106 寮のセキュリティが心配だ
ジェレンス先生は、寮の部屋までわたしを送ってくれた。
つまり、閉じてあるはずの窓を開きやがった上に、そこから部屋にインした挙げ句、ついでに転移陣を描いて行こうなどとぬかしおった。
夜! 女子生徒の部屋に! 入り込むの、やめてもらえませんかね! ていうか、寮のセキュリティに不安を覚えるよ。
「こんな簡単に出入りできるの危険じゃないですか」
「俺くらいの魔法使いじゃねぇと無理だし、そんなの俺しかいねぇよ」
「先生、わたし寝巻きなんですけど……」
「俺のせいじゃねぇだろ。なんか引っ掛けろよ」
そりゃな! そりゃそうだな! おっしゃる通り、先生のせいじゃないな!
だからってデリカシーというものはないのか、とぷりぷりしながら、わたしは薄手の肩掛けを身体に巻きつけた。寒いんだよ……冬じゃなくても夜は寒いんだよ! 責任は自分にあることはわかっているが!
「あっ先生、ちょっと待ってください」
「ん?」
「転移陣を描くところ、見せていただけますか」
「ああ、呪符魔法の勉強か。駄目だ」
……はい?
「なんででしょう」
「おまえが覚えるには早過ぎるからだな。見て、覚えて、ちょっと描いてみたいなって実行されたらたまらん。だから、駄目だ。……っつーか、くちびるが紫色じゃねぇか」
「寒かったんです……」
「寮母さんのところに行けば、お湯くらいもらえるだろ。あったかいもん飲んでこい」
その間に、作業を終えてしまうわけですね。わかります。……ちっ。
しかし、あたたかい飲み物をいただくのは悪くない考えだ。わたしはジェレンス先生を部屋に残し、寮母さんのところに行った。まだ消灯時間ではないので寮母さんも起きていて、あたたかい飲み物がほしいと話したら、ホット・ワインを保温ポットに入れてくれた。ワインといっても煮切ってアルコール分を飛ばしてあるから、酔っ払ったりはしない。スパイスがふんだんに入ってて、なんというか、エキゾチックな味わいだ。
寮母さんのホット・ワインはすごく美味しいので、もらいに来る学生も多いらしい。へぇ〜。しかも、スペシャル・ブレンドもあるんだって。試験前には、目覚まし効果が人気だそうだ。今回もらったのは、安眠ブレンド。
部屋に戻ると、ジェレンス先生はちょうど作業を終えたらしく、クローゼットから出て来るところだった。
「もう消えちゃいました?」
「まだ消えてねぇから、待ってたんだ。勝手に見られると困るしな」
徹底してるな、危機管理。
「じゃあ、先生も飲みます? ホット・ワイン」
「おっ、いいな。もらおうか」
わたしはジェレンス先生に椅子を勧め、カップにワインを注いで手渡した。カップは自費・持ち込みである。ちゃんと二個もカップ持ってるんだ、って? 一個は洗面台のやつだよ、ははは!
「おまえも座れば?」
「いや、その……座る場所が」
「寝台があんだろ」
「……」
男性とふたりきりでいるときに、ベッドに座るって、なんかアレじゃない? ほら。アレ。いや、わたしが意識し過ぎなのか?
……と悩んでいると、ジェレンス先生が不意に気づいた顔になった。
「おまえ、意識すんなよ。ほんっと、やめろよな」
「そうおっしゃられましても、年頃ですし……」
「年頃とかそういう主張もやめてくれ。いいか、俺は教師! おまえは学生! そんだけ」
「はい」
「質問があるなら聞く」
課外授業かよ。……ジェレンス先生の場合、課外授業という言葉にいかがわしい雰囲気がつきまとわないの、不思議だ。これがファビウス先輩だったら、なんかこう……。やばい。
「ローデンス様のご様子はどうですか?」
「他人を心配してる場合じゃねぇぞ。わかってんのか」
「すみません」
反射的に謝ると、まぁいい、とジェレンス先生は肩をすくめた。
「思ったより頑張ってるぞ。この調子だと、あと三日くらいで追いつかれるな、おまえ」
つまり、魔法使いとしては最低レベルであっても制御はできるようになる、ということか。
「わたしだって進歩してるんですよ」
「そうか。じゃ、魔力覆い、ちょっとやってみろ」
「はい」
今日はけっこう魔力をセーブしてたから、余裕がある。魔力覆いの展開くらいはわけもない。
ジェレンス先生は、ホット・ワインをすすってから、うなずいた。
「できてるな。たしかに、進歩してる」
「ほんとですか!」
「おまえ、自分でいったんじゃねぇか。進歩してるって」
「それはそうですけど、先生に認めていただけると嬉しいです」
ほぼほぼ、認めてもらえてなかったからな!
「これで明日、またローデンスを煽れる。ルルベルはもっとうまくなったぞ、って」
「……やめてくださいよ。なんか恨まれそうで嫌です」
「あいつは明確に倒せる目標があった方が上達するタイプなんだよ」
知るか! ……とは思ったが、屋根の上で凍えていたのを助けてもらった上に、無駄に使ってしまった転移陣を描き直してもらった恩もある。ここは譲るべきだろう。
「そういうことなら……。でも、今までは、なかったんですか? 適当な目標」
「そうだな。あいつは姉姫を尊敬してるし、目標にもしてると思う。だが、王太女殿下は優秀だ。天才的とまではいわないが、なにをやってもそつがない。さらっとできちまう。だから、あいつも思い込んじまったんだろうな――さらっとできるのが当然って」
「さらっと……努力しないで、ってことですか?」
「そう。だから、ちょっとやってみて無理だと、できないって信じ込む。できないと信じてたら、やらねぇだろ。だから、目標設定から変更する必要があったんだ」
わかるような、わからんような……。
「わたしは、目標にしてるひとって、べつにいないですけどね」
「おまえはそういうやつだ。違うんだよ、それぞれ。戦ってねじ伏せたい欲求が強いやつには、手が届きそうな相手を与えてやると、やる気が出るんだ」
「……あの、先生。やっぱり、わたしの名前を出すのはやめていただけます?」
丁重に切り出したが、ジェレンス先生には無視された。
「おまえは、敵を潰したいとか上から見下ろしたいとかじゃねぇだろ。人助けをしたい、役に立ちたいって考えで動いてる」
「それはまぁ……そうかもしれませんけど」
「俺は、潰したい側の人間だからな。王子の考えることは、よくわかるんだ。残念ながら、王太女殿下もそれに近い。単純に勝った負けたでは済まない。相手を上回れそうにない場合は、八方手を尽くしてでも潰してくる。そういう風に、俺には見える」
「……はい」
それはね! なんとなくわかったよ!
「だから、ちゃんと気をつけろ。実際に危害をくわえられそうな場面に出会ったら、俺が守ってやれる。ただ、名誉が立場が金銭が……って話だと、俺にはどうにもできん。注意しろよ」
当代一の魔法使い、権力闘争は苦手かぁ。まぁ、そんな気はしてた!
「わかりました。ありがとうございます、気をつけます」
とはいえ、わたしの結論は「はい、殿下」するしかない……ってとこなんだけど。
「……すまん。こんなことしか、いえなくて」
「先生が気になさることじゃないです。むしろ、わたしのせいで学園に迷惑がかかって、申しわけないと思ってます」
「おまえのせいじゃねぇだろ」
「でも」
「原因は、王太女殿下だ。おまえじゃねぇよ」
ジェレンス先生はそういうと、ホット・ワインが入っていたカップを机に置いた。もう飲み切ったらしい。
そして、空いた手でわたしの頭をわしわしっと掻き回した……ぎゃー、髪が鳥の巣みたいになるぅー!
「なにすんですか!」
「気にすんな、ってこと。あと、悪かったな」
「はい?」
「寒かっただろ。気を遣って、上着くらい貸すべきだったな。次があったら気をつける」
次? 次があるの? いやいや、次はないでしょ、さすがに!
「なんにせよ、助かりました。ありがとうございました」
「おう。じゃあな、しっかり寝ろよ。魔力の回復に影響するからな」
そういって、ジェレンス先生は窓から飛び出して行った。
……誰かに見られたら大変なことになるのではないかと思いながら、わたしは窓を閉め、そのとき思いだした。
あーっ、ファビウス先輩のあれ、ジェレンス先生に見せれば内容が判明したかもれないのに! 遅い! なんで先生がいなくなった瞬間に思いつくかなぁ!




