない。


「ファビウス様……」

「大丈夫? 呪符が反応したから来たんだけど……なにがあったの」

「スタダンス様が……吸血鬼、に……あやつられて」


 それ以上、なにもいえなかった。なのに、ファビウス先輩はうなずいてくれた。


「……そうか。こんな冷たいところに座っていると、身体をこわしてしまうよ。おいで、ルルベル」

「あの……足に力が入らなくて」


 そういうと、ファビウス先輩は眉をひそめた。


「動けないのに、誰も対処してくれないの? いいよ、もう大丈夫。僕がいるからね。……失礼」


 入学以来、何回めか数えるのも馬鹿らしくなってきたお姫様抱っこをされても、わたしはドキドキしたりする余裕がなかった。それくらい、衝撃を受けていたのだ――魔王の眷属が、ついに動きだしたということに。


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