10 入学即退学の流れは諦めざるを得ず
会話や事情から察するに、このかた、たぶん王族の護衛では? 攻略対象以外にも、何人かいる(転生コーディネイター情報)っていうし……もし攻略対象だとしたら、自動的に、初対面のわたしのことが気になるはずだし……まったく余計なことしてくれたな、転生コーディネイター!
「……あの、逃げたり、逆らったりしないので……この体勢、やめていただけますか」
よくいった! ルルベル頑張った、推定貴族、間違いなく上流階級相手に頑張った! えらい!
そのまま数秒置いてから、名称不明イケメンは身体を起こしてくれた。やった……わたしはやった! やったと思うけど、まだちょっとふるえてる。いや〜、お姫様抱っこもだけど、よく知らないイケメンにベッドドンされるのも、相当アレ。無理。無理無理!
わたしも起き上がって、ベッドに腰掛けた状態になる。
「ありがとうございます」
しかし、パン屋で培った接客用の笑顔が、わたしを救う! 生まれてよかったパン屋の娘! お父さん、お母さん、ありがとう! ただし粘着質の客、おまえだけは呪われろ。もう一生、自分のパンは自分で焼け。
「いいから質問に答えろ」
名称不明イケメンは、ベッドの前に立っている。養護教諭が派手めのイケメンとするなら、名称不明氏は地味めのイケメンだ。つまりその、どこかで出会っても「なんかかっこいい人いる」くらいの印象にとどまるというか……意識してそうしてるのかなぁ。護衛っていう想像が当たってるなら、だけど。
「……入学したのは、そうするようにと神殿でいわれたからです。神殿の聖教市場でお手伝いをしているときに、珍しい魔力が発現したので」
名称不明イケメンは表情を変えなかったが、わたしの正体はわかっただろう。珍しい魔力を発現したっていえば、一発だ。聖属性の魔力って、それくらい珍しいから。それはもう、大騒ぎになったのである。十六歳の誕生日を迎えたら、なる早で来るようにと、魔法学園側から連絡が来たほどだ。
……それほど珍しいから、世界の危機をわたしが救わなきゃいけないらしいんだけども!
返事もなにもないので、わたしは自主的に供述を進めた。
「平民の身で王立魔法学園への入学がかなうなど、滅多にないことですし、聖属性の魔法の扱いが指導できる者など市井にはおりません。だから入学しました」
「それがなぜ、初日に退学を望むの?」
声の主は、名称不明のイケメンではなかった。ベッドを囲むカーテンをそっと開きながら覗き込んできたのは――実はエルフのイケメン公爵校長。推定年齢数百歳、初代国王の戦友であり魔王封印の立役者のひとりでもある。はずだ。
……ねぇ、このキャラ、情報が多くない?
「ちょっとあの……担任の先生と意見が合わないと思ったので」
まさか、このままだと王子の婚約者の悪役令嬢にいじめられそうだし、すべての乙女ゲーム的なイベントから逃げたかったのです……とは、説明できない。
その大部分が誤解であったと発覚しているわけだし。王子には婚約者はいないし、悪役令嬢もいない。王子の行動がおかしかったのも、転生コーディネイターのやらかしのせいである。教師がなんか変だったのも、たぶんその一環だろう。
校長先生は、困ったように微笑んだ。なるほど、逆魅了魔法を使っていてさえこのパワー……エルフおそるべし。
「今年は、一年の担当はジェレンスだったね」
「あの、でも……わたしも悪かったと思うので……」
あのときは現状把握が間違っていて、退学が最善の選択肢ではないかと開き直ってしまったけれども、実のところ……誰かを落とすにせよ、自分を鍛えるにせよ、魔法学園で学ばないという選択肢はないだろう。
というか、ぶっちゃけるとね、わたしが短気を起こしただけなのである。弟だったら「お姉ちゃん、すぐそうやってさー」と呆れたようにいうだろう。弟よ……お姉ちゃんだって大変なのよ!
「退学は、思いとどまってくれるの?」
少し嬉しそうにした校長先生の顔面がまたすごかったので、わたしは視線を逸らした。ちょっと不自然だったかもしれないけど、校長先生もたぶん慣れているだろう。なにしろ、ふつうにしてたら人がバタバタ倒れるレベルらしいし。
「学びの機会を逃すべきではないと、思い直しました。短気を起こしました、お騒がせして申しわけありません」
『やっだ、ちゃんと謝れる子っていいわね!』
は?
思わず派手めの養護教諭を見てしまった。今の……このひとだよな?
バッチリ視線が合うと、養護教諭はラクダみたいに長くてフサフサの睫毛で、風が起きるんじゃないかと思うくらいぱたぱた瞬きした。
『あらやだ、視線があっちゃった。可愛い』
今なんて?
ていうか、すっかり忘れてたけど、さっきもなんかこういうのあったな……。この学園の先生たち、なんかこういう変な能力持ってるの? えっ、初耳なんだけど?
混乱するわたしを、校長先生がおだやかに諭す。
「ジェレンスは癖のある男ですが、魔法の知識と腕は確かなんですよ」
「あ、ええと……はい」
転生コーディネイターいわく、今生きてる魔法使いの中では世界最強レベルらしいからな! ……世界最強を罵倒してしまった件については、考えないことにしよう。
「もし、どうしても合わないようだったら、ほかの教師に担当を変えますからね。無理はしないように」
頬に手がふれ、顎を持ち上げられる。えっ……これ、伝説の顎クイッってやつですか? こんなこと、現実にあるんだね……しかも相手は情報量の多い校長先生だ。
ほぼ初対面の異性にふれられるのに慣れたわけではないけど、相手が超ご高齢のエルフだとわかっているせいか、これは、そんなに怖くなかった。むしろ、なんとなくほっとした。
校長先生の眼は、深い森のような緑色だ。激やば教師の翡翠色とは、同じ緑系統でも印象が違う。
「僕が担当できればよかったのですが、僕は自然魔法しかできない上に、実は説明するのが苦手なんですよ。……教師としては、優秀とはとてもいえなくてね」
……ああ。なんとなくわかったぞ。エルフだから! 直感的に自然と交流しちゃうから! 人間の生徒に理論を教えるのは不得手なんですね。きっと、そういうことだ。
勝手に納得していると、校長先生はやわらかに微笑んだ。
「だから、校長なんていうお飾りをやっているわけです。そのぶん時間はありますから、迷ったり悩んだりしたら、いつでもおいでなさい。特に、退学するなんて短気を起こしたときには、かならず相談に来てくださいね」
「は、はい。よろしくお願いします……」
やばいこの校長先生、逆らえない!
「もちろん、ジェレンスにもわからせておきましょう。心配せず、教室に戻りなさい。ああ……でも今日はもう、いろいろあって疲れたでしょうから、寮で休むといいでしょう」
「ありがとうございます」
あとを養護教諭にまかせて、校長先生は保健室を出て行った。後ろ姿をよく見れば、腰まであるさらっさらの金髪だった……いわゆるエルフ的外見で想像するような、ああいう感じだった! 校長先生すごい! 今のところ、攻略キャラでいちばんの推しかも!
校長先生で得られるアドバンテージはエルフの里の魔法具だったか……。アリだな、校長先生! 問題は、パン屋の娘がエルフ公爵とつきあうって概念を、わたしが受け入れられるかってポイントかな!
……無理だわー。ハイ無理!
それをいえば、学園の誰だって全員上流階級で漏れなく無理なんだけど、校長先生は特に無理でしょ……。あと王子。担任は、性格的に無理。
「足って、右足? 痛い?」
不意に養護教諭に声をかけられて、わたしはなんとも返事ができなかった。なにしろ、こけて即座に抱きかかえられてしまったので、自分の足で立ってないのだ。
ちょっとさわるわね、と許可をとってから養護教諭はわたしの右足首にふれた。あ、さわられると痛い……けど、即座にじわじわあたたかくなって、それから痺れを感じた。おお、ひょっとして治癒魔法なの?
「大したことないわね。リートは教室に帰っていいわよ」
「リート?」
弟の名前だ。でも、流れからして、リートっていうのは――と、名称不明イケメンを見てしまう。彼はやっぱり表情を変えない――こいつ、お面かぶってるんじゃないだろうか。
「足の治療が終わったら、寮まで送って行きますから」
「これ以上、ご迷惑をおかけするわけには」
あわてて否定したけど、養護教諭が指輪をいっぱいはめた綺麗な手を、パン、と叩いた。シャラランと腕輪が鳴って、やっぱり良い匂いがする。
「それがいいわ。リートが一緒なら心配ないもの。お願いするわね」
カジュアルにお願いされてしまった。
11話は本日中に更新します。




